185. 扉の中の秘密(2)
タキ。カナタ。ヤマメ。クヌギ。コタ…………
仲間達の姿が脳裏で一気に甦る。
これであいつらの行方を突き止められるかもしれないと思うと、息が苦しくなった。
一つ一つ、慎重に紙を開く。
継ぎ足しの紙はページの下や横や、時には上にも貼られていて、長さがあると蛇腹状に折られてさえいた。無茶な綴じ方は紙束を構造的に痛め付けていて、気を付けないとどこかが破れてしまいそうだ。
ラスタが読めない筈だ。何十年前からの記録なんだろう。
もしかしたら百年以上分あるのかもしれない。
もうこの世にいない人間の名前もたくさん含まれていそうな気がする。
ただ「眺める」のと「読む」のとは違う。紙の両面に字が書かれているだけで、ラスタは居場所を変えて二方向から紙を見なければならない。いくら物を透かして見えるとは言っても、棚の外からこれを読むのはあまりに大変だろう。
オレンジ色の闇と静寂の中で、ページをめくる音と、紙を開くかしゃかしゃという音だけが断続的に響く。
心臓は痛い程速く打つのに、作業の緩慢さとリズムが合わない。神経が参りそうになり、ナギは途中で一度手を止め、肩で息を吐いた。
「ごめん、待たせて―――――――」
手を止めたついでに、顔を上げて気が付く。
少年の右側にちょこんと座り、大人しく作業を見つめていた竜人の少女が、浮かない表情をしている。
ナギが言葉と動きを途切らせると、ラスタはすぐに反応してくれた。
「うむ………どれも名前と住所は書かれているんだが………例えばこれは『石工』と書かれているが、こっちのは何も書かれていない。『奴隷商』とか、ちゃんと書かれていればいいんだが。」
住所録を指差して、竜人少女が懸念事項を説明してくれる。
「―――――――――――――――」
情報を獲れる機会が増えると考えて、ナギはヴァルーダ文字をラスタに少しずつ教えて貰っていた。ラスタに事前にそう聴かされていたというのもあるが、だからこの住所録が名前順に並んでいるのはナギにも分かった。紙があちこちに貼られているのは、多分後から増えた名前も語順を守って並べようとしたからだ。
職業別とか身分別に並んでいないのだから、あの奴隷商人の名前が分からない限り全部のページをめくって探すしかないし、奴隷商人と分かる記述がなければ、全部のページをめくっても商人の居所は分からない。
「―――――――大丈夫。もし分からなくても、がっかりしないから。」
沈んだ表情の少女にそう告げる。
「これだけで諦めないよ。」
ナギが微笑むと、ラスタの表情もようやく明るくなった。
「うむ!」
そう言って頷くと、小さな竜人は笑った。
もちろん、ここで奴隷商人の居場所を突き止めたいと強く思ってはいる。
畳まれたヵ所を開き終えて竜人少女に託した時、少年は体じゅうの内臓が締め付けられるかのような感覚を覚えた。
「………頼むよ、ラスタ。」
「――――――――うむ。」
少年が静かに場所を換わると、竜人少女は壊れそうな紙束を慎重にめくり出した。
思っていたより時間が掛かりそうだ。
意外な躓きに、胃が痛くなる思いがする。
透かして見るのと違ってページを見開きで見て貰えてはいるが、その優位性があまり活きそうにない。
商人の居場所が判明する瞬間を待っていたい思いはあったが、ヴァルーダ語が読めない自分が作業を見守っているのは時間の無駄だ。
「僕は手紙を見るね。明かり、貰うよ。」
「ああ」
すると作業中だったのに、ラスタはわざわざ顔を上げて明かりを「動かして」くれた。
また手を煩わせるつもりはなかったのだが、床面ぎりぎりの低い位置で物を動かせる力は、こういう時にはありがたい。
「ありがとう……。」
お礼を述べて、ナギは床を滑って行った燭台の後を追った。
橙色に包まれる幾つもの紙。再び棚の前に立った少年は、もう一度物の配置を確認した。深く息を吸って、吐く。
そしてナギは、帳簿の横に平積みにされている紙の山を引き出した。
今夜のもう一つの目的―――――――――手紙の束。
積まれた書類の後ろに、紐で十字に縛られた封筒の束が見えている。
あれが見たい。
三つの書類の山を引き出し、棚に置かれていた通りの配置で床に並べる。
元通りに戻さなきゃならない。
山を崩さないように気を付けた。
それから何度も繰り返した館への侵入を、ナギがラスタ任せにしなかったのには幾つか理由がある。
この夜も、無意味に危険を冒したわけではなかった。
竜人少女の実年齢はまだ1歳で、この時は人の姿になってからはまだ三カ月しか経っていなかった。そしてナギはラスタを、人間のための生活道具がほぼない場所で育ててしまった。おまけにラスタは、大抵のことを手で触れずにこなしてしまう。
多分そのせいだと思うが―――――――――いや絶対にそのせいだと思うが。ラスタはひどく不器よ―――――――――――現在のところ少しだけ、細かい手作業が得意じゃないのだ。
手前の書類をよけると棚の奥に腕を差し入れ、ナギは蝶結びに縛られた封筒の束を手に取った。
何度もラスタの作業を中断させるのは悪い。
二つの封筒の束を左手に持つと、ナギは今度は自分で明かりを運ぼうと身を屈めた。
棚からあまり離れたくはないが、窓の近くに灯を寄せたくもない。
矛盾する二つの必要の落としどころとなった場所が、執務机の横だった。ナギが棚の中を見る時以外は、明かりは机の向こう側の床の上に置こうとラスタと打ち合わせている。
「―――――――――――――――――」
しゃがんだことで、それが目に入った。
手提げ金庫の後ろに、何かある。
箱状で、横幅は手提げ金庫と同じくらいだったが、厚みは三分の二くらいしかない。
なんだろう―――――――――――――金庫?
ろうそく一本の明かりでは弱くて、よく見えない。
ナギは相棒を見やった。
「うむう……」
煌めく長い髪を邪魔そうに肩によけながら、後ろ姿の少女は住所録をめくり続けていた。
少年は手紙の束を床に置いた。
本のように見えた。
あれも帳簿か、住所録かもしれない。
この棚の中を何度か見ている筈のラスタから、金庫の奥にある物の話を聞かされたことはなかったけれど―――――――――――――気になった。
金庫に手を伸ばす。
鉄製なので、重い。
両手を使って、ナギは静かにそれを引き出した。
と。
「……ッシャンッ!!」
何かが破裂したかのような大きな咳が聞こえた。
「!!」
廊下に誰かいる。男だ。
全身がびくりと跳ね、その瞬間、鉄の固まりがナギの手から落ちた。
 




