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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
155/239

155. 見えない明日


 ミルを見付けるのに少しだけ時間が掛かった。

 ミルは昨晩きのう、地下牢にはいなかったのかもしれないと今になって思う。


「いないな……。」

 小さく呟くと顔を上げ、ラスタはナギが何かを言う前に視線の向きを変えた。


 領地の跡継ぎの結婚式を明日あしたに控え畑仕事はいつもより早くに終わり、お蔭で牛小屋の中は、まだかなり明るい。


「女中部屋を見てみる。」


 結局この時間までミルの容態を知ることが出来なかったナギは、固唾を呑んで竜人の少女を見守った。


 毎月二日ほど、月のもので表に出られない日だけ、ミルは女中部屋の空き室に移されている。ここに買われたあと、ミルが治療期間を過ごしたあの部屋だ。


 その日を正確に予測は出来ないので、朝ミルが台所にいない日はいつも不意打ちでやって来る。

 ミルに会えない一日は辛かったが、彼女が今日は明るい部屋で過ごせるのだと思うと、その日はナギを、ほっとさせもした。


 多分地下牢で高価なろうそくを一日灯すよりは、ミルを女中部屋に移す方を選んだのだと思う。


 そんな日の女性達は「ハリシゴト」とか、部屋で出来る仕事をしているのだとナギはミルから聞いている。


 今も月に一度はあの部屋を使っているのだから、倒れたミルがそこで寝させて貰えたとしても不思議ではない。



 だが数秒後。



 ラスタはやはり「いないな………。」と呟いた。



 一瞬ナギは、息が出来なかった。


 顔から血の気が引く。


 最悪の想像が脳裏を掠めていた。



 言葉を失っているナギの前でラスタはまた視線の方向を変え―――――――――




「いたぞ。」




 幼い声がそう言ったのを聞いた時、ナギは体じゅうからどっと汗が吹き出すのを感じた。


「いつも薬を作ってる年寄りのヴァルーダ人の部屋だ。」


 ラスタがそう補足してくれた時には少年は足の力が抜けそうになったが、なんとかその場に踏みとどまった。



 あれから段上でブワイエ父子おやこは少しの間花嫁と何かを言い合っていたが、そのあとは何かを抑し殺したような表情で、アメルダの紹介やら使用人達の紹介やらを行った。


 そのかんナギの存在は完全に無視され、もちろん紹介されることもなく、あの場に自分がいたこと自体そもそも予定外だったのではないかと思える。


 式典めいたその会はすぐに終わり、あの老女中はホールに現れないままだった。



 女中部屋の次にミルがいる可能性が高い場所は、確かにそこだ。


 ナギは入ったことがないが、その部屋のことはラスタから教えて貰ったことがある。

 老女中の部屋は女中部屋ではなく北棟の一階にあって、病人や怪我人が出ると、館の人間達はその部屋を訪ねることになっているらしい。


 自分が情けなかったが、ナギが気付くより前に老女の部屋を捜してくれたラスタは、今ナギよりしっかりしていた。


「ミルは⁈どうしてる⁈」


 とにかくミルの容態を知りたい。

 はやる気持ちを抑えながら少年が尋ねると、竜人の少女は少し難しい表情かおをした。


「寝てる――――――――――――――ここからじゃそれしか分からないな。」

「―――――――――――――――――」



 薬草を収めた何十という瓶や、それを調合するための道具や設備で埋め尽くされたような部屋のベッドで、少女はうつぶせに眠っていた。

 背中が微かに上下しているので呼吸していることは分かるが、見えるだけでは熱の程度は分からない。


 老女中は少女が寝ているベッドのすぐ近くにいた。


 窓際に置かれている長机からは本やらすり鉢やらガラス管やらといった物がこぼれ落ちそうになっていて、その前に腰掛けている老婆は、机の上に残されたわずかな隙間で薬草らしき葉っぱを刻んでいた。



「どうする?」

「―――――――――――ミルの怪我の具合が分かる?」

「うむ―――――――――」


 青い瞳が再び館の方へと向き直る。そして竜人の少女はナギが期待した精度の答えをくれた。


「骨と内臓は無事だぞ。ほとんど打ち身みたいだが、結構全身怪我しているな。」

そこでラスタは小さく顔をしかめた。

「背中が―――――――ちょっとひどいな。」

「背中?」

「手当てはされてるみたいだが。」

「――――――――――――――――――――――――」


 後ろの扉にもたれ掛かると、ナギはもう一度、崩れ落ちるようにそこに座った。



 薬草を調合するほかは包帯を巻く程度のことしかしていない老女中は、医者ではないのだと思う。

 ナギはこの館で医者の姿を見たことがない。だからここでは些細な病気や怪我でも、死に繋がりかねないと思って過ごして来た。ミルの今の具合は、楽観出来ない。


 ミルに起きたことを知りたかったが、老女中の部屋にいるとなるとミルを訪ねるのは難しい。

 地下牢に放置されているより遥かによかったが、その反面、怪我の具合も彼女に起きたことも、今は訊きに行くことが出来なかった。



 両手に顔をうずめ、ナギは懸命に今出来ることと出来ないことを考えた。



 今ミルを動かすことは出来ない。


 アメルダとあの女中がどんなに危険な存在であったとしても、脱出を早めることは出来なかった。



 アメルダの目的を探らなければ、と思う。


 それが分からなければアメルダの行動を予想して備えることが出来ない。



  ミルに何をしたんだー――――――――――――――――――



 いつもと違う服を着て、昨日きのうの朝は、ミルはあんなに綺麗だったのに。


「……………………!」



 少年はふいに立ち上がった。




 ばんっ!!!




 竜人の少女が目を見開いた。


 紺と金の服を脱ぎ、ナギはそれを地面に叩き付けたのだ。



「……わたしには駄目だって言ったじゃないか――――――――」

「……………………………………………………ごめん………」


 そう言えば昨日きのうそんなことを言ったばかりだった。

 少女に指摘されて思い出す。


 青い瞳がナギの足元の服を見つめた。



 突然音もなく、その服が地面から浮き上がった。





 すぱあんっ!!!!!!





 真横に向かって一直線に飛んで行った服が、ナギの「部屋」とは反対側の壁の上で激しく音を立てた。


 牛達が鳴きながら暴れ出す。


 予想外の出来事に、少年は絶句した。


「うむう………?」

 あまりすっきりしなかったのか、今日は薄桃色のズボン姿の小さな少女が釈然としないという表情かおをしている。


 悪いお手本になってしまった。


 少女の保護者は、ちょっとだけ自己嫌悪に陥った。


「そのシャツとズボンもやるか?」

 地面に落ちた紺の服を見ていた少女が振り返り、大真面目な口ぶりで尋ねてくる。


 紺色の詰襟のシャツに思わず手が伸び掛けたが、我に返って少年は思い留まった。

 女の子の前で、やっぱりそれはよろしくない気がする。


 と、ラスタがふわりと宙に浮き、ナギとの高さが合う位置で止まった。



「ナギは何着ててもかっこいいからな!」



 真剣な表情でラスタにそう言われた時。ナギは自分の顔が赤くなるのを感じた。



  昨日きのうこの服(これ)がかっこいいって言ってたくせに。



 照れたことはあっても、それで顔が赤くなったのは人生で初めてかもしれない。

 ここに鏡はなかったが、顔に血がのぼって熱くなったのが自分でも分かった。



 弱々しくだが、青い瞳を見つめてナギは思わず微笑わらった。


 そんなナギを見て、ラスタは困惑した表情かおをした。





 それからラスタは館に忍び込み、ミルの様子と花嫁の様子を探ってくれた。

 ミルの話をするといつも不機嫌になるラスタが、この日はずっと、嫌な表情かお一つ見せずに動いてくれていた。


「年寄りのヴァルーダ人が一緒にいたから話は出来なかった。でもミルは、うなされたりはしていなかったぞ。」


 ラスタの報告は、ナギを幾分安堵させた。


 一方で、花嫁と黒い服の女から何かを探り出すことは出来なかった。


 館は今婚礼前夜の宴の真っ最中で、花嫁達もブワイエ一家も、今夜はそこに揃っていると言う。ラスタがしばらく観察していても、アメルダとあの女中が宴にそぐわないような不自然な行動をとることはなかったそうだった。



 その日にナギとラスタが出来たのはそこまでだった。




 眠る前。


 ナギが持ち帰った白いパンを口にすると、暗闇で竜人少女の青い目が丸くなった。


 ラスタのそんな反応を見て、ナギは切なくなった。

 同じ食べ物とは思えないくらい、白いパンはいつものパンよりおいしい。ラスタはそれを初めて食べたのだ。




  これ以上ラスタを、ここに縛り付けていてはいけないー――――――――





 夏は目の前に迫っていた。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 がこん………


 大きな角材が船底に当たるのを、カナタは船上から見つめていた。


 今朝から建物の残骸や家具のような物が、次々と川を流れて来る。上流で水害でもあったのかもしれない。ほかの奴隷達やヴァルーダ人も、皆川の様子を気にしていた。


 海や川の港では大勢の奴隷が働かされていた。


 最初は農場の様な所で働かされていたカナタは二年程前にここに移されて、今は船荷の揚げ降ろし作業をさせられている。


 ヴァルーダ人が「トラム・ロウ」と呼んでいるその川は巨大で、川港もそれに相応しく巨大だった。

 向こうに対岸のような物が見えるが、あれは中州なのだと言う。本当の対岸は、もっとずっと向こうにあるのだと言う。


 中州も巨大で、食事時になるとそこからたくさんの煙が立ち昇った。中州の上に町があるのだ。


 そんな中洲がほかに幾つもあるそうで、少し上流に見えているやはり巨大な橋は、対岸まで中洲を繋ぐようにして架けられているらしかった。


 対岸にはヴァルーダの王都があると以前に同胞の男から聞いたが、本当なのかは分からない。


 あの冬の日までは時折見掛けることがあったヤナ人の姿を、今では全く見なくなった。


 あの丘でカナタが仲間の誰かと再会することはなかったが、あの中に仲間がいなかったという確信は今でも持てない。



  あの女性ひとたすけてくれなかったら、自分も多分、ここには

  戻って来られなかった。



 でもあの日から、自分の魂は半分死んでしまったようだと感じる。

 残忍な娯楽を生き延びられたのは、自分一人だった。



「…………」

 船の横を大きな鍋が流れて行くのを見て、誰かが何かを言った。

 でも何を言ったのかは分からない。


 奴隷達の出身国はばらばらで、言葉が通じることはほとんどなかった。


 船荷の揚げ降ろしをする奴隷達は、仕事中は足枷を外されている。

 あの丘でカナタが最後まで走れたのは、足が萎えていなかったお蔭だった。

 揺れる中で高い所まで荷物を積み上げるし、何より水に落ちた時に危険だから、ここの奴隷達の鉄枷を外すのは当然だと思う。

 

 それでも奴隷の反乱は起きにくい。互いの言葉が分からないからだろう。



 先程から仕事が止まっている。

 川の様子を見て出航を躊躇っているのかもしれない。ヴァルーダ人達からの指示は滞っていた。



 カナタはぼんやりと上流を見つめた。


 海のように広い川を、船の航行を脅かすような大きさの物が途切れなく流れてくる。

 島のような中洲を渡って行く巨大な石橋。川岸に停泊したままのたくさんの船。



 今なら川に飛び込めば、逃げられるだろうか。


 でもどこへ?


 ヴァルーダの広大な国土はどこまでも続いている。



 家族の所へ帰りたい。




  ナギ。タキ。ヤマメ――――――――――――――――――――――




 この国のどこかで、みんなはまだ生きているだろうか。



第二章 終


読んで下さった方、今日たまたま読んで下さった方、本当に本当にありがとうございます!!

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