184. 扉の中の秘密
無理をさせている――――――――――――分かっていて。
夜に寝るのも、子供が大人より睡眠を必要としているのも、竜人と人間にあまり変わりはなさそうだと、ラスタを見ていて薄々分かっていた。
だが。
「あの白髪の男がやっと早くに寝たんだ。絶対に今日調べるぞ。」
オレンジの灯の中できっぱりと竜人の少女に言われた時、葛藤の強さの分だけ胸が苦しくなった。
自分を見張り続けているクライヴを、ナギもラスタに偵察して貰っている。
そうして知ったのは、毎日ではなかったものの、他の人間達が寝ている時間に館の一階や家畜小屋の近くを見て廻るクライヴの様子だった。
見廻りは行われない日も多かったが、そんな日でもクライヴの就寝は遅い。年寄りはそうなりがちなのだろうが、老臣の睡眠時間は、随分と短いようなのだ。
そんなクライヴが今日は珍しく早くに床に就いた。その理由までは二人には分からなかったが、実はゴルチエ家の使者への対応で気疲れしていたせいである。
脱出期間と定めた夏が迫る中、もう一度こんな機会が巡って来るのか、分からない。
時間がない――――――――――――――――――
胸でちりちりとくすぶる罪悪感を、ナギは消すのではなく、丸ごと吞み込んだ。
「……ありがとう。」
「ごめん」ではなく、そう告げた。ラスタが望んでいるのは、謝罪の言葉ではないと思ったからだ。
「うむっ。」
暗がりを僅かに照らすだけの乏しい灯を圧倒する眩しさで、小さな竜人が微笑う。人間の少年はその時、胸に激しい痛みを感じた。
せめてヴァルーダ語が読めれば、ラスタにこんなに負担を掛けずに済むのに。
棚に向き直る。
この作業を急ぐことが、自分に出来る唯一のことだった。
「ラスタ――――――――明かりを寄せてくれる?」
「うむ。」
書斎机の反対側で灯りが動く。五本のろうそくが挿された燭台が、音もなく床の低い位置を滑って来て二人と棚の間に着地した。以前と同じに、火が灯っているのは一本だけだ。
窓に近いこの場所に明かりを寄せれば危険は増すが、そうしなければ人間のナギには棚の中が見えない。
暗かった棚の中が、揺らめく橙色に染まる。たくさんの物が姿を現した。
見つかれば終わりだ。
強い恐怖。表情が強張る。
と。
「わたしはすっごく楽しいからな。」
「え?」
予期していなかった明るい声に驚いて、ナギは再び少女に視線を転じた。
「ナギと外に出られるのはすっごく楽しいぞ!」
「―――――――――――――――――……!」
やっぱり、「ごめん」と言いそうになった。
笑顔の竜人少女に胸が締め付けられる。
この館を出なければ、ラスタと昼の世界は歩けない――――――――――
「灯り、ありがとう。」
先刻と同じお礼を繰り返してから棚に向き合い、一度だけナギは深呼吸した。
オレンジの灯の中で、床置きの大きな金庫が鈍く光っている。その上の段に手提げ金庫と数個の革袋があり、その更に上の段に、帳面や紙の束が大量に収められていた。何冊も並んでいる同じ装丁の薄い冊子は、見た目の印象通りにやはり帳簿だった。
物の配置を正確に覚えなければならない。
数秒棚を見つめる。それから小さな相棒に尋ねた。
「ラスタ………住所録はどれ?」
「帳簿の上だ。」
言われてナギは、その位置に目を向けた。
やや乱雑に紐で綴じられた、台紙に挟まれた紙束がある。棚の左端にもたせ掛けるように立てられていたその台帳に、少年は手を伸ばした。
この棚の中の帳簿に、ナギが必要としていた情報はないと既に分かっている。
何か違和感はあったのだ――――――――――――――――
一階の、門に面した窓際の金庫。
家の財産を保管しておく場所としては、不用心過ぎる。
「領主の部屋にも金庫がある」とラスタに教えられた時に、ナギは状況を理解した。
この部屋で管理されているのは恐らく日々の些細な入出金――――――――館の毎日の生活費のようなものだけなのだ。
ラスタが調べてくれた帳簿に、ナギとミルが買われた記録はなかった。
ヴァルーダ人の帳簿の付け方などナギはもちろん、ラスタも把握していなかったが、幸いにしてここにある帳簿は、日々の出金と入金を日付けごとに記録しているだけの単純なものだったらしい。
ラスタに姿を消して部屋に入って貰い、棚の外から透かして見て貰うだけで、その日の記録は解明することが出来た。
今から調べるのは帳簿じゃない。
綴じられた紙が多過ぎて膨らんでしまっている台帳を、慎重に取り出す。
今夜の目的の一つ。
住所録。
ともすると分解してしまいそうに膨れた紙束を持ち、ナギは少しだけ移動した。竜人少女に面倒を掛けてしまうが燭台ももう一度動かして貰い、二人は机の横辺りでしゃがみ込んだ。
床の上に台帳を置く。
これで奴隷商人の居場所に―――――――――仲間達の居場所に、辿り着けるかもしれない。
「開くよ。」
「うむっ。」
胸が激しく打つのを感じながら、ナギはそれを開いた。
一ページ目の裾は、いきなり折られていた。
書く場所が足りなくなったようで別の紙が継ぎ足されていて、継ぎ足された部分が折られていたのだ。
ラスタから聴かされていた通りだった。こんなページがこの台帳には何カ所もあると言い、そのために、ラスタが透かして読むのが困難だった。
折られた部分を開いてから、ナギはページをめくった。




