126. 冬晴れの丘
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
肩から吊るした太鼓を、兵士達が両手のバチで一斉に打ち鳴らす。
鹿毛の馬に跨ったヴァルーダ王グスタフは、上機嫌で丘の下の黒髪の集団を眺めた。
「今日は少し少ないのではないか?ゴウルよ。」
「申し訳ございません。今回の陛下のご要望が『黒髪』でございましたもので。領内の黒髪を搔き集めはしたのですが。」
「そうか。いらぬ苦労を掛けたようだな。だがこれではすぐに終わってしまうぞ。」
「お手柔らかに。」
ゴウル=ゴルチエは大笑するグスタフの隣の馬上で頭を下げたが、その口元は引きつっていた。
この愚かな男は奴隷は無限に湧いて出てくると思っている。
この男の馬鹿げた娯楽のために、ゴルチエ家がどれだけ散財を強いられて
いるか、考えもしない。
実は「気付かぬふり」をしているだけで、グスタフはゴルチエ家の弱体化を狙っているのではないかと一時は真剣に悩んだが、この男に、そんな些細な知恵すらあるとは思えない。
顔を伏せて表情を隠したまま、茶髪の男は心の内でヴァルーダ王を罵っていた。
目の前の男に敵意を抱かれているとも知らず、グスタフはうきうきと右手を上げると、高らかに宣言した。
「皆の者!では健闘を祈る!我がヴァルーダの栄光ある兵士の力を見せつけよ!!」
◇
丘の下では、突然普段と違う場所に連れて来られた奴隷達が不安気に顔を見交わしていた。
いきなり打ち鳴らされ出した太鼓の音が、地響きのように不吉に腹に迫って来る。なのに冬晴れの抜けるような青空にさえずる鳥達が実に長閑で、なんだか奇妙だった。
集められた奴隷達は全員黒髪の男で、ヤナ人が多い。ここに来る直前に「着ろ」と言って渡された服も、ほとんどがヤナのものだった。
故郷の言葉をこんなにたくさん聞いたのは、奴隷狩りに遭って以来だ。
何から何まで異様な雰囲気で、カナタは自分が何かこの世ではない場所に紛れ込んだかのような感覚に陥った。
丘の上に太鼓を打ち鳴らす者達と、数十の騎馬が並んでいる。その中でも一際目立つ深紅のマントを着けた仰々しい姿の男が、右手を上げて何かを言い出した。だが、ヴァルーダ語がまともに分かる者は丘の下側にはいなかった。あの男がヴァルーダ王であると知る者すら、ここには一人としていなかった。
黒髪の者達が騒めきながらきょろきょろと周囲を見回す。
青い空と、だだっ広い緑の丘陵はどこまでも長閑だった。
でも不吉な予感が胸をせり上がって来る。
逃げた方がいい。
ここに来た時に、なぜか皆足枷を外された。
それが何を意味するのか、全員、朧気に感じ出していた。
丘の上の男の声が途切れる。
それと同時に頭上に掲げていた手を、男は宙を切るように前方に振り下ろした。
ひゅん、ひゅ、ひゅん………
悲鳴と怒号。
「逃げろ!!」
百人近い奴隷達は、蜘蛛の子を散らすように散った。
カナタの瞳に、長閑な青い空を降って来る、場違いな矢の雨が映っていた。
ドスドスッ!!
金属の矢尻が地面を穿ち、突き刺さる。
矢は全て奴隷達の手前に落ちた。
外れたのか、外したのか。
おそらく後者だ。
これはゲームの開始を知らせる合図だ。
それを裏付けるように、鬨の声を上げながら騎馬の集団が斜面を駆け降り出した。
二射目はない。
何十という馬の蹄が、地を抉る音がする。
狩られる。
ただの処刑じゃない。
遊びだ。
足枷が外されたのは、「全力で走れ」という無言の指示だ。
◇
「スーレイン、見ておれよ‼余の傍を離れるな‼」
槍を構えて馬を駆るグスタフは嬉々としていた。
そのすぐ後ろを馬で続いていた金髪の女は無言で、微か過ぎる程微かに頷いた。
ゴウルの表情が一層険しくなる。
馬の腹に届く程の長い髪をした女は、男物の素っ気ない服を着ていて愛想の欠片もなかったが、この世の存在とは思えない程に美しい。
彼女はグスタフお気に入りの獣人の女で、グスタフが彼女に執心していることは王宮では今や知らぬ者がない程だ。
グスタフの醜悪さと愚かさに、ゴウルは心底から嫌悪を覚えた。
グスタフには既に妻も子もいる。
妻以外の女ならゴウルにもいないことはないが、こうもあからさまに王妃を差し置いて他の女を連れ歩くとは、公を弁えないグスタフの振る舞いは、一国の王のそれとは思えなかった。
しかも数年来の執心にも拘らず、スーレインと言う名の獣人の女は、グスタフに靡く様子を全く見せない。
服も宝石も、グスタフが贈ったであろう数々の物をスーレインが一切身に着けないのは、やんわりとはしているが分かり易い拒絶と思えるが、グスタフは諦められないようだった。
もちろん獣人の怒りを買ったりすればとんでもないことになるから、無理矢理どうこうするなど出来ない。
他の合いの子の獣人達には国選りすぐりの美男美女が差し向けられているが、スーレインにはグスタフ自らがご執心ということで、男は遠ざけられている。
合いの子の獣人は「恩返し」が済むと、人間の世から去ってしまう。
獣人は長くは人間の世界に留まらない。
獣人達も人間の企みに簡単に乗ってくれはしないのだが、国家としては彼らが去る前に、その卵をもう一度得たいのだ。
だと言うのに、国王自らが、その邪魔をしていた。
うんざりする。竜の卵を手に入れられれば。
ゴウルは目の前を行く男の背中を睨んだ。
あの玉座には、わたしが座る。
◇
槍や斧で人間が破壊されていく。
長く鎖に繋がれていたために、まともに足が動かない人もいるようだった。
騎馬兵から素手で人を救えるような力は、カナタにはなかった。
他の男達と同じように、ただひたすらに少年は走った。
死んだ方が楽だと何度も思ったのに。
いざとなると体が動く自分を知った。
晴れ渡った空の下に、なだらかな緑の起伏がどこまでも長閑に続いて行く。
所々に木が繁っていた。
息が切れる。
もうどれだけ走っただろう。
起伏を一つ越えた時。
頭の片隅で感じていた絶望に出会い、カナタは足を止めた。
壁が見える。
この丘陵は閉じられている。
ここに連れて来られた時に、煉瓦の高い壁に設けられた扉を潜った。
煉瓦壁を見たのは最初だけで、その後は視界が開けていたから壁の存在は記憶から消えかけていたが、それは不穏な影のように少年の心に微かに掛かり続けていた。
あの壁はきっと、この丘を取り巻いているのだ。
逃げ場がない。
後ろを振り返った。
あちこちに逃げ回るヤナ人と、追い立てる騎馬の姿が見える。
ここで棒立ちになっていたら、すぐに自分もあの餌食だ。
もう助かると思えなかった。
それでもカナタは走った。
木立に身を隠そうと、少年はそこに駆け込んだ。
「う、わ……!!?」
自分が見たものが咄嗟に理解出来なくて、声を上げた後、カナタはその場に立ち尽くした。
馬が一頭繋がれていて、その横に誰かが座っていた。
驚く程に長い髪。
女性に思えたが素っ気ない服は男物で、そしてこの世の存在には見えない程に、その存在は美しかった。
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