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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
150/239

150. 領主の部屋と奴隷商人

◇ ◇ ◇


  鞭打ち刑など久しぶりだ。


 机の上の燭台の火を、ヘルネスは苦々しい思いで見つめた。


「手当てはさせたの?」

 夜着姿でベッドに腰掛けている妻が尋ねてくる。

「すぐにさせた。」

 喉を圧迫する姿勢のせいで、妻に応える男の声は余計に不機嫌そうに聞こえた。


 ベッドの横の丸テーブルを囲む椅子の一つに、領主の男はやはり夜着姿で、体を投げ出すように深く腰掛けていた。



 地下牢へ降りる階段の手前にある部屋は、裁判の間だ。

 領主が罪人を裁いたり、領民間の揉めごとを調停したりするための場所である。話次第ではその場で鞭打ちなどの刑が執行されることもあったが、裁判の間自体、開けられたのが久しぶりだった。


 数年前からヘルネスは、罪人の裁きや収監を行う場所を館の外に移している。


 犯罪を除くと去年と同じ毎日が繰り返されているだけの田舎では揉めごとも少なく、ブワイエ家の裁判の間はほとんど使われなくなっていた。



  アメルダが起こしたという事件を甘く見過ぎていたのかもしれない。



 クライヴがいだいたのと同じ後悔と懸念が、ヘルネスの心の安定を揺るがしていた。


 しかし自分の判断が、愚かな過ちだったとまでは思えない。



 どの子供の縁談にもヘルネスは苦労しているが、最重要なのは、もちろん嫡男のハンネスの結婚だった。何度も縁談を断られたハンネスの嫁取りは、ブワイエ家にとって、長年の悩みの種だったのだ。


 そこに王国きっての名家、ゴルチエ家との縁談という奇跡のような出来事が舞い込んだのだから、誰でも多少の問題には目をつむるだろう。



 過ちではなかったと思いたい―――――――――――――



 だが晴天に落ちたあの異様な雷が、不吉な影に思えて胸をさいなむ。


 ヘルネスの顔が歪んだ。



 落雷は異様だった上に、経験したことがない程近くに感じられた。

 よもや敷地内に、と慌てて使用人を数人確認に走らせている内にサドラスもハンネスも駆け付け、しばらくは騒ぎになった。


 どうやら敷地内に落ちてはいなかったようだと安堵したのも束の間、アメルダの一件をハンネスから聞かされた時には、驚愕した。



  若い娘だというのに、奴隷をしいたげるへきでもあるのか?



 稀にそういう人間もあるとは聞く。

 だが奴隷を何十人も所有しているような大きな家でもなければ、普通はそんなへきのために奴隷を損壊出来ない。

 高額な奴隷を遊び半分に痛めつけられては、たまったものではない。


「一体何が気に食わなかったって言うの。」


 夫に尋ねる妻の声も苛立たし気だ。

 ヘルネスは無言だった。



 妻には告げていないが、アメルダは、王族の一人が所有していた女奴隷を半殺しの目に遭わせると言う事件を起こしていた。


 アメルダは二十歳はたちになったばかりだったから、その時はまだ17か18だった筈だ。


 ヴァルーダでは現在の王と血縁のあるおじ、おばまでを王族に列することになっていて、数が多い。

 国の豊かさゆえ問題にならずにいるが、そこには莫大な税金が注ぎ込まれている。もちろん彼らは、特権階級中の特権階級だ。


 その王族が所有する財産を破壊したのだから、当然アメルダの行為は大問題になった――――――――――――――――らしい。


 牢に繋がれてもおかしくなかった筈だが、アメルダが許され、事件自体がほとんど表沙汰にならなかったのは、「王国のもう一つの王家」と囁かれているゴルチエ家の力あってのことだろう。


 コネでその事件を知り得たヘルネスも、詳しい経緯いきさつまでは分からない。



 ただ、事件は全くの不問に付された訳でもなかったようだ。

 そうでなければ、アメルダが格違いの田舎領地に嫁ぐことはなかっただろう。


 金銭やほかの奴隷で賠償できる話だったら、完全に解決出来たのかもしれない。



 だがその女奴隷は「代え」の利かない存在だった―――――――――――――くだんの王族の、愛妾だったのだ。



 有力者の男が、気に入った女奴隷を手許に置く例は少なくはない。

 それも奴隷が身籠ったり子供を生んだりして働けなくなっても構わないような、大金持ちの特権だ。


 一見幸運にも思える女の未来は、だが大抵悲惨だ。

 男が飽きたり死んだりした時に、生活を保障するものは何もないからだ。

 

 いずれにせよ、奴隷の処遇を決定する権利があるのは所有者だけだ。王族の奴隷を傷付けるなど通常は考えられないことで、ゴルチエ家も完全にはアメルダを庇い切れなかったのだろう。


 結果的に、想像もしなかったような恩恵がブワイエ家に転がり落ちた。



「アメルダを怒らせた奴隷にも何か問題があったのだろう。」



 若い娘の醜聞は素晴らしい宝の前では取るに足らない小石のように見えて、そんな風に、片目をつむってやり過ごしてしまった。



  甘かったかもしれない。



 クライヴ同様、ヘルネスの胸にも後悔が広がり出していた。


 夜会のあとに、裁判の間で繰り広げられた光景がヘルネスの脳裏に甦る。



  鞭打ちで納得させた―――――――――――――――――



 異常とも思えるアメルダの行為を家内に知らしめるのもまずく思えて、部屋には最小限の者しかれなかった。


 ハンネスは、席を外させた。


 奴隷の娘によからぬ思いをいだいているらしきハンネスの前で、ミルの服をはだけさせるのが悪手に思えたからだ。


 もうじき29にもなろうというのに、余計な気を回させる息子にも腹が立つ。


 裁きの間に入ったのはアメルダとクライヴのほかは、アメルダのお付き女中が一人と、ブワイエ家の使用人の中でも最高齢に当たる二人だけだった。


 アメルダには敢えて知らせなかったが、老臣の一人はこの家の医師代わりとなっている老婆で、同席させたのは言うまでもなく、すぐにミルの手当てをさせるためだ。



 皮膚が裂けるので、鞭打ちは傷の治りが悪い。

 傷口が悪化して体を壊し、そのまま死んでしまうこともある。


 出来れば奴隷には、なるべく与えたくない罰だった。



 剥き出しになったミルの背中に、ヘルネスは自ら鞭を打った。


 当然加減した――――――――――――――――――――加減するために自ら打ったのだ。


 一般的には当事者に執行させて処罰感情を満足させることが多い刑だが、ミルを刺そうとしたというアメルダに鞭を任せては、殺す勢いでやりかねない。



 ミルは声も上げずに耐えた。



 奴隷の少女に一度だけ鞭を入れ、ヘルネスはアメルダに許しを請うた。


 アメルダは強烈に不満そうな表情かおはしていたが、しつこくミルの「始末」を要求まではしてこなかった。



 そうして長い夜はようやく終わった。



  こうなってみると、地下牢の鍵が見つからないのは幸いだったかもしれない。



 ハンネスが持ち出して紛失した牢の鍵は、未だに見つからないままだった。


 地下牢にいるのが今はミルだけなのと、そもそも執務室で保管していた鍵の方が合鍵であったこともあり、ヘルネスは牢の鍵を作り直させてはいなかった。


 今となっては、地下牢はミルを閉じ込めていると同時に、ハンネスとアメルダからミルを守っているかのようだ。

 むしろ誰かがうっかりと鍵を見付けてしまって、ヘルネスの知らぬにそれが執務室に戻ることの方を心配しなければいけないかもしれない。



  不吉な―――――――――――――――――――。



 今更ながらに新婦が到着した直後の雷が、よくないことの前兆のように思える。



「あなた、どこへ行くの?」


 尋ねる妻に応えず、立ち上がったヘルネスは部屋を横切り、片開きの扉の前に立った。


 その部屋は隣室というより寝室の内側にせり出るように造られていて、扉は寝室と直角を成す位置に付いていた。



 用がある訳でもないのにその扉を開ける。



 右開きの扉は小さかったが、開けると戸板は、向かいの壁に付きそうな寸法だった。扉と壁の間には人一人がようやく擦り抜けられる程度の余裕しかなく、扉自体が外部とその部屋を仕切る壁のようになった。


 

 中は真っ暗だった。

 燭台かランプを持って来なければ、この時間では何も見えない。


 だがこの小部屋の中には一階の執務室よりも大きな金庫があり、ブワイエ家の財産が保管されている。



 執務室の金庫には館の日用遣い用の金を入れているだけで、大金や資産の記録といった重要な物は、皆こちらの金庫で管理していた。執務室にある鍵のほとんどはこちらにもあり、こちらの方が親鍵だ。




 ブワイエ家の未来に不安はないと確認したくて、中を改めたくなる。





 だが今そこは、真っ暗だった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 騎馬に囲まれた大型の幌馬車が、石造りの建物の中に入って行く。


 城や屋敷と言うには粗末で寒々しい見掛けだったが、家と言うには大きすぎる建物だ。


 馬車ごと屋内に乗り入れた奴隷商人達は、次々とそこで下馬した。


 剥き出しの石積みに囲まれた空間は、天井は低かったが、広さは舞踏会場並みだった。

 人並みの注意力がある人間ならば、馬と馬車を直接乗り入れる珍しい空間がなんのために存在しているのかと、多少不思議になる筈だ。



 奴隷商人達を数人の男達が出迎える。



 ようやく最後の商談の場に辿り着いた。

 王都の東、王国の南端に位置するゴルチエ領。


 王家を除けば、ヴァルーダで最も多くの奴隷を所有しているのはゴルチエ家だ。

 ゴルチエ領は奴隷売買の一大拠点で、多くの奴隷商人達が本拠地をゴルチエ領に置いていた。

 戦争奴隷の供給が潤沢な王都では、奴隷の売買は、逆にほとんど行われていないのだ。


 各地に注文された奴隷を届けて、商人達はやっと最後の目的地兼本拠地に着いたのだった。


 春夏の農業の繁忙期に間に合うように奴隷を欲しがる依頼者が多いから、奴隷狩りに行くのは毎年秋と冬だ。この商談を終えれば久しぶりに家に帰って、しばらくは遊んで暮らせる。


「やれやれ。」


 薄ら笑いを浮かべて、頭領の男は大きな馬車を見上げた。

 まだ馬車に残っている最後の奴隷達を、仲間達が降ろそうとしていた。


 馬車の後ろに用意された階段を、鎖に繋がれた者達が、一人、二人と降りて来る。


 と。


 階段を降りた四人目の男が突然暴れ出した。


「俺はヴァルーダ人だ!!」


 奴隷商人達を振り払い、茶髪の男がヴァルーダ語で商談相手に向かって叫んだ。


「黙らせろ。」


 大して興味も示さず頭領の男は命じたが、言われる前に仲間が動いて、男の口に口枷を突っ込んでいた。


 奴隷に怪我をさせては値段が落ちるから、傷付けずに拘束するための道具を商人達は幾つも揃えている。稀にパニックを起こして鼻で息をするのを忘れ、窒息してしまう間抜けがいるから、口枷はなるべく使いたくはないが、止むを得ない。



「何人だ。」

 商談相手が慣れた様子で奴隷の数を尋ねて来る。

「五人ですよ。」

 馬車の下に並ばせた「商品」を披露するかのように、頭領は奴隷達の方へ左腕と左手を広げた。




 まだ暴れている茶髪の男に、誰も関心を示していなかった。


まさかの150話………(苦笑)

読んで下さっている方、今日たまたま読んで下さった方、本当に、本当にありがとうございます!


150話目は少しヘビーな回になってしまいました。

物語はもう少し続きます。


下の☆☆☆☆☆を押して頂いたり、ブックマークして頂けたりすると、物凄く励まされます!

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