129. 婚礼前夜
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いかがでございましょう。」
仕立屋に恭しく尋ねられ、ブワイエ家の嫡男は左へ右へと体の角度を変えて、鏡の中の自分の姿を点検した。
ハンネスもさすがに緊張した表情だ。
挙式の日が迫っていた。
婚礼衣装の仕上げのために、この日ハンネスは仕立屋とその助手達に囲まれて、自室の大きな姿見の前に立っていた。
白髪の養育係は感極まった表情で、ヴァルーダ国の正装である丈の長い上着を纏う主人を見つめた。
襟飾りの白いレースも、輝きを放ちながらも落ち着きのある色柄のエナメルのボタンも、見事な出来映えだ。黒い上着と灰色のベストも、布自体が持つ艶とボタンや刺繍のお蔭で地味さはなく、華やぎと風格を両存させている。
わざわざ王都から呼び寄せた仕立屋だけあって、やはり衣装を着た時の見映えが違う。
ヘルネスとその妻も、息子の晴れ姿を眺めて満足げだ。
布地や装飾品の見本を大量に持ってやって来た採寸の時と今回で、仕立屋とその助手達を王都から二回往復させていた。この婚礼衣装一着だけで、莫大な費用が掛かっている。
ヘルネスらしからぬ大盤振る舞いだったが、それだけヘルネスは、ゴルチエ家に対して気を遣っているのだろう。
壊れた窓の修繕も既に済んでいた。
ハンネスが「問題ない」と言うように仕立屋に頷いたのを見届けると、クライヴは深々と頭を垂れ、主を讃えた。
「お似合いでございます。」
ゴルチエ家は、「王国のもう一つの王家」と囁かれる建国以来の強大な名家だ。
そんな名家の令嬢とブワイエ家の縁組など、正直、本来であればあり得ない。
何か訳ありに違いないとはハンネスも思っていて、そもそもからしてハンネスは、この縁談と花嫁に嫌悪感と不信感を抱いている。
実際、訳ありの花嫁だった。
「ハンネスには黙っておけ」とヘルネスに口止めされたため養育係は口をつぐんでいるが、嫁いでくるのは王族の怒りを買う不始末を仕出かした娘で、ブワイエ家の人間としては不愉快ではあるが、はっきり言えば、まともな縁談を望めなくなった令嬢だった。
ブワイエ家の扱いが返す返すも承服し難いが、不興をこうむった王族の手前、おそらく処罰的な意味合いもあって、ゴルチエ家は完全に格違いの田舎領地にこの娘を嫁がせることにしたのだろう。先方にとっては結婚が難しくなった娘の嫁き先も確保出来て、一石二鳥だった筈だ。
現在のゴルチエ家の当主には七人もの子供がいるそうで、政略結婚の駒を一つ失ったところで大きな痛手でなかったというのもあるのだろう。
ヘルネスは、そうと知ればハンネスが卑屈な気持ちになるのではないか、と案じているのだ。クライヴは当主の意向に従いはしたものの、「教えて差し上げた方がいいのでは」という気持ちの方が、本当は強い。
その方がハンネスも、あの高慢な娘に対して幾らか強気に出られるだろうと思う。
婚礼の日が近付いて、少しだけ期待も抱き出したようだが、花嫁に対するハンネスの嫌悪感は未だに大きい。
不穏な要素が残りはするものの、だがそれでもやはり慶ばしかった。
遂にハンネスが妻を娶るのだ。
顔合わせまでハンネスは疑っていたが、花嫁が酷い醜女ということもない。むしろ美女と言ってよく、しかも年若い。家柄は文句のつけようがない。
クライヴの感慨はひとしおだった。
ハンネス様の将来に立ち塞がるものは、なんであろうと許さぬ――――――
老僕の脳裏にその時、あの奴隷の少年の姿がちらついていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――――――――ミル。―――――――ミル。――――――――」
自分の名前を呼ぶ声に気が付いて、ミルは跳ね起きて鉄格子を見やった。
燭台を持つ手を掲げて、格子の向こうにナギが立っていた。




