152. 王国のもう一つの王家(2)
ゴウルが何かを尋ねる前に、若者はゆるりと首を左右に振った。
忌々しげに唇を歪め、目の前に立つ青年からゴウルは顔を背けた。赤いクロスの上できつく握られた拳がその苛立ちの強さを教えている。
体格だけが理由ではなかったが、上背があり恰幅もいいゴウルは威圧感のある男だ。表情に険がある時は尚更で、気弱な者ならその前に立たされただけでたじろいでしまうだろう。
だが髪の長い青年は、ただ淡々と口を開いた。
「奴隷の子供の話とは別に、少し気になる報告が来ています。」
家の主はじろりと青年を見やっただけで先を促した。
極小の動きで指示を出す男の様子は、いかにも尊大だった。
美貌の若者は気にする様子も見せずに、やはり淡々としたまま言葉を接いだ。
容貌に相応しい、流麗な声だった。
「昨晩トラム・ロウの上流で、獣人達が大量の雨を降らせたようです。」
「何……?」
「夜通しの豪雨でトラム・ロウが氾濫し、中北部地域で村が幾つか呑まれる、甚大な被害が出ているそうですが。」
「なんだと……?!」
思わぬ話に、さすがにゴウルも表情に驚きの色を浮かべた。
中北部だと?!
血の気が引く。
「正確な場所を言え!中北部のどこだ?!」
「レイドン領とのことです。」
その名を聴いて、ゴウルは幾分安堵した。
だがトラム・ロウを氾濫させただと?!
何も聞かされていないが王の指示か?
種族によって獣人の力は様々だったが、王家は今、水を操る獣人も所有してはいた。
だがもしグスタフが無関係だとしたら。
この報せが王都に届くのは数日先のことだろう。川船が使えなくて陸路を使うことになれば、更に時間が掛かる。
報せるべきか?
迷いが生じる。
遠く離れた他家の領地で災害が起きようとゴウルには関係も関心もなかったが、もしこれが国王の与り知らぬことであるならば、大事件だろう。
こんな時に……!
想像していなかった障害にゴウルの内には怒りに似た感情が沸き上がったが、激しい昂ぶりを抑え込むと、「先ずは状況の確認だ」と、男は自分のすべきことを思い定めた。
「直接話がしたい。」
当主の言葉に、青年は小さく頷いた。
この若者は、「合いの子の獣人」だ。
相手の居場所がある程度分かっている時に限られるが、遠くの獣人と会話が出来るという、獣人の中でも珍しい能力を持っていた。
人間の姿でない時は、青年は巨大な白い鳥のような姿をしている。
<伝令鳥>と呼ばれているが、<伝令鳥>自体が人間の世に滅多に現れない、珍しい獣人だった。
◇
かつて小国が乱立していたこの地をヴァルーダが制圧出来たのは、地方豪族として当時から大きな勢力を誇っていたゴルチエ家が、ヴァルーダに味方したからだ。
建国の経緯を見れば、王国の名前は「ゴルチエ」になっていたとしてもおかしくはなかった。
二つの家の運命を分けたのは、その時、それぞれの家が所有していた獣人の数の差だった。
以来五百年、ゴルチエ家はヴァルーダに臣従している。
竜さえ手に入れば。
それはゴルチエ家の悲願だ。
今やその国が存在していた場所さえ、正確には分からない。
だが「ヤマタという国に竜人が卵を残した」という言い伝えは、ゴルチエ家の跡継ぎだけにひそかに教え伝えられてきた。
他の獣人が数百人で束になっても勝てない程に、竜の力は強大だと言われている。獣人の数の差による不利は、全て引っ繰り返るのだ。
ひとたび王位を獲れば国じゅうの「卵」を召し上げられるから、その地位は簡単には揺るがない。
現に五百年、ゴルチエ家はヴァルーダ家の風下に立ったままだ。
――――――――獣人の卵の隠匿が重罪である現在。
数に制限はあったが、ゴルチエ家を始めとした幾つかの名家は、今も獣人の卵の所有を許されてはいる。
但し下賜されるのは、戦場には向かないような獣人の卵ばかりだ。
<伝令鳥>は使いようによっては戦況を変える力を発揮する筈だが、戦争自体がほとんどない今、王家にとって重要性が低いと判断された――――――――――いやそう判断されるようゴウルがグスタフを誘導し、卵がゴルチエ家に渡るよう仕向けたのだ。
ゴウルにとっては<伝令鳥>は、是が非でも手に入れたい獣人だった。
◇
数秒の沈黙の後、青年はゴウルを促した。
「『どうぞ。』」
「――――――――――――――――詳しい話を聴きたい。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数瞬立ち尽くした後、ナギの足はミルの方へと動いていた。
じゃっ………
大勢の人間が忙しく動いている中を、鉄の鎖が這う。
奴隷の勝手な振る舞いを許さない館の人間達が、この時はなぜか誰も何も言わなかった。




