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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
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132. 少年と少女と竜人少女(2)

 ミルの表情に、少年は気が付いた。胸にずきりとした痛みを覚える。

 その横で鉄格子の扉は即座に閉まった。


 がしゃんっ。


「なら帰ろう。」

「待って!」


 慌てて声を上げる。


「ごめんラスタ、もう一回開けてくれる?」

「行くっていったじゃないか!」


 ラスタはぱんぱんに頬を膨らませたが、扉は開けてくれた。

 外開きの鉄格子が往復運動をしているかのように、もう一度独りでにく。


「ミルに水を渡さないと。」


 もぞもぞとそう言って竜人の少女を先に扉の中へと促すと、それから少年は、自分もぎくしゃくと扉をくぐった。


 先刻さっきのせりふは、言わなかったことにする。



 ナギがまだここにいてくれると知り、ミルの瞳には安堵の色が浮かんでいた。



 オレンジのの中で、ナギはミルを見つめた。


 ミルと完全に自由に話せるのは、一年以上前のあの雨の日以来のことだ。


 あの時より背も髪も伸びて、ミルは子供から女性に近付いて見えた。



「――――――――――――――――――――」


 

 ナギの持つが、ミルが過ごして来た闇を照らす。


 左奥の壁添いに、四角い台に足を付けただけのような粗末なベッドがあった。ミルは頭を奥にして眠っていたが、枕はなかった。

 それからベッドから数歩離れた入り口と向かい合うくらいの位置に、木の座面を備えた石積みの手洗い。その右横に小さな籠が置かれていて、ヴァルーダ人が用を足した後に使っている木の葉が、一応数枚だけ入っていた。

 剥き出しの石の床は平らでなくて、足枷がなくてもつまずきそうになる。


 ろうそく一本だけの灯りでは、この場所に染み込んでいるかのような陰惨な気配は消せなかった。


 たった一人でミルがここにいるのだと思うと、ナギは胸が苦しくなった。


 立ち去り難い思いがしたが、でもやっぱり、長居は出来ない。


 館の人間に見つかれば全てが終わってしまう。



 一カ月近く前。

 ラスタは人の姿になってから二度目の成長をした。


 館の全ての場所を、ラスタは今では牛小屋から見ることが出来るようになっている。


 だがほかのことに気を取られながら周囲に注意を払うことが難しいのは、竜人もあまり人間と変わりがないらしい。今階上(うえ)の警戒は、だからおろそかになっているのだ。


 胸が締め付けられる思いがしたが、今は予定通りに引き揚げるべきだった。

 



 この時、ナギと竜人の女の子を見つめてミルは、心を深く揺さぶられていた。

 

 想像もしていなかったからだった―――――――――――――日常の欠片かけらに、もう一度触れられる日が来るなんて。 


 入り口を入って来た小さな女の子とナギの姿。ナギが歩いても、鎖の音がしていない。


 それはナギとミルが失ってしまった日常―――――――――――――――「自分の『部屋』に友達が来る」日常、その欠片かけらだった。



 そして同時にミルは、奴隷狩りに遭う前とあとの、どちらの日常にもなかった全く新しい経験もしていた。



 今彼女の目の前に、竜人がいた。



 人間ひとに姿を変える超常の存在だ。



 光に包まれているかのような超常の存在があんまり綺麗で、びっくりした。



 竜人の女の子は小さく頬を膨らませたままで、もあらぬ方向を向いたままだ。むくれ顔をしていても、やっぱり竜人の少女は、現実離れして綺麗だった。

 艶々と煌めいている山吹色の服の布地も見たことがない程に豪奢で、まるでお姫様みたいだ。ナギはこんな服を、一体どうやって用意したんだろう。



 訊きたいことは色々あるけれど、きっと長くは時間が取れないのだろう。



 ミルはナギと目交ぜしてから、竜人の女の子からの贈り物を開けるためにベッドに向かった。


 ちょっとだけ怖かったので、ミルは一度ベッドをそっと触って寝具が生き物でないことを確かめてから腰を降ろした。


 そしてナギと竜人の少女に見守られながら、人間の少女は膝の右横でわらの紐の蝶々結びをほどいた。



 包みに使われていたのは、リンデンの葉だった。

 これを包むために大振りの葉を見付けて工夫してくれた、二人の気持ちが嬉しかった。しかもこの葉っぱは、ラスタが見付けてくれたのだと言う。


 丸まった数枚の葉を剥くように包みを開けて、中身を理解した時、ミルは目をみはった。



 食べ物だった。


 殻が剥かれてあるゆで卵と、小さな焼き菓子が三枚。


 それは今のナギとミルにとっては、手が届かないごちそうだ。



 息を飲みながら竜人の女の子を見上げると、少女はちょっとだけ得意げな表情かおをしていた。その隣で、ナギが微笑んでいる。



「――――――――わたし、なんてお礼を言ったらいいのか―――――」

「誕生日だからな!」



 なぜか胸を張った竜人の少女を見て、ヤナの少年と少女は思わず笑った。



 笑いながらナギは燭台を床に置くと、鞄からまた次々と何かを取り出し、それを今度はミルの膝の左横に並べた。



 並べられた物の一つはヴァルーダ人が歯を磨くのに使っている香草だった。


 少年のその気遣いはミルを驚かせた。ナギは色々なことに、本当によく気が付く。

 

 香草は本当は、粉状にした上で油脂や塩を混ぜて練り物にして使うのだが、練り物を切らしている時には生の葉で直接歯を拭いてもいいらしく、女中達がそうしているのを、ミルも何度か見掛けたことがあった。



 医者がまともにいない場所で、衛生管理は大袈裟でなく生死に関わる。



 残りの物は、リンデンの葉の上下を小さな木串で留めて器状にした物だった。

 それが三つある。お皿代わりだろうか。



 ナギは少しだけ躊躇ためらっていた。


 食べたり歯を磨いたりするのに水が必要だと思ったのだが、ここには机もない。かと言って、あの木の座面の上に置くのはかなり抵抗がある。



「ミル――――――――ここに水を入れるけど、こぼさないように気を付けて。」

「水?」

「ラスタは水も作れるんだ―――――――ラスタ、お願い。」



 目を丸くしたミルの前で、小さな小さなコップの中は、一瞬できらきらとした水で満たされた。



 言葉もなかった。


 何もない所から水が湧き出るなんて。


 故郷を目指す時にどれだけ心強いだろう。



 絶句して、ミルは少年と竜人の少女を見上げた。

 ナギに「ありがとう」、と告げられた竜人の女の子は、また得意そうに胸を張っていた。



 それからナギは腰を屈めると、火の灯されていない方の燭台を取り上げた。ナギが持ってきた燭台の横に置かれていた、費える寸前の短いろうそくが差されたそれは、ミルに与えられている物だった。少年は自分の燭台からそこに火を移すと、移した方のを手にして体を起こした。



「こっちの燭台は置いて行くから―――――――今日はを付けたまま寝て。明日あすの朝ラスタが来て、またこっちと交換してくれることになっているから。」



 はっとして、ミルはナギを見つめた。



  行ってしまうの――――――――――――――――?



 焼き菓子も小さなコップも、三つある。

 一緒に食べられるのかと思っていた。



 少女の気持ちが伝わり、ナギも苦しかった。



 だが一瞬の間のあと、小さくうなずき、ミルは微笑んだ。




 竜人の少女が房の扉に再び鍵を掛ける。


 葉っぱの包みを開ける時に一度ベッドの上に置いたビオラを、ミルは無意識にまた胸に抱いていた。



 冷たい鉄格子を挟み、オレンジの灯りの中でミルとナギは向き合った。



 あの時のクライヴのように誰かが突然夜中に来ないとも限らない。万一の時でも大丈夫なように、燭台も使いさしの短いろうそくも、すり替えに気付かれにくそうな物をラスタに選んで貰ってはいる。


 せめて今日だけでも、ミルに地下の闇に怯えずに過ごして欲しかった。


 本当はもっと一緒にいられれば一番いいことは分かっていたが、それは出来ない。



 苦しげな表情で少女を見つめる少年の横で、竜人の少女はむくれていた。



「また明日あした。」

「……気を付けて。」



 最後の挨拶を交わして、ミルを見つめながら、ナギは格子の前を離れた。

 と、その隣で竜人の少女がふわりと宙に浮き上がった。



「えっ?!!」

「これもラスタの力なんだ。」



 困ったように微笑わらい、ナギは慌ててそう説明してミルを安心させた。

 今日が誕生日の少女は限界と思えるくらいに大きく目を見開いて、半歩後ろに飛びのいていた。





 地下牢の入り口の格子扉を二人が出て行く。



 格子の向こう側で、宙に浮いたラスタがナギの背中に抱き付くのを見た時、ミルはやっぱりちょっと、辛かった。





  自分も二人と一緒に行きたい。





  二人と一緒にあの階段を登って、自由に外を歩きたい。






  ―――――――――――――夏になったら――――――――――――






 少年と竜人少女の気配が階上に消えるまで、また独りになった牢の中で、少女はずっと、格子の前にたたずんでいた。





 それからミルは、一人だけで竜人の女の子が用意してくれたごちそうを食べた。


 お菓子を食べるなんて、どれだけぶりだろう。

 さくさくと音を立てながら、甘さが口の中でほどける。体の中で甘味が力に変わるのをはっきりと感じて、少し驚いた。


 こぼさないように慎重に水を飲みながら卵とお菓子を食べる。


 体の回復を感じた。温かいが、元気をくれる。


 歯を磨いた時、思い付いて少女は、最後のカップに少しだけ水を残した。



 リンデンの葉の小さなカップは、ナギが作ったのだろうか。

 ナギの工夫と器用さに、感動する。



 ナギとラスタが一緒なら、きっと故郷へ辿り着ける。



 ベッドの上に座り、ナギが残してくれたあかりの中で、ミルはしばらくビオラの花を眺めた。


 その姿を記憶してから、ミルは花弁ぎりぎりの所まで茎を短くした。


 ほとんど花だけになったそのビオラを、小さなカップの中の水に浮かべる。






 紫の花が浮かぶ木の葉のカップを、長い時間、少女は両手に包んで見つめた。







 こんなに心深くに刻まれる贈り物は、生涯に二度と貰うことはないかもしれないと思う。







読んで下さった方、本当に本当にありがとうございます!


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