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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
141/239

141. 花嫁と奴隷の少女

 打ち付けられた体が痛い。だがミルは懸命に動く方の左足を引き、逃げようとした。


 その瞬間。



 がしゃあんっ!!



「きゃあっ!!」



 鼓膜を突き破るような音がして、二人の女性は悲鳴を上げた。


 ばしゃん!!


 アメルダの手から離れた鎖が、床の上で大きな音を立てて跳ねた。




 両耳を抑えて数瞬をやり過ごしたあと、ナギは目をみはりながら空を見上げた。

 馬の世話をするためにここまで来ていた、二つの家の男達も騒めいている。



  雷………?



 そう思える閃光が走ったが、皆(にわ)かには信じられなかったのだろう。


 この日の天気に、そんな前兆は微塵もなかった。

 夕暮れの空はやや雲が多くはあったが晴れと言える様子で、風は穏やかで心地よく、湿ってもいない。


 馬装を解いたり水をやったりといった馬の世話がようやく落ち着こうとしていた時で、先刻さっきまで大勢いたゴルチエ家の者達はもうだいぶ姿を消していて、数名が馬小屋の周囲に残っているだけだった。


 動揺して小屋の中で暴れ出す馬達を、何人かの男がなだめて回る。


 その時、小屋の外にいたゴルチエ家の男が一人、遠くを指差して声を上げた。


 辺りにいた者達がそちらを見やって、ざわざわと言葉を交わす。


 裏庭の井戸の前に立ったまま、ナギも彼らが見つめる方向に目を向けていた。


 ブワイエ家の館はなだらかな丘の裾野に近い辺りにあり、裏庭を囲む煉瓦と鉄柵で出来た塀の外がいつも牛達を放牧している場所だ。その丘の輪郭線のずっと向こう、遥か北西の空に、異様な雲が湧いていた。


 夕空の一隅に、そこだけ絵具で灰色を塗り加えたように大きな雲がある。

 その下には地面と雲を繋ぐような太く白い筒が見えた。大量の雨が、筒状に見えているのだ。


 かなり遠い。


 あの雲の下は大雨なのだろうが、この場所には水音一つ聞こえてこない。


 離れた場所で雨が降る様子を見るのは皆初めてではなかったが、その雲と雨は小さな人間に畏怖の念を抱かせる程の巨大さを持っていた。


 遠くのあの雨が、ここにも雷をもたらしたのか?



 ナギは思わず空中を見回した。



  まさかラスタが――――――――――――――――――?



 雷が起こせるようになったと聞かされたことはなかったが、雲からこれだけ離れた場所への落雷は不自然に思えた。



「………ラスタ?」



 小さく呟いてみる。


 だが竜人の少女の存在を知らせるような反応は何も起こらなかった。



 結局晴天の落雷は一度だけで、人々はまた何ごともなかったかのように動き出した。

 晩餐の時間が迫っていたので、こちらに流れてくる様子もない雲をいつまでも眺めている訳にはいかなかったのだろう。


 だが花嫁が到着した直後の不可思議な落雷を、不吉に感じた者は少なくなかった。


 ナギにとってはハンネスの結婚など元々めでたい話でもなかったが、何か胸に騒めくものを感じて、台所に引き上げる前、少年はしばらくの間、遠くの雲を見つめて佇んだ。


 このすぐあとに自分の身に起きることは、全く予想出来ていなかった。




 閃光が走った窓の向こうを、二人の女性は目を見開いて見上げていた。


 先に我に返ったのはミルだった。


 アメルダが取り落とした鉄の紐はミルの足を掠めはしたが、幸い大きな打撃は与えなかった。


 起き上がろうとした少女の足元で、鎖が音を立てる。


 その音に気が付いた青銅ブロンズの瞳が、少女の奴隷に向き直った。


 アメルダの表情に苛立ちが浮かぶ。

 花嫁の手は再び鎖へ伸びたが、今度はミルは足をばたつかせた。重い鉄は少女自身にも当たって痛みを生じさせたが、そうしなければ刃物を持つ花嫁にまた捕まってしまうだろう。


 鉄鎖はうねるように宙を舞い、花嫁は眉をしかめながら一端手を引いた。


 ミルは今アイロンを掛けていたシーツをそこから引き摺り降ろすようにしながら、作業台にしがみ付いて立ち上がった。そして花嫁から遠ざかる方へと台を廻り込んだ。


 花嫁がどうして自分を狙うのか、全く分からなかった。


「誰か―――――――――――――誰か!」


 右手の二本の指でシーツを握り込み、ミルはもう一度ヤナ語で叫んだ。咄嗟にヴァルーダ語など出て来ない。


 足が二重に不自由なミルが、アメルダを振り切るのは困難だ。おそらくこの部屋を出られる前に掴まる。しかもほとんど左足だけで自分の体を支えているミルは、完全に立ち上がってしまうと蹴るような動きが出来なかったから、枷であると同時に唯一の武器とも言える足の鎖も、簡単には使えなかった。


 かと言って、床で足をばたつかせ続けていれば助かるとも思えない。


 やはり花嫁の方が素早くて、ミルはすぐに服を掴まれた。



「誰か!!」



 15歳を迎えたばかりの少女は、力の限りに叫んだ。



 声を聞きつける者があったとしても、ヴァルーダ人は奴隷を助けないのかもしれない、とも思う。


 でも、助けて貰える可能性もゼロではない。



 ブチブチッ!



 その時、花嫁に引っ張られた少女のスカートのボタンが、下から数個弾け飛んだ。


 服ごと引き摺られそうになる。





  ナギ――――――――――――――――――!





 本当は今日まで何度も、足の不自由な自分は脱出の重荷かもしれないと考えた。





 でも多分、ナギはミルがミル(じぶん)の人生を諦めることを、望まない。





 作業台を伝いながらミルはなおも逃げようとし、ボタンがまた数個飛んだ。

 ふっと花嫁の顔に残忍な笑みが浮かぶ。


 アメルダは、少女奴隷の服を思いきり引いた。



 ビイイイィィィィィッ!



 布地が裂ける音がして、ミルの服のボタンは、裾から胸元辺りまで一気に失われた。


「…………!」


 下着のシャツとペチコートがあらわになる。

 愕然とした表情を浮かべたミルを見て、花嫁はわらった。


「このまま外に引き摺り出してやろうかしら。それも面白いわね。」


 明後日あさって挙式する予定の女性が何かを言ったが、その言葉は、ミルには分からなかった。




 ばんっ!




 突然顔に何かが当たり、アメルダは少女の服から手を離した。


 ミルが叩き付けるように両手で振ったシーツが、アメルダの顔を打ったのだ。


 かっと目を見開き、アメルダは少女奴隷を睨みつけた。

 綺麗に結い上げられていた金髪が乱れて、そのこめかみにこぼれる。

 花嫁の美しい顔に怒りが燃え上がった。


「よくも………!!」


 台を伝って、ミルは逃げた。




 ある日突然鎖を嵌められ、事故で体が不自由になった。

 言葉も分からぬ国に売られて、地下牢の闇の中で一年を過ごした。



 ナギと竜人の女の子が希望をくれなかったら、自分の心はとっくに崩れ落ちていた。



 見知らぬ異国の子供を、必死に治療してくれた医師のことも思い出した。


 自分達も鎖に囚われながら、13歳のミルを慰め、励ましてくれたセナムの人達のことも。


 そして自分の身を案じ続けている筈の、故郷の家族のことも。



 自分の命は、今日まで沢山の人が繋いでくれた。



 簡単に諦めてはいけない。



 ナギとラスタと、故郷に帰るんだ。




 アメルダの手が、背後からミルに迫った。


読んで下さった方、ブクマや評価してくださった方、本当にありがとうございます。

物凄く励みになります!

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