135. 花嫁の馬車
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「来たわよ!」
「すげぇ!」
「あれが若奥様か!」
馬の蹄と車輪の音が聞こえてしばらくすると、森の向こうから騎馬と馬車の姿が現れた。
村人達は一斉に作業の手を止め、伸び上がって金と濃紺で彩られた隊列を眺めた。
華やかな物が乏しい田舎で、輿入れの隊列の煌びやかさは祭の演し物のように麦畑の人々を興奮させた。
馬車の数が三台なのは一年前の冬と同じだったが、後ろの二台が大型であるのが一年前とは違う。馬車を囲む騎馬の数もその時よりも多い。
帯剣した騎馬兵は金色の装飾をふんだんにあしらった黒に近い濃紺の服を着ていて、それは三台の馬車の配色と同じだった。
隊列が近付くと、先頭の馬車の中に使用人らしき女性二人と向かい合って座る、年若い令嬢の姿が窓越しにちらりと見えた。胸元にも耳にも宝石を飾り、赤紫のドレスを纏ったくっきりとした顔立ちの令嬢は一年前と変わらず、「派手」に近い程華やかだ。
遂に来た――――――――――――――――――――
ナギも作業の手を止めると、村人達と一緒に馬車と騎馬の隊列を見やった。表情は硬い。
脱出を目前にして館の状況が大きく変わる。
ナギにとってはこの婚礼は、不安要素だった。
とは言えハンネスとゴルチエ家の令嬢の婚儀は明後日に予定されていたから、この到着はかなりぎりぎりである。
村人達が畑仕事そっちのけで騒ぐ。
「若っけーな!」
「ほんとにゴルチエ様とかいう所のお嬢様なの?」
馬と馬車が立てる音に搔き消されて相手の耳には届くまいと判断したのか、未来の領主夫人に対する領民達の発言は、だいぶ不躾だった。
ほとんどの村人は余所の領主の名前まで知らなかったのだが中には詳しい者もいて、この頃には花嫁が国有数の名家の出であるらしいことは領民間に知れ渡っていた。
馬車が麦畑の横を過ぎ、館への坂道を登って行く。
馬車を守る騎馬兵が陣形を一切崩さないのが、見事だった。
畑の監督役も領民達を叱るどころか、一緒になって見物している。
館の両開きの門は日中は開け放たれており、金と濃紺の集団は見物人達の前で、次々とその中へと入って行った。
麦畑からは見えなかったが、この時玄関前では、既にブワイエ一家と主だった使用人達が花嫁を迎えるために整列していた。
馬の数が多いな――――――――――――――
門の向こうに消えた一行のことを、奴隷の少年は少しだけ気にした。
ナギが知る四年間の客の中で、今日の一行が、一番馬の数が多い。
あの数だと、馬糞の始末だけでも大変だ。館の前庭はもう馬糞だらけじゃないかと思う。
予感めいたものはあったが、しばらくすると館の方から使用人の男が畑に走って来た。
「ナギ!手伝え!馬の世話する人手が足りない。」
◇
館の前庭は、馬と人と荷物でごった返していた。
やはり馬糞が大量に落ちている。
大型の馬車からはまるで工芸品のような収納ケースが次々と降ろされて、玄関に運び入れられていた。
花嫁の物だろう。
絵や石で飾られた豪華なケースが、随員の物とは思えない。
花嫁の荷物は去年の内に既に二度、大量にブワイエ家に持ち込まれた筈なのに、追加の荷物がまだこれ程あるとは。
ナギには理解出来ない贅沢な暮らしぶりだった。
前庭の混乱に、両家の使用人達が殺気立っている。
とにかく移動させていい馬から順番に馬小屋へ引いて行き、馬装を解き、餌や水を与えなくては。
前庭の掃除は、ここから馬がいなくなってからだ。
混乱の中で一頭の馬の手綱を手に取った時、目の端が二階の廊下を歩く人間の姿を捉え、ナギは視線を上げた。
ハンネスが花嫁を連れ、廊下を北の方へと向かっていた。
花嫁の部屋が二階の北端に用意されているらしいことは、ナギはラスタから聞いて知っている。―――――――――その部屋が夫婦の部屋ではなくて、どうも「花嫁専用の部屋」であるらしいことも。
おそらくそこに案内しようとしているのだろう。二人のすぐ後ろにクライヴの姿も見える。
そしてもう一人、全員を先導するように歩いている女。
あの女だ―――――――――――――――………!
花嫁に随行して来たのだ。
と、女中の冷気を孕むような瞳がちらりと地上を向いた。
黒い服の女と視線が合って、少年はぞっとした。




