193. 番所の中の二人
中は無人だった。小さな部屋の中央には円卓が置かれていて、その上の燭台にろうそくが一本だけ弱々しく灯っている。薄暗いオレンジの灯りは、卓上の遊戯盤のような物をぼんやりと照らし出していた。
「……ああいう連中は全員出払っても構わないものなのか?」
「……いなくなったね。」
図や字が刻まれた木製の盤は、机上を覆う大きさをしていた。その上に台座が付いたたくさんの小さな円柱と、サイズ違いのサイコロが三つ載っている。
円卓を囲む四脚の椅子の内の三脚はいかにも慌てて席を立ったという風情で残されていて、つい先刻までゲームに興じていた男達の姿が目に見えるようだった。
自分達の声や蹄の音に反応がなかったのは、もしかしてゲームの
せいなんじゃ。
何か釈然としない思いがして、部屋と火の着いたままのろうそくを、少年はなんとも言えない表情で見つめた。
夜警と思われる男達は今、逃げた灯が消えた村の端辺りを捜索している。
ラスタによると、クロッスス村は広場から離れる程に畑がちになっていて、人口はともかくとして、そこそこに大きな村であると言う。空から見た地上はちらちらと光る川らしき長大な帯が見える以外、ほぼ真っ黒に塗り潰されていたが―――――多分とんでもない高さにいたので、何も見えなくてよかったと思う―――――男達が走った時間の長さで、人間の少年にも村の端までのおよその距離が掴めた。
あそこまで灯を追って行った男達は、当分ここには戻って来られない筈である。
男達と追いかけっこをしていたランタンは、もちろんもうナギの手に戻っていた。
ラスタの触れずに物を動かす力の有効距離は物を透かして見える距離より長く、二人は広場の上空からほぼ動かずに追いかけっこを実現出来たのである。
今日の機会を逃したくなかった少年の、狙い通りの結果ではあったのだが――――――
他人ごととどころか敵ごとだったが、「誰も残さなくてよかったのか」と思ってしまう。
ただナギは、一介の村人が斧を持っているだけかのような男達の素人臭さをどこかで本能的に嗅ぎ分けていた。そしてほとんど無自覚のままその感覚に沿って作戦を立て、意図した通りの成果を上げたのだ。
大陸に五百年君臨し続けた巨大な国にはあちこちに緩みが生じていて、少年は、それと気付かぬ内に爛熟の綻びに触れていた。
屋内に人がいないことだけ確認し、ナギが右開きの扉を閉めようとした時。
「ナギ。」
「うん?」
竜人少女が背中から浮き上がるのを感じて、少年は暗闇の広場を振り返った。
小さな少女は、目隠し越しでも分かるくらいの難しい表情をして空中に立っていた。目隠し越しでも表情が分かるのは、ラスタだからかもしれないが。
「………目隠しが取れそうだ。」
「えっ。」
広場の上空にいた数分前、村内の幾つかの家の窓が外の騒ぎを確認するように開いたのが見えていた。どの窓も程なく閉じられたが、油断は出来ない。
目隠しをやり直すための場所をナギは慌てて考えたが、一瞬で答えは出た。
館以外で初めて足を踏み入れるヴァルーダ人の建物。
緊張で体が硬くなったが、ナギはその部屋の中を選び、閉めかけていた扉を押し開けた。
◇
板張りの床。
よく見ると、円卓の向こうに扉が一つある。右側の壁に沿って置かれた長椅子の端には乱雑に畳まれた大きな布が放られていて、ここで仮眠でもするのかもしれない。長椅子の周りには木箱とか縄とかいったものがまとまりなく置かれていて、部屋は雑然とした雰囲気だった。
館の部屋とはまた違う。客室よりはずっと貧しくて、使用人部屋よりはずっとましだった。
小さな少女は、何か意気揚々と円卓を向いて宙に座った。表情すら見えないのにその背中が嬉しそうなのが伝わる。
面倒な思いをさせてしまっているのにと、ラスタのその様子はナギの胸を突いた。
こんなことで喜んで貰えるのなら幾らでもするのだが、ナギが竜人の少女に着けてやりたいのは、本当は目隠しなんかではなくて、髪飾りだ。
ラスタとミルのことを思えば、脱出は一日でも早い方がよかった。
もし手段を択ばなければ、もうとっくに脱出出来ていたのかもしれない。
竜人はおそらく館の人間達の心臓を一度に止めることも、村を丸ごと焼き払うことも出来てしまうのだろう。
だがナギは、ラスタにそんなことを絶対にさせたくなかった。
でも手段にこだわれば、小さなラスタを家畜小屋で育て睡眠時間を削り、ミルを危険に晒す日々は、その分だけ延びる。
竜人少女自身はどちらを望むのだろう。
自分のこの選択が本当に正しいのか、ナギは自信が持てない。
「――――――――――――――――」
急がないと。
室内に視線を走らせながら、ナギはラスタの目隠しに手を伸ばした。
そして二人は、ほとんど同時にそれに気付いた。
「――――――――――――ナギ。」
「ラスタ」
思わず声を掛け合う。
部屋の左側の腰高の棚の上に、大きな絵がある。ろうそくの灯は、辛うじてそこに届いていた。
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