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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第三章 獣人とひと
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158. 竜人少女の約束

 驚きが大き過ぎたせいなのか、ミルが声を上げるというより息を飲むようにしたのは幸いだっただろう。


 微かに掠れるような声がしただけで、ミルの悲鳴は部屋の外には届かなかった。



「ラスタ……!」



 数秒経ってミルはようやく相手の名前を口にしたが、その声もまだ掠れていた。


 一瞬前まで誰もいなかった筈の場所に、薄黄色の巻きスカートをまとう、輝くように綺麗な少女が立っていた。



「………大丈夫か。」



 硬い表情で尋ねられた時、ミルは咄嗟に振り返ってベッドの頭側にある二つの窓を見た。


 日の光で薬草が傷むと言うのでこの部屋のカーテンは元々滅多に全開にはされないのだが、完全に閉め切られることも少ない。窓の外に人がいたら、竜人の姿を見られてしまう。


 だが二つの窓の緋色のカーテンは、いつの間にか引かれていた。どうりで薄暗い筈だ。今は朝の筈なのに。


 瓶やら籠やら、色んな容器に入れられた薬草がこの部屋ではあらゆる場所に置かれている。暗さと雑然とした雰囲気のせいで、異国のお姫様のような竜人少女の姿は、余計に非現実的に見えた。


   一体どこから……?!


 誕生日の夜も今も、竜人の女の子がどうやってやって来たのか、ミルには分からなかった。



 

 まだ胸がどきどきしていたが、ラスタに向き直った時には、だがほっとする気持ちの方が大きくなっていた。涙が数粒、はたはたと勝手に布団に落ちる。




 やっと尋ねることが出来る。




「ナギは、無事?」




 予想外の質問だったのか、微笑んで尋ねたミルに、ラスタは少しだけ驚いたような表情かおをした。


 倒れた日から、ミルの容態はよくなるどころか悪化し続けている。

 二週間以上、手洗いに立つ以外はほぼ寝たきりで過ごしていたミルは、部屋の外で起きていることを知る術がなかったのだ。


 ラスタがうなずくのを見た時、涙がミルの目から一気に溢れ出し、止まらなくなった。



 と。



「―――――――――――――夏まで生きてろ。」



 竜人少女が突然そんなことを言った。


 人間の少女は泣きながら竜人少女を見つめ返した。



「寝たままでもわたしがヤナまで運んでやる。だから夏まで絶対に生きろ!」



 むくれ顔の小さな女の子に怒ったように言われて、ミルは目をみはった。



 そして女の子がむくれ顔のまま幼い声で

「だが具合が悪いままだと野宿はキツいぞ!絶対治した方がいいからな!」

と言うのを聴いた時、思わず笑ってしまった。


 思わぬ反応だったのか、ラスタが戸惑う表情かおをする。それからふんっ、と言うように、竜人の少女は顔を逸らした。



「………ナギが心配している。」



 自分の心の中で起きたことに、ミルはその時驚いた。


 その名前とヤナ語を聴くだけで、こんなにも安心するなんて。


 涙が止まった。


 やつれて生気を失いかけていた人間の少女の瞳に、ほんの微かに力のようなものが宿った。



 ―――――――――――――――――――――――だが少しのを置いて。



「………ナギが何があったのか知りたがっている。」



 その言葉を聞いた瞬間、ミルの顔からは血の気が引いた。


 あの日のことを思い出すと鼓動が速くなり、息が苦しくなった。



  だけどナギに伝えなくちゃ。



 食事さえここに運ばせて、ミルと一緒にほとんどずっと部屋にいた老婆が、今朝は出掛けている。

 アメルダがもう一度ミルを襲いかねないと案じたヘルネスの命で、老女は部屋を離れなかったのだ。


 ラスタがこの機を逃さずに現れてくれたのは、二人が機会をうかがい続けてくれていたからだろう。



  時間がない―――――――――――――――――――――



 ミルは一度唾を飲んだ。それから体力が尽きないように体を横たえると、少女は小さな声で語り出した。



「花嫁が着いた日――――――――――――――………」



 ほとんど顔も合わせたことがなかった花嫁が、突然自分に襲い掛かって来た理由は今も分からない。

 でも奴隷だからとか、異国人だからとかが理由なのかもしれないとは考えた。

 もしそうだとしたらナギの身も危ないと思えて、外の様子が分からなかった二週間、ミルはずっと怖かった。



 あの日ナギの方には何があったのだろう。


 紺と金の服を着たナギの姿を思い出して、少し辛くなる。



 でもその時、小さな女の子がベッドの横でしかつめらしい表情かおをしてうなずき続けているのに気が付いて、おかしくなった。



  ラスタはどうしてこんなにヤナ語を知っているんだろう。



 育てたのがナギとは言え、ラスタは生まれてから一年と少ししか経っていない筈なのに。竜人少女の見た目が幼いことも相まって、ちょっと不思議に思える。ヤナ人の10歳くらいの子供でもここまでの理解力はまだない気がする。


 「髪の毛が白いヴァルーダ人か?」とか、竜人の少女は時々的確に質問を挟んで来た。

 ミルの話を、ちゃんと理解しているようだった。



 本当はラスタの異国のお姫様のような服の色と形が、地下牢で見た時と少し違っているのも気になっている。一体こんな服を、ナギとラスタはどうやって手に入れたんだろう。



 だが自分の疑問を解決するための時間は、おそらくなかった。



「そうか―――――――――――――――――――――――」



 ミルの話を聴き終えると、竜人少女は呟くようにそう言った。その瞳に、怒りのようなものが見えた。



  ――――――――――怒ってくれたの?――――――――わたしのために。



 ミルは弱々しく微笑んだ。



 竜人の女の子は優しい。



 優しい竜人の少女は、きっとナギを故郷に帰してくれる。




「――――――――――――――ラスタ。わたしの家の住所を言ってもいい?………わたしが歩けなかった時のために。」

「…………うむ。」


 一瞬表情を強張らせてから、ラスタはミルにうなずいた。


 竜人は分かっていたのかもしれない。


 「歩けなかった場合」に二つの意味があることに。


「―――――――――――――――ナギにも伝えて。」


 ミルが話す住所を、竜人の少女は無言で聴いた。そして聴き終えると、無言のままもう一度竜人はうなずいた。



 が。



「分かったから、夏まで絶対生きろ。」

「――――――――――――――――」

「ミルをヤナに帰すのがナギの望みだ。だから絶対に連れ帰ってやる。だからミルは夏まで生きろ!」



 怒り顔の竜人少女の言葉を聴いた時、ミルの胸に幸せな思いが満ちた。



  ナギの望み。



 獣人の恩返しの習性はミルも知っている。だからナギが「恩返し」に、それを望んでくれたのかとミルは思った。

 事実は少し違ったが、同時に完全な間違いでもない。



「………もう行く。」


 竜人の少女が告げる。やはりミルの疑問を解消するための時間はないようだった。


 また一人になる。黒髪の少女は表情を強張らせた。


 ラスタは頬を膨らませ、顔とを逸らした。


「――――――――――また来てやる。」



 そして小さな破裂音と共に、竜人少女の姿は掻き消えた。



 絶句して、ミルはしばらく竜人が立っていた場所を見つめた。

 色々な種類の驚きで、ミルが平静を取り戻すのにはそれからかなりの時間が掛かった。





 しばらくして部屋の鍵が開き、老女中が帰って来た。


 老女が左腕に提げた籠と腰に巻いた幾つもの袋には、薬草が一杯に詰まっていた。


 月に二、三度、森へ薬草を摘みに行くのが老女の習慣で、その習慣だけは曲げられなかったらしい。薬草が足りなくなれば館全体が困るだろうから、当然なのかもしれない。


 ベッドの横に置かれた椅子の上に籠が降ろされるのをミルは見つめていた。



 と、籠の中に目を留め、老女がぶつぶつと何かを言った。



 暗い緑色の葉の中に、鮮やかな色がある。

 老女にとっては覚えのない物だった。



 ミルは目をみはった。





  ナギ――――――――――――――――――――――――――――!





 青紫の、一輪のビオラ。





 ナギだ。




 ナギとラスタだ。




 しばらくぶつぶつと何かを言っていた老婆は、やがて窓際の長机からガラス管を一つ取り上げると、もう一度部屋を出て行った。


 老女はすぐに戻って来た。

 片側だけ口の開いたガラス管に水が注がれている。

 老女の皺々の手がビオラをそこに挿した。


 長机の上には木製の小さな架台があった。架台が支えているのは丸穴が横並びに五ついた木の板で、その穴にはガラス管が三本差し込まれていた。そして空いていた場所に、ビオラの一輪挿しが加わった。



 薄暗かった部屋がその一輪で華やいだ。



 老女が一輪の花を見つめる。




「ふえっ。」



 そう声を上げて老女が笑った時、ミルは心底からびっくりした。





 老女中が手洗いに出た時に、ミルはこっそりとベッドを抜け出した。

 歩くことも覚束なくなり出していたので、数日前から足枷も外されている。



 物が溢れて落ちそうな机の上。三分の一だけ開けられたカーテンから差し込む光の中で、青い花は輝いていた。





 小さな花を、少女はそっと手に取った。





 胸にそれを抱き締めると、小さな花に少女は静かに唇で触れた。


読んで下さった方、本当に本当にありがとうございます!

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