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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
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139. 花嫁と夜会

 背中から、ふいに優美な音楽が聞こえ出した。


 今夜のために雇われた楽団がホールで演奏を始めたのだ。


 状況の想像が全く出来ない。

 後ろを歩く黒い服の女の気配にナギは意識を集中したが、女は演奏に反応する様子を見せなかった。



  あの花嫁は今どこにいるんだ。



 重なり合う弦のが、祝事ほぎごとに相応しい優雅な旋律を奏でている。


 音楽が始まったということは晩餐は始まったか、程なくして始まるのではないかと思う。

 なら今夜の主役である花嫁もそこにいる筈ではないのか。


 ブワイエ家側の人間も含めて、廊下には誰の姿も見えなかった。ほとんど館じゅうの人間がホールか台所にいるように思えた。だがこの女は、会場に向かう気はないらしい。

 ナギはホールからも台所からも、そして牛小屋からも遠ざかる方向へと歩かせられていた。



  ミルはどこに……?



 もう一度ミルのことを思った。


 自分は捕まるかもしれない。でも自分が捕まることより、ミルをここに独りで残すことや仲間を救える可能性が消えることの方が、耐え難い気がした。



「止まりなさい。」



 冷気を孕む声が発した新しい命令に、ぎくりとする。息を飲むようにしてナギは立ち止まった。


 まだ使用人の居住棟を出たばかりで幾らも歩いていない。

 訳も分からないまま、何があるでもない廊下の途中で奴隷の少年は足を止めた。



「そこを開けて入るように。」



  ここを―――――――――――――――――?



 次の命令が続けて下され、少年は扉を見やった。ナギが立っていた場所は、両開きの扉の真横だった。



 少年の顔に緊張が走る。



 その扉の向こう側にある物をナギが知ったのは、つい最近だった。

 ラスタが教えてくれたからだが、ナギ自身はまだここには入ったことがない。


 この扉は普段は施錠されている筈だ。


 だが何も尋ねず、ナギは無言で扉に向き合った。



 扉の左半分はなんの抵抗もなくひらき、そこに階段が姿を現した。



 階上うえに向かう階段――――――――――――――実際に目の前にするとどきりとする。


 二階には、ブワイエ一家と花嫁の部屋がある。



  もしかしたら、花嫁もヘルネス父子おやこもホールにはいないのかもしれない。



 そこに立ち尽くし、ナギは数瞬、考えを巡らせた。



  今なら自分を監視しているのはこの女中だけだ。



 逃げるべきなのかもしれない。女中一人ならなんとでもなる。



  でもこの場から逃れたとして、そのあとはどうなる?



 数秒の迷いのあと、ナギは前へと進んだ。

 その選択が正解であるのか、確信は一切持てなかった。



 階段の壁付けの燭台には、もうが灯されていた。黒い服の女が、後ろで扉を閉める。

 音楽が遠ざかった。


 この先に何が待ち構えているのか、全く予想出来なかった。


 これを指図しているという花嫁が、自分の行く先にいるのかどうかも。


 ナギは一度女中を見やったが、女中は新たな指示は出さなかった。心臓が激しく打ち続けるのを聞きながら、少年は黙って階段をのぼり出した。



 この館にはあと二カ所、ナギが存在を知らずにいた階段があると言う。それを教えてくれたのもラスタだ。


 今ナギがのぼっている階段にはつた模様の織り込まれた濃緑の絨毯が敷かれていた。使用人用の階段とは見えない。二階と三階に客が滞在する時だけ使われている、客人用の階段なのかもしれない。


 ひょっとしたら死に向かっているのかもしれないその階段を、踏み締めるようにナギはのぼった。そして三段目に足を掛けた時。



  窓……!



 はっとした。


 突き当りの踊り場に、格子の入った大きな窓がある。位置的に裏庭に面している筈で、ならあの窓からホールが見える筈だと思う。



 階段は踊り場で180度折り返して二階に向かっていたが、ナギは窓の外を見るためにわざと大回りした。咎められるかもしれなかったが、この女中が武器でも持っているのでない限り、一対一の今は脅威ではないだろう。


 向かいの北棟が正面に見える。

 外にはもう、薄闇が落ちていた。


 四季折々の花が咲く裏庭には篝火が焚かれていた。

 三つの棟に囲まれたこの裏庭が、この館の自慢なのだろう。領主夫妻の部屋も客室もホールも、皆この裏庭を向いて造られていた。


 ホールは今ナギがいる南棟の付け根辺りにある。

 裏庭に向かって館の一階部分が大きくせり出している場所があり、そこがホールだった。


 少年が窓の右下を見ると、今日の晩餐会場はやはりそこに見えていた。

 巨大な窓が並んでいて、たくさんの明かりが薄闇を窓形に切り抜くように華やかに灯っている。その向こう側で、多くの人間が蠢いていた。


 だが肝心の花嫁がそこにいるのかが分からない。

 階段こちら側の景色が映り込んでしまって、外はよく見えなかった。


 窓越しに自分の背後に立つ女と目が合った時、少年はぞっとした。



 女が何かを言うことはなかった。ぎりぎりまでホールに目を向けたまま、ナギは窓の前を離れた。



 少しだけミルの姿も探した。



 会いたい、と思った。



 一目だけでも。




  ラスタの存在を知られたのだとして、館の上層階に向かう理由はなんだろう。




 階段の続きをのぼりながら、ナギは必死で考えた。そしてあることに思い至って、血の気が引いた。


 まさか、と思う。


 

  まさかラスタが捕まった――――――――――――――――?!



 あり得ない。


 でももしほかに獣人がいたら?


 不可能ではないのかもしれない。



 人間の自分達は駄目でも、ラスタだけは無事でいられるだろうと思っていたのに。この想像だけは、間違いであってほしい。



 階段を計三回折り返し、ナギはまた扉の前に出た。二階に着いたようだ。



「そこを開けて右に曲がりなさい。」

「……!」



 やはり目的地は二階だった。

 ナギは全身を強張らせた。一拍を置き、少年は一か八かの思いで扉を引いた。



 ナギがこの場所に足を踏み入れるのは初めてだ。二階の廊下にも人の気配はなかった。



  右―――――――――――――――――――?



 何が起きようとしているのだろう。花嫁の部屋とも、ヘルネスやハンネスの部屋とも反対の方向だ。



「そこを開けなさい。」



 ある扉の前で女に言われた時、心臓だけではなく体中が脈打つように感じて、ナギは息が苦しくなった。


 ここが終着地。


 この扉の向こうに何が待つのか、一切予想出来なかった。



 扉を開けるべきなのか、ここから逃げるべきなのかもう一度考える。だがどれだけ考えても分からない。判断材料が少なすぎる。



 氷のような女中の視線を感じながら、ナギは扉のノブに手を置いた。手が汗ばんでいる。



  ミル。ラスタ―――――――――――――――――――――。



 二人の名前を胸の中で呟き、ナギはゆっくりとその扉を押し開けた。




 裏庭に向いた窓と、その前の丸テーブルに置かれたランプが真っ先に少年の目に入った。ランプには、明かりが入っていた。

 部屋の左側には、頭を奥に着けて壁に沿うようにベッドが置かれていた。


 客室と思えた。






 誰もいない。






 全身から力が抜けて、ナギはその場で一瞬崩れ折れそうになった。



 大勢の男達に取り囲まれる事態も想像していたのに。

 花嫁も、ブワイエ家の人間もいない。



 なぜここに連れて来られたんだろう。




 と。




「足を出しなさい。」



 黒い服の女の言葉に、ナギは目をみはった。




  今ここで足枷を解くのか?!




 部屋にも周囲にも人の気配はない。ナギと女は今、一対一だった。


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