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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
181/239

181. 手紙

◇ ◇ ◇


 腰を低く折ったクライヴが、あるじに恭しく封筒を差し出す。

 顔をしかめたハンネスに親指と人差し指の二本の指だけで摘ままれた手紙は、そのままポイ、とその目の前のソファテーブルに放られた。


「ハンネス様……」


 忠実な老臣に咎めるように言われたハンネスは苦々しげに、だがもう一度封筒を手に取った。


 心底面倒だった。


 だが養育係は「目を通せ」と表情で訴えている。

 体を背もたれに深く預け、左足の裏を見せるように無作法に足を組むと、領主の息子はなんとか面倒に向き合った。



 昼食後に二時間程乗馬に出て、帰宅してみるとゴルチエ家からの使者が来ていた。



 ヴァルーダには大陸一と自負する公共の優れた配達機関があり、一般庶民から貴族までもがそれを利用しているが、重要だったり格式が重んじられるようなやり取りにはその都度使者を立てるのが、今でも上流階級の当たり前だ。


 遠方で会うことがままならない婚約者と、ハンネスは今日まで手紙のやり取りを重ねている。使者と馬の道中の宿代と食事代が掛かるため、一年の手紙のやり取りだけで、要した費用は莫大だ。


 白い封筒には、すっかり見慣れた優美な封蝋が施されていた。手渡しゆえに特に糊付けもされておらず、封筒の開け口を留めているのは、水仙の絵を刻印した赤紫のその蝋一ヵ所だけだった。

 ペーパーナイフを出す気にもなれず、封蝋の下に指を差し込むと、ハンネスは無遠慮に蠟を割って中身を取り出した。


 手紙はいつも、香り袋と一緒に運ばれて来ているのだろう。封筒と三枚の便箋からはあでやかな香りがしていて、優雅な筆跡の文字がびっしりと書き連ねられていた。



  領地では今アネモネや水仙の花が咲き出しております。

  天気の良い日にはよく庭を散策しておりますが、ご一緒出来ればどんなに

  よいでしょう。

  直接お会いすることが一度しか叶わぬまま季節が進み、じきあなたの許へ

  嫁ぐ日を迎えます。不安や心細さがなかったと申し上げれば嘘になりますが、

  この度の真心の籠った贈り物が、どれ程私を力付けてくれたことでしょうか

  ――――――――――――――――



 最後まで集中力を保てる気がせず、一枚目すら読み終えぬ内に、領主の息子は便箋を放った。


 綺麗で表面的な言葉ばかりが並べられたアメルダからの手紙は、女性と密に文を交わしたことなどないハンネスでも気付く程あからさまに代筆だ。


 馬鹿馬鹿しくて、ここ最近の婚約者からの手紙は、ハンネスはろくに読みもせず放置している。



 婚儀は一カ月後――――――――――――――。

 手紙を交わすのはこれが最後かもしれないと言うのに、また全文代筆であったのか。



 クライヴが再度主人を咎めることはなかった。状況を察した老臣も、ただ苦い表情で、机上に放られた便箋を見降ろしていた。


 とは言え、帰って行く使者には返事を持たせるのが一般的であるので、このままという訳にもいかない。


「ハンネス様、お返事を――――――」

「いつもの奴に頼んでおけ。」

「ハンネス様」

「父上に呼ばれている。月末だからな。」

「――――――――かしこまりました。」


 ハンネスは既に立ち上がり、部屋を出ようとしていた。養育係もあるじの婚約者からの手紙を回収し、その後に従った。



 ハンネスからアメルダに宛てる手紙も代筆だ。だがそれが問題になることはないだろう。おそらくアメルダも、婚約者からの手紙を読みもしていない。


 つまり両家は多額の費用を掛けて、誰も読まない手紙を送り合うという、馬鹿げた無駄遣いをしているのだった。



 一応ハンネスは、最初の二回程は直筆の手紙を書いたのだ。

 文筆の専門家を雇って添削を受けながら手紙を書き上げ、未来の妻との距離を少しでも縮めようと彼なりに努力した訳だが、未来の妻からの返信は、通り一遍の言葉を並べ立てた代筆ばかりだった。


 三通目からはもう自力で書く気になれなかった。

 結局手紙の添削のために雇った文筆家を、ハンネスはそのまま代筆屋として使っている。



  ―――――――――――婚儀までもう一カ月だというのに。



 ゴルチエ家の娘に、ハンネスと親しもうとする気持ちは見えなかった。


 一年前の顔合わせの時、露骨に不本意そうだったアメルダが、自分を見て更に失望したような表情かおをしたことは忘れられない。結局アメルダは、滞在中に一度の愛想笑いすら見せなかった。


 何が「ご一緒出来ればどんなによいでしょう」だ。


 だがさすがにアメルダも貴族の娘として、跡取り息子の妻として、子を成すのが自分の使命と心得てはいるだろう。


 究極的には「領主夫妻としての役割」がこなせればそれでいい――――――――もやもやとした思いはあるものの、それが上流階級の結婚だ。


 ハンネスは養育係と、父の部屋の前で分かれた。




 領地の運営について、ハンネスは既におおむねを父から教えられている。

 毎月月末にはその月の領地の収支を確認する作業があり、それは領主と嫡男の仕事であった。


 もう何十回となくこなした仕事でイレギュラーな事態も一通り経験していたが、この日机上に並べられた領収書や請求書を見た時、ハンネスは頭がクラクラした。


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