125. 牛小屋の宴
ラスタの顔に困惑の色が浮かぶ。
「それはナギのごはんだろう。わたしはちゃんと食べてるぞ。」
心配そうにそう言った竜人の少女に「今日はラスタと食べたかったから」と応えると、小さな少女の瞳は、ようやく少しだけ明るくなった。
色の濃い固いパンはごちそうには程遠いし特段おいしい物ですらないけれど、二人で食べれば、多少はお祝いらしい気分になれると思う。
パンや野菜を小さな竜に持ち帰ったことはこれまでにも何度かあったけど、考えてみれば人の姿になったラスタと一緒に何かを食べるのは、今日が初めてだ。
「竜の時には大体なんでも食べられる」と言っていたラスタだが、人の姿の時には「人間の食べ物」がいいらしい。
竜の時と人の時で食べる物は違うのか――――――――――竜人少女が生まれて以来の少年の疑問も、少女が喋れるようになってくれたお蔭でようやく解けた。
ラスタ曰く、「虫や生肉は人の姿の時に食べると不味い」。
――――――――――――食べられなくもなさそうな口ぶりは気にはなったが、絶世の美少女であるラスタが虫を食べる姿は、ナギは考えないことにした。
竜人の少女に足枷を外して貰うと、ナギはまず、木の椀の中でパンを砕いた。
小屋の中が真っ暗になるまで、少しずつ、時間をかけて食べるつもりだった。
固いパンは、どうせちょっとずつしか食べられない。
牛乳に浸せば違うだろうけど、ナギは未だにラスタに牛乳をやったことがなかった。
竜がなんでも食べられると知っていれば――――――――――――
どうやらナギは自分が手に入れられる数少ない食べ物を、一年間、無駄に避けてしまったらしい。今になって知った事実に正直かなり落ち込んだが、でも加熱していない牛乳は人間の赤ちゃんに飲ませると、最悪死んでしまうこともある。それを赤ちゃん竜に飲ませる気には、到底なれなかったのだ。
なにせここには、人間のための医者すらいないのだ。
竜人少女の病気や怪我は、ナギが何よりも恐れていることの一つだった。
「どんぐりはどうするんだ?」
「うん。」
ささやか過ぎる祝いの席の目玉はこちらだ。
不思議そうにしているラスタの前で、ナギは「部屋」から飛び降りると、床下から二つの木桶を取り出した。
それから少年は、それを「部屋」から少し離した場所に並べて置いた。
「こっちがラスタの桶で、こっちが僕の桶ね。」
戸惑い顔の少女を見上げて説明する。
「部屋から自分の桶にどんぐりを投げて、たくさん入った方が勝ち。相手の桶に入っちゃった時は、そのまま相手の点――――――――――ずるしちゃ駄目だよ。」
◇
こぉんっ!
的に入ったどんぐりが、小気味よい音を立てる。
「うぬうっ!」
的当てとか的入れとかいった遊びが、ナギは割と得意だった。
そもそも的が大きいこともあり、百発百中の精度でナギがこんこんとどんぐりを投げ入れて行く横で、ラスタのどんぐりは見事な程に桶を避け、床中に散らばっていた。
多分人の姿のラスタは、「何かを投げる」動作をしたことがないのだ。
これは勝負にならないと気が付いて、少年は「僕の桶を遠くにしようか?」と申し出た。だがその申し出は、竜人の少女を憤慨させた。
「なんでだっ!ならわたしのも遠くしろ!」
「でも」
「絶対駄目だっ!」
ラスタの変な生真面目さは、ここでも発揮されるらしい。
年齢の差とか、ちゃんと考えるべきだった。
顔を真っ赤にしてどんぐりを投げ続けるラスタを見てちょっと申し訳ない気持ちになって、少しして、ナギはラスタの桶の方に自分のどんぐりを投げ入れた。
こぉん!
「あ………」
「今のはズルだろうっ!!」
「……ごめん……」
やがてどんぐりが残り数個になった時。
こぉんっ!
「!」
初めてラスタのどんぐりが的に入った。
「見たか!!ナギ!!入ったぞ!!」
「すごい!!」
得意満面の少女を、ナギも思わず本気で褒めた。
小さな少女は両手を腰に当てて胸を張り、その愛らしさは少年を笑わせた。
いつものラスタだ。
とは言えラスタの一点はどんぐり切れ寸前の出来事だったから、最初の勝負はナギの圧勝で終わった。
球拾いが大変そうだと少年が思ったのも束の間、竜人少女の「力」で、どんぐりはあっと言う間に拾い集められ、すぐに二試合目が始まった。
二人でパンを摘まみながらの二試合目は、最初の試合程ではなかったものの、やっぱりナギの圧勝だった。
三度目も変わらずで、その試合が終わった頃には、牛小屋はもう真っ暗に近かった。
「今日はもうお終いだね。」
「もう一回だっ!」
「でも僕にはもう的が見えないよ。」
「わたしが桶の後ろに立ってやる!交代で投げればいいだろう!」
「どんぐりが当たったら危ないよ。目に当たるかも。」
「当たりそうになったら『力』でよけるっ!!」
苦笑して、ナギは今日の主役の要望に従った。
やがて青い光が「部屋」の下で灯った。
ナギに見えているのはラスタの瞳であって、桶自体ではないから、少しだけ難しい。
手探りでどんぐりを手に取ると、ナギは一投目を投じた。
あ………
やっぱりちょっと勝手が違う。
投げた瞬間に、「外した」、と思った。
が。
こぉんっ!
二人は目を瞠った。
起きたことを理解すると、16歳の少年は顔を伏せ、肩を震わせた。
青い瞳が驚愕したように見開いている。
ラスタが「力」で跳ね返したどんぐりが、的の中に落ちたのだ。
「今のはなしだ!!」
「うん。」
結局その後もう二試合したが、点差はほとんど縮まらなかった。
「もう一回だ‼」と粘るラスタをなんとか宥め、その日の宴はお開きとなった。
ラスタが作ってくれた水で口だけゆすいでから横になり、少年は笑いを嚙み殺していた。でも体の震えは竜に伝わってしまったかもしれない。
ナギの腕の中で、小さな竜はぷりぷりしていた。
いつもはびっくりするくらいに寝付きのいい黒竜が、その日は眠りに落ちるのに数分かかっていたようだった。
「誕生日おめでとう……。」
この朝にかけた言葉をもう一度繰り返し、竜を抱いて少年は眠りに就いた。
この日からしばらく、かなりの長きに渡って、「どんぐりの的入れ」ゲームは夜な夜な開催された。
ラスタの上達は驚く程に早くて、誕生日から数日後には少女の腕前はナギと互角になった。
やがて桶を倒したり的を椀に変えたり的の手前に障害物を置いたりと、「牛小屋の的入れ」は、少年と少女によって目覚しい進化を遂げるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ラスタの誕生日の前日――――――――未明の強風が吹いた日は、ミルがここに買われた日だ。
自分が売られた日を、ミルは日付けで覚えているだろうか。
その日はナギが、ミルと出会った日でもあった。
一年が経ったのだ。
もしあの時、自分で地図を見ようと考えなかったら。もしあの時、ハンネスの目的に気が付かなかったら。
耐え難い痛みが、ナギの胸を締め上げる。
食料、小刀数本、油とろうそく、縄、出来れば少量の衣類、調理道具、
衛生用品。……そしてあの地図…………
必要な装備を、少年は数え上げた。
すぐには全て揃えられない。
でももうぐずぐずしていられない。
ミルのためにも、ラスタのためにも、可能な限り急ぐべきだった。




