175. 再び「初めての潜入」(2)
ランタンを口許に寄せ、ナギは即座に息を吹き掛けた。
行動の自由を奪う闇は、自分の姿を隠す闇でもある。灯さえ落とせば、人間の自分でも瞬時に姿を消せる。
もしもの時には「上空に逃げよう」と、事前にラスタと決めていた。空中を捜そうと考える人間はいないだろうから、それでほぼ間違いなく逃げられる筈だった。
だが灯は落ちなかった。
「!」
ランタン天面の小さな空気穴に上手く息が入らなかったのかもしれない。
咄嗟にそう思ったが、何か違和感がある。
今、火が全く揺らがなかった。
「ナギ、違う、人じゃない。」
「えっ?!」
ナギは驚いて顔を上げた。
どうやらラスタが火を消させなかったらしい。
でもあの明かりは大きく動いていて、人間が持っているとしか思えないのに。
目を瞠りながらその明かりを見つめ直した時、少年はようやく状況を理解した。
――――――――――――――――――こんな格好の人間は二人といない。
「……酷い……。」
思わず呻いた。
◇
ラスタと話せないとなると、制約が大きい。
村への潜入計画を立て出した時にナギを少しだけ悩ませたのは、姿を消している時や、竜の姿の時のラスタとは会話が出来ないことだった。
二つの青い光が長時間動き回れば、多分ランタンの灯りよりも村人の注意を引いてしまうだろう。
何か方法はないかと考えてみたものの、昼だろうが夜だろうが人の姿だろうが竜の姿だろうが、姿を消している時を除いてはどうしたところで、竜人の少女はどうしようもなく目立ってしまう。
ラスタと話し合ってみると、少女は問題をあっさりと解決して見せた。
「わたしは目隠し越しでも見えるぞ。」
「―――――――――――――――」
その時の自分の顔は、きっとかなり間抜けだったと思う。
人間の感覚に縛られてしまうと、時折こんな見逃しをしてしまうのだ。
ただラスタは、「目隠し」を作ることは出来なかった。
「目鼻と口周りの肌は変形させられない」と、ナギはその時に初めて竜人の少女から聞かされた。
幸い、脱出の装備として確保している布が既に数枚あった。
館の倉庫にあった、おそらくは長いこと仕舞いっぱなしになっていた布で少し変色していたが、質感といい刺繍といい、明らかに上流階級向けの物だ。
ナギは今日、森から抜け出した後にその布を使ってラスタに目隠しをした。万一落としてしまうと問題になりかねないので、「人間の布」は短時間しか使わないつもりだった。
◇
高価なガラス窓が、まさか村にもあるなんて。
人攫いにしか見えない………。
目隠しをした女の子を背中に括り付けたかのような男を数秒見つめた後、ナギは溜め息を吐いた。
「不自由な思いさせてごめん……」
目隠し姿で微笑んだ少女の返事は、ガラス越しに返ってきた。
「すっごく楽しいぞ?」
「………」
森の外でランタンの仄暗い灯りを頼りに目隠しをする時、長い髪を巻き込んでしまいそうでひやひやした。
でも金色の髪と苦闘していると、故郷でハナの髪を梳いてやった時のことを思い出した。
もしかしたらラスタも似たような気持だったのか、その時ラスタは、なんだか嬉しそうだった―――――――――――――――――目隠しなのに。
ラスタの髪を梳かしてやったことがない、と今気が付く。
信じられないくらいに長い髪なのに、竜人の少女の髪は傷んだり絡んだりする様子が全くなかったから。
「―――――――――――――――――――――」
ラスタにいつか、髪飾りを着けてやりたいと思う。
でも人間の衣類は竜人と一緒に消えられないし、獣人の世界に持って行くことも出来なかった。
少年は灯りをかざし、その建物を照らした。




