18. 嘘
太い右腕がまた上がろうとしている。
ナギはまだ動けなかった。
「ミル……!」
離れて欲しい。
巻き添えにしたくない。
だがミルはしっかりとナギに覆い被さっていた。
本当は部屋で休んでいなければいけない体だ。
あの拳がミルにあたるのだけは避けたい。
立ち上がれなくても、なんとかもう一度転がれれば。
ナギはミルの背中に両手を廻して力を入れかけたが、抗うように、ミルは力を込め返して来た。
ひやりとして、ナギは目の端でジェイコブの様子を確認した。
胸の下まで上がっていたジェイコブの手は、だがそこで動きを止めていた。
小太りの男は数秒、その姿勢のままぎりぎりと歯ぎしりをしていたが、唐突に腕を降ろした。
「片付けとけ!!」
そして怒鳴り付けながら踵を返し、ジェイコブは、どかどかとした乱暴な足取りで竈の前に戻って行った。
「ジェイコブ、やり過ぎよ。」
年輩の女中が、眉をひそめて料理長を諫める。
だがその声と表情に、異国人の奴隷の身を案じる色はなかった。
痛めつけすぎて奴隷が死んだり働けなくなったりしたら、ジェイコブの立場も危うくなる。
ジェイコブ自身、やり過ぎたと気付いていた。
感情が抑制出来ない男がこの時なんとか自分を律することが出来たのは、ナギを二度殴ったことで、幾らか気持ちが収まっていたからだ。だがそれも、三発目を我慢出来る程度に、と言うだけだった。
まだ激しい苛立ちを見せながらモスグリーンのエプロンを外すと、太った男はそれを調理台に叩き付けた。
「ご主人様に卵のことを話して来る………覚悟しとけよ!」
二人の奴隷に吼えるようにそう言うと、ジェイコブは荒々しく台所を出て行った。
何が起きたのか理解出来ず、ミルは怯えと困惑がない混ざった瞳で、料理長が出て行った扉を見ていた。
このまま自分が、卵を割った犯人にされてしまうのだろう。
何ごともなかったかのように鍋に向き直った女中の後ろ姿を見て、ナギは悟った。
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済みません、今日はちょっと短めで、滑り込み更新です………。




