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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
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182. 貧乏領地の異常な婚礼


「おい……嘘だろ……?」


 思わず呟く――――――――――――と、いうよりあえいだ。

 

 小さな机の半分を覆う大きな紙に伸ばす手が震える。

「?!」


 まさか数字に震えることがあろうとは。


 プライドが傷付く思いがしたが、貧乏領主の金銭感覚は父親から自然に引き継がれ、いつしかハンネスにも染み付いていた。

 手にした紙の左端がくしゃくしゃと鳴る。震えのせいで、力が上手く加減出来なかった。


 ハンネスが手にしたのは、四枚の紙を縦横二枚ずつの形に貼り合わせて作成された一覧表だった。そこに書き出された品目と金額を紙面を震わせながら見渡してみたものの、少なくとも一見して分かるような間違いは見付けられない。


「何か間違ってるんじゃないのか……」


 一縷の望みを賭けた跡継ぎ息子の声は、今にも悶え死にしそうに掠れていた。


 紙四枚を費やしてまとめられていたのは、ひと月後の婚儀関連の費用だった。

 一時的な巨大支出の総額を把握するために、今月や来月に支払いが予定されている関連費が一覧にされたのである。

 金額の総計が、四列に渡る一覧表の最後に記されている。


 たった四日間だというのに、花嫁と随行者達をもてなすための費用は、信じられない程の額に達していた。



 領主の息子に疑念、というより、切実な願望をぶつけられた老人が大きな紙を無言で引き取り、父子おやこの目の前で再計算を始める。

 ハンネスのはす向かいに座るその男は一覧に書き移す前の領収書と請求書を束にして持っていて、束をめくっては、新しい紙に黙々と数字を書き起こし直した。


 いつ天に召されてもおかしくなさそうな年齢としに見える男は、ハンネスの祖父の代からここに仕える最年長の使用人である。若い頃には戦場にも出ていたらしいが、声を出すのも億劫になりつつあるのか、近頃ではほとんど喋らない。ヘルネスは領地の経理処理をこの男に手伝わせており、老人は、ブワイエ家の家族以外でこの部屋に入ることを許されている唯一の人間だった。


 今だけはそうでない方がよかったが、残念ながらこの年寄りが計算を間違うことは滅多にないとハンネスも知っている。


 恐ろしいことに、婚礼関連の費用は、だがそれで全てはなかった。老僕の持つ紙束に含まれていない書類が、小さな机にはまだ何枚も広げ置かれていたのだ。




 厩舎の増設費用。婚礼衣装代。窓の修繕費。文通費と代筆屋の雇い賃と…………




 それらの費用と一覧表の金額を足し合わせると、なんと、領地の一年分の収入を超えていた。



 

 恐る恐る、ハンネスは向かいに座る父を見上げた。体がじっとりと汗ばんでいる。


「なにか削らないと………」


 半ば呆然としながら息子がそう言ったのは、それが父がこんな場合に必ず口にする台詞せりふだったからだ。



 削りようはある。


 酒のランクと本数はもっと落としていいし、料理の皿数さらかずだって、幾つか減らした所で分かりはしない。普段のへルネスなら真っ先に削る項目だろう。



 だが。



「このままで構わん。」

「父上……?!」


 落ち着き払った様子の父を見返し、ハンネスは絶句した。


 構わん訳がないだろう。


 見たことがないような鷹揚さで父が様々な発注をしているとは思っていたが、いくらゴルチエ家の娘を迎えるためとは言っても、大盤振る舞いし過ぎだ。



  父上はどこかおかしくなったんじゃないのか。



 わずかな出費にもうるさかったこれまでのヘルネスとは思えない。



 老僕はまだ数字を書き起こしていて、狭い室内にはペンを走らせる音が聞こえ続けていた。老僕の後ろの扉の中は巨大な収納だが、領主の部屋の中にせり出すように造られているこの小部屋自体は、相当に狭い。小さな机に三人が腰掛けているだけで部屋の面積のほとんどを消費していて、今日はそれが酷く息苦しかった。


 と。ヘルネスが再び重々しく口を開いた。

「ゴルチエ家の娘をめとれるのなら、これくらいの痛手は止むを得ん。ゴルチエ家との繋がりは我が家の将来を変える。」



 繋がり?将来?



 父の言うことが理解出来ない。



 ハンネスは今、むしろ自分が継ぐべき家がなくなってしまうのではないかという不安に襲われていた。






 父の部屋を出たハンネスは、ふらふらと廊下を歩き出した。


 この婚礼に家を傾けかねない程の費用を掛けるのだと思うと、凄まじいプレッシャーを感じた。

 手紙の一行すら書いて寄越さないあの女と上手くやっていく自信などないのに。


 そもそも「王国のもう一つの王家」と呼ばれる家の娘が、ここに嫁いで来ることが異常なのだ。



  何か色々とおかしいだろう。



 ハンネスはさとくはなかったが、極端に愚鈍という訳でもない。

 自分の結婚だというのに自分が知らされていないことが色々ありそうだとは分かっていて、何度か父を問い詰めもしていた。


 息子に追及された父は、隠し事の存在は認めた。だが肝心の内容は明かさなかった。


「いずれ話そう。今はとにかくアメルダ嬢との仲を深めることを考えろ。」


 そう言われたまま、月日が過ぎている。



 不安と不信が胸の中でどろどろとうねり、むしゃくしゃする。


 じき日が暮れる。

 もう一度乗馬に出るには遅い。だが何かで発散せずにはいられない気分だった。

 

 感情のぶつけ先を探して、領主の息子は苛々と階下に降りた。数人の使用人と擦れ違いながら、玄関ホールに辿り着く。


 物を壊せば大ごとにされかねないし、理由もなく使用人を殴る訳にも、と苛立ちながら周囲を見回した時に、ハンネスは奴隷の少年を思い出した。



  あいつなら。



 まるで用意されていたかのように、奴隷と牛はちょうど小屋に帰って来る時分だった。


  働くのに支障が出る程痛めつけるのはまずいが、数発入れるくらいなら

  問題ねえだろ。


 昂ぶる感情に流されるまま、領主の息子は手ずから玄関の扉を開けた。


 冷気がひやりと肌を包む。日差しが力を失い出していて、気温は随分下がっていた。鉄柵と開け放たれた門の向こうに麦畑があり、領民達が帰り支度をしているのが見える。

 奴隷の姿はない。

 牛を迎えなければいけない少年奴隷は、いつも領民達より先に麦畑を後にするのだ。



  ぴったりいい時間だ!



 今ならあの奴隷は一人で小屋にいるかもしれない。

 ハンネスは家畜小屋の方へと急いだ。だが木戸近くまで来た時、向こう側からやって来る意外な人間の姿に出くわした。

 

「ハンネス様?こんな時間からどちらへ?」


 クライヴが急ぎ足で来て木戸を開け、あるじに一礼する。


「お前こそこんな所で何してるんだ?」

「……()()の様子を見に参りました。」

「家畜を?お前が?」


 養育係が家畜を気に掛ける必要はない。

 跡継ぎ息子は困惑して、木戸の向こうと老臣を見比べた。

 

「アメルダ様のお輿入れ前に念のため確認を………おお、そう言えば。アメルダ様へのお返事を書かせて参りましたので、お目通しください。」


 ここでもその名を聞かされて、ハンネスは顔をしかめた。だが養育係に促されて、腹立たし気にきびすを返すと、怒りを地面にぶつけるかのような乱暴な足取りで道を戻った。


 使者は明日の朝一で発つ筈で、返事を用意しない訳にはいかなかった。






◇ ◇ ◇


「あの白髪の男はどうしてあんなに仕事熱心なんだ?」


 暗闇で青い光がぼやく。



  まったくだ。



 無言で頷き、ナギは冷たいハンドルに手を掛けた。



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