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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
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186. 鉄の箱

 がしゃんっ!!


 金属がぶつかり合う激しい音。


 驚愕した表情で、ラスタがばっと振り返る。


 「血の気が引く」とはこういうことを言うのだろう。心臓が凍り付いたように冷たくなって、全身の筋肉が固まる。


 胸に痛みが走る。


 ナギは金庫を落としはしなかった。

 両手と自分の胸で、少年は鉄の固まりが滑り落ちるのを防いだ。


 だが金庫の中で物が跳ねることまでは防げなかった。



 肋骨にひびくらいは入ったかもしれない。



 でもそんな痛みに構っている余裕はない。

 ろうそくのの中で息を潜め、少年と竜人少女は扉を見やった。

 今の音が扉の外にまで聞こえたか、分からない。




 音のない数瞬。





「―――――――――誰かいるか。」





「――――――――――――――――――――――」

 自分の血管が脈打つ音がした。

 片膝を付いた姿勢のままナギは鉄の固まりを押し戻し、そっと元の位置に収めた。



  クライヴじゃない。



 ハンネスの声でもなかった。

 聞き覚えはある。使用人の一人だと思った。


 使用人がこの部屋の鍵を持っているのかは分からない。だがヘルネスやクライヴに話が伝われば、ここを調べようとはするだろう。外の男が鍵を持っていなかったとしても、稼げる時間は長くはない。


  今すぐろうそくを消したい。


 衝動的にそうしそうになるが、棚とカーテンを元通りにするまで駄目だ。



 ラスタも事態に対応しようとしていた。


 拡げた紙を元通りに畳もうとしていたが、少女はすぐに手を止めた。

「うむう……」

「――――――僕がやるよ。」

 燭台を手に戻ったナギが、ラスタの隣に座る。小さな竜人は賢明にも、紙を破る前に思い止まっていた。


「すまぬ……気付かなかった。」

 状況をしょんぼりと謝罪する少女に、ナギは無言で首を振って応えた。


 ラスタが悪いことなんて、何一つない。


 ラスタが物を透かして見えるのは「見ようとした時だけ」であることも、その方向に視線を向けなければいけないことも、聴かされていた。館の人間達が全員部屋にいると侵入前にどれだけ確認していても、誰かが起き出してくる可能性は常にあることも分かっていた。でも自分がその危険性を、どこか甘く考えていたのだ。



 息が苦しくなる静けさ。



 廊下で人が動いている気配はあるが二度目の誰何すいかの声はなく、扉の向こうで何が起きているのか、ナギには分からない。


「外に二人いる。今少し向こうの部屋を見てる。」



  二人。



 万一闘うことになったら、二人を相手にしなきゃならない。


 懸命に紙を折っていく。


 紙を破ってしまったら取り返しが利かない。焦る気持ちを必死で抑えた。



 かしゃ、かしゃ…………



  これで最後。


 最後の紙を折り終え、住所録を閉じる。


「ナギ!隣の部屋まで来てる。」

 相棒の報告を聴きながら、ナギは急いで棚の方へ戻った。

 真っ先に住所録を戻し、それから手紙の束と書類の山を元の場所へと収めて行く。


  あとはカーテンだ。



 ガチャッ


 棚の前で、ナギははっと扉を見やった。


 扉のノブが回されている。


 もし向こうが鍵を持っていたとしてもラスタが時間を稼いでくれるだろうが、もうぎりぎりの状況だと思う。



 だがノブの音がしたのは一度だけだった。



「別に何もないだろ。」

「あぁ」

「もういいだろ。」

「あぁ」


 扉の向こうから気怠けだるげなやり取りが聞こえて、それから人が立ち去って行く気配がした。


 「お前のくしゃみの方に驚いた」とか言う会話が微かに聞こえる。

 竜人少女の青い瞳が、壁の外の人間達を追っている。


「………行ったぞ。」


 そう告げられた時、ナギの全身からどっと汗が噴き出した。


 あとで分かったことだが、館では毎日、夜間の巡回が行われていたのだ。

 この日の当番の熱意の低さに、二人は助けられていた。



  また最初からやり直しだ―――――――――――――――



 今自分で閉めたばかりの扉をナギは見つめた。


 今日の目的はまだ一つも果たせていない。

 だが「安全に作業できる時間」は、自分が思っているより少ないのかもしれない。



  あいつらの居場所を突き止めるために残している期間は、もうほとんど

  ないのに。



 ミルとラスタのことを考えると、脱出は夏より先に延ばせない。



先刻さっきなんで金庫を出したんだ?」


 隣に並んだ小さな少女にふいに尋ねられ、その謝罪がまだだったと少年は思い出した。


「ごめん……金庫の後ろに何か見えて」

「金庫の後ろ……?ああそう言えば、貴族名簿みたいなものがあったな。」


  貴族名簿。


 奴隷商人のことが記されているとは思えない。

 余計なことをして危険を作ってしまったと、申し訳なくなる。


「ごめん……」

「わたしこそ気が付かずに悪かった。」


 落ち込む小さな少女の大人のような口振りに、ナギは少しだけ微笑わらった。



 結局ナギは、もう一度棚を開けた。


 ラスタにも無理をさせてしまうが、今夜のこの機会はやっぱり逃せない。


 少し迷ってから、ナギが最初に手を伸ばしたのは金庫だった。

 貴族名簿が気になったのではない。


 鉄の重量のせいで胸の痛みが強くなったが、そんなことに構ってはいられない。


中身なか、大丈夫かな?」


 猶予がないと思えて棚にそのまま戻した金庫だったが、落としかけた時に中の物が跳ねる音がしたことが気になっていた。中が乱れていたら、何もなくなっていなくても騒ぎになりかねない。


 尋ねられた竜人少女は、だが小首を傾げた。


「大丈夫そうに見えるが…………どう納まっているのが正解なんだ?」

「………」


「開けて貰える?」

 時間が長引く程危険になると承知で、ナギは少女にそう頼むことになった。

 「正解」が分かる自信は、ナギにもなかったが。



 がちゃり……



 床に置いた金庫を二人で覗き込む。

 オレンジ色のの中で、硬貨が鈍く光る。

 ヴァルーダに三種類の銅貨があることを、ナギはこの時に初めて知った。


 金庫の中は五つに仕切られていて、手前で横並びに並んだ大きな三つの升にサイズ別にされた銅貨が仕舞われていた。奥側の横二列に並んだ細長い升には、やはりサイズの異なる銀貨が分けて仕舞われていたが、銀貨は全部で五枚だけだ。

 金庫の中は、ほぼ銅貨だけだった。

 ナギに馴染みがあるのは、中でも一番小さい銅貨だ。


 それぞれの種類は混ざったりしていなかった。金庫の造りが精密なのだろう。

 大丈夫そうだと思い蓋を閉めようとした時、少年はそれに気付いた。



  深さが足りない―――――――――――――――



 外見そとみより升の深さがない。



  二重底?



 必要があると思った訳ではない。ただ金庫の蓋まで開けたついでと思えて、ナギは仕切りの部分を両の指で摘まんでそっと持ち上げてみた。銅貨が小さく音を立てる。五つの升が浮く。


 やっぱり、二重底だった。


 上の段をそっと金庫の右横に降ろす。


 下の段に入っていたのは書類だった。



  なんの書類だろう。



 今これを追究すべきか少年が逡巡した時。





「ナギ」





 ラスタが硬い声を上げた。


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