163. 消えた少女(3)
足場に使えそうな物を、ナギは小屋中から搔き集めた。
心臓が激しく打っている。
気持ちは狂いそうな程に急いていたが、道具なしで扉を破れるとは思えなかった。
落ち着け。
あり合わせの物を積み上げただけの不安定な足場を、鉄枷で縛られた足で登らなければならない。落ちた時には、高さによってはただの怪我では済まないだろう。
そうなったらラスタを捜しに行けない。
落ち着け。
ランタン一つの灯りに照らされたほの朱い小屋の中で、右へ左へと少年は動いた。
鉄の鎖が床を這い、静寂と闇が勝る空間をじゃらじゃらと鳴らす。
安息の時間を乱された牛達が、柵の向こうで少しだけ疎まし気にしていた。
がりっ……。
少年が陶器の甕を最後に置くと、コンクリートの床が削れるような音を立てた。
それなりの重量を示唆する音だが、今のナギにはもう、この甕も大した重さではなかった。
壁際に集めた物の中に、特別重い物はなかった。
それなのに苦しい程に鼓動が速い。
「焦るな。」
目の前のことに集中しよう。焦るな。
そう自分に言い聞かせ、一度息を吐いてから、ナギは天井を見上げた。
ナギが収納を作った場所は入り口から二番目の梁の、南端辺りだった。
小屋の四本の梁の内、柵の手前にあるのは一本だけだ。収納の梁があるのは柵の反対側の牛達がいる側だった。
「何も見えないよりはましか……。」
目を凝らしてみたが、よく見えない。天井の辺りは闇に近かった。そこに梁があることがなんとか分かる程度の明るさしかなかった。
ランタンは「部屋」に置いたままにしていたが、あれをこちらに持って来たとしても状況はあまり変わらないだろう。
ナギは今「部屋」の向かいの、南側の壁の前に立っていた。
がこん……。
毎日水を汲んで来た木桶を、最初に逆さに返した。
目に付いたものを片端から集めてはみたものの、あの高さにまで登る足場には、安定性と強度の両方がいる。使える物は限られそうだった。
二つの桶を逆さに返して壁際に並べると、少年は梯子をその上に載せ、壁に立て掛けてみた。
やっぱり足りない。
箒と掃き出し棒を梯子に括り付けて高さを足しても、まだ無理だろう。
飼い葉桶を足してぎりぎりか……。
ナギはすぐ右の柵の向こうを見やった。丸太を二つに割ってくり抜いたような飼い葉桶が、柵の向こうの壁沿いに五つ並んでいる。かなり重くて丈夫な物だ。ちゃんと脚が付いていて、安定性も高かった。
最初から足場の土台は飼い葉桶にするつもりだった。
幸運なことに、置かれている場所も収納のほぼ真下だ。
どう降りる?
その時、梁に登った後のことが頭に浮かんだ。
そこに思い至れたのは多分、ラスタと館への侵入を繰り返す内に帰り道まで考える癖が付いていたからだ。
本当に登れるか、やってみないと分からないような足場だった。
梁に飛び移ったりしたら、その瞬間に崩れても不思議じゃない。
崩れなくても、梁から足場の方へ飛び戻るのは無理だろう。
「ロープがある……。」
解決法に気が付いて呟く。
上に辿り着けさえすればロープがある。それを使おう。
およその目途が立った。
柵には開閉出来る部分があって、それは今目の前だった。
開口部の端を上から下に貫いて留めている落とし棒を、少年は引き抜いた。
「ごめん。入るよ。」
そう声を掛けながらナギが内側に入ると、静かに騒めくように、牛達の視線と耳が少年を向いた。
足の鎖が牛達の敷き藁を巻き込む。
牛達を移動させないといけない。
牛も不快や恐怖を感じれば、人間を攻撃して来る。
あの巨体で体当たりされたら、人間なんて簡単に吹っ飛ぶ。
牛達の安息の時間を邪魔しているのはナギの方だったから、腹を立てられても文句は言えない。
「ごめんね。少しだけ動いてくれる?」
穏やかに静かに、ナギは牛達を促した。
◇
掃除の時に使っている可動式の柵を動かして、ナギは飼い葉桶の周りの安全を確保した。
ラスタはまだ戻って来ない。
その場所を見上げる。
館から盗んだ道具を使ってドアを破れば、多分もう、牛小屋には
戻って来られないだろう。
ラスタを捜すのに川以外はどこへ行けばいいのか分からなかったし、ミルは今、動かすことが出来ない。
この先に起こることの予想が全く付かなかった。
桶と梯子を運ぼう。
ナギはもう一度柵の反対側に戻った。
ぽんっ。
その時、少年の頭上でそんな音がした。




