192. 闇夜の捕り物
パタン。
木の窓が開く音がして、一面の闇の中に炎の色が増えた時、ナギとラスタはすぐには事態を飲み込めなかった。
「マッカ様?!」
窓の開く音と重なるようにガチャリと扉の開く音と男の声がして、暗闇に次々と灯が現れる。
開けられた窓と扉は二人からずっと離れた広場の端に近い辺りで、一瞬前まで存在しなかった炎の色が、そこから石畳の上に落ちた。
少年と竜人少女は視界の左端に変化が生じることを予期していなかった。
鐘が鳴らされた時、二人の注意の多くは鉄柵の向こうの灯の中に浮かぶ扉に向いていたのだ。
新たに生まれたオレンジ色の島から一つ二つと、虫が飛び立つように揺れ動く灯が離れて行く。
三つの灯が二人の足の下で広場を横切り、鉄扉の前の馬の方へと駆けて行った。
待機していた――――――――――――――――?
闇の中の村はすっかり寝静まっているように見えたのに。
鐘が鳴らされてから灯が出て来るまでほとんど間がなかった。あれは鐘の音を聞いてから火を灯したんじゃない。二人の理解が遅れた理由のもう一つは、鐘の音に対する反応があまりに早かったからだ。
それだけではない。
理由はまだもう一つある。
「マッカ様?!こんな時間に……?!」
「何か……?!」
動揺を帯びた声が馬上の老人に問い掛けている。
馬上の老人と三人の男達がオレンジ色に照らされていた。三十歳前後に見える男達は革張りのランタンの他に、斧を持っていた。
ナギの思考を数瞬奪ったのは、その斧だ。
薪割り用ではなかった。柄が長く刃が小振りな、あれは戦斧だ。しかも三丁とも同じ形に見える。
家族には思えないし、揃いで設えられた斧を持つ男達は、偶然寄り集まったような者達でもないだろう。
村に夜間の見張りがいる……?
何も知らずに、つい今しがたまでナギは広場を歩いていた。
ぞっとする思いで少年は地上を見つめた。
冷静でいたいのに自分の肩の強張りは、ラスタに伝わってしまっているかもしれない。
どちらが保護者か分からない思いがするが、小さくて温かな手と体を覆うような竜人少女のさらさらとした髪の気配が、今少しだけ落ち着きを与えてくれていた。
「マッカ」……?
ヴァルーダ語もヴァルーダ人の名前もよく分からないナギは、ぱっと聞き齧っただけの名前が正確に聞き取れている自信がいつも持てない。
でも老人は、そう呼ばれたように聞こえた。
伏せるような姿勢で馬の背に跨る老爺は、焦りも動揺も見えないゆっくりとした動きで暗闇を鞭で指した。
「組合の右横に誰かおるやもしれぬ。」
「………!」
そのまま立ち去りそうにすら見えていた老人の的確な行動が、少年に恐怖を与える。異変の報せに即座に対応する者達の存在も。
「組合……?!」
「見て参ります。」
灯と声は数瞬おろおろと揺れ動いた後、やがて連携を取って動き出した。
「後ろへ廻る」
「お前はあっちへ」
ほんの数分前まで二人がいた場所を火の色が取り囲んだ。
その輪が細く絞られて行くのを、少年と竜人少女は空から見つめていた。
移動した方がいいかもしれない。
激しい緊張を感じながら、ナギは周囲を見回した。
人間が宙に立っているとは思わないだろうが、上を向いてよく見れば、星明りを遮る存在があるのは分かる。
そして左後ろを見た時、少年ははっとした。
あれは………
黒い海の中を灯が動いている。
こちらに向かっている。かなり急いで見えた。
ラスタも気が付いたらしい。
「ナギ………」
「うん。」
もしかして。
広場に着いた時に、遠くで道を横切る灯りを見た。灯はその方向から来ている。
もしかしてあれも仲間だったのか?!
「―――――――――――――――――――――」
鐘の音を聞いて合流しようとしているのかもしれない。
「誰かいたか?」
「いや」
「もう少し探そう」
少年と竜人少女の真下で三人の男達が灯を突き合わせて騒ぐ。向こうから来る灯ももう広場に着きそうだった。
……他国から攻められていると知って警戒させていた?
でも多分、トラム・ロウの氾濫のことは村にはまだ知らされていない。
少年は右手の中に顔を伏せた。
―――――――――田舎の村でも夜間の見回りくらいは行っているのだ。
今夜はもう、村で行動するのは危険だろう。
それどころか当分村の警戒は強くなってしまうかもしれない。
―――――――――そしてもし戦争になったら、その後は村も館もどうなるか分からない。
カッ……
蹄の音が聞こえて、ナギははっと顔を上げた。
カポッ、カポッ………
「………?」
馬が動き出している。まさか館に帰るのか。
「帰るのか?」
肩の上の小さな少女も呟く。
老人の通報で出て来た男達がまだ動き回っているのに。
気付いた男達も戸惑っているようだったが、腰の曲がった男は振り返りもしなかった。
本当に帰ってしまうらしい。
「あとは一人でやれ」とばかりに放置されることは奴隷の少年にとっては珍しいことではなかったので、実はそれ程不思議な感じはしない。
見つめていると、ちょうど広場に辿り着いた灯が馬と行き会った。現れたのはやはり男らの仲間だった。事態を把握しようとする斧を持つ男に、老人は煩わしげに鞭で「組合」の辺りを指し示した。
「ナギ。移動するか?」
そのまま遠ざかって行く馬を少年が見送っていると、頭上から少女が尋ねてきた。ラスタも星明りが気になっていたんだろう。
「うん……」
応えながら、ナギは捜索を続ける男達に視線を移した。
老人にぞんざいに指示された男が仲間に合流して状況を訊いている。
少しの間見ていたが、捜索の人間はそれ以上に増えることはなかった。
辺りを見回しても他に動く灯は、去って行く馬の鞍に吊るされた灯くらいだ。
「ラスタ―――――――――――――――――――――」
◇ ◇ ◇
「おいっ!」
男の一人が灯りを指差して仲間を呼んだ。その途端、朱い灯は走り出した。
「逃げたぞ!」
「ほんとにいたのかよ」
かなりの距離がある。だが黙って見逃す訳にもいかない。
斧を持つ男達は一斉に灯の後を追って走り出した。
館の反対の方角の村の出口に向かって、闇の中を逃げる灯と追う灯が連なる。
やがて広場は静かになった。
◇
きぃ……
小さく木の扉を開ける。少年はそっと中を覗き込んだ。




