124. 二人の大切な日
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨日と今日は、ナギにとって大切な日だ。
今日が沐浴の日でなくてよかった。
茜色から薄灰色へと空の色が染め変わっていく中、ナギは出来るだけの速足で、牛小屋へと向かった。
あれから白髪の男とは何度か顔を合わせている。
老人の目は明確にナギを疑い続けていたが、クライヴが鍵を捜しに納屋や牛小屋へ戻って来た様子はない。
やっぱりはっきりとした根拠はなかったのかもしれない。
クライヴがあれ程牛小屋の捜索に執着した理由が分からない。
でも老人が牛小屋へ戻って来ないのは、確たる証拠もなしに一人だけで「ナギの嫌疑」を主張して、注目の中で納屋や小屋を捜索することを躊躇しているからではないかと思えた。
結局館の主も、鍵の紛失を「息子の不始末」と判断したようだから。
ただクライヴに対する警戒心は、小さな棘のようにナギの心に刺さり続けている。
しばらくは気を付けて過ごした方がいいだろう。
扉を開ける前に、ナギはちらりと館を振り返り、一瞬だけ後ろを確認した。
◇
まるで挨拶するかのように、扉はおなじみとなった軋み声を上げた。
ラスタはあれからぎくしゃくしていて、昨日は「帰宅の儀式」もなかった。
でも今日は、扉を開けると小さな少女は目の前にいた。
竜人少女の今日の「服」は赤味がかった薄桃色で、ズボンの裾はいつもよりたっぷり目だ。
目線がナギより少し高くなるくらいの位置に浮かんで、少女は気まずそうに俯いていた。
今日も「帰宅の儀式」はしないのかと思いきや、ラスタは突然、ちょっとだけ落ちた。
慌ててナギが抱き止めると、少年の肩に回された小さな腕に、普段より強い力が籠った。
「ただいま。」
「……『おかえりなさい』だ。」
微笑んだナギに応えはしたが、竜人の少女はその後はナギにしがみつくようにしたまま、口を閉ざした。
自分が口にしたことで、ラスタは不安になっている。
安心させてやった方がいいと感じて、ナギは少しの間、静かに少女を抱き締め返して、そこに立っていた。
「今日はラスタとやりたいことがあるんだ。」
しばらくの沈黙の後にそう告げると、ラスタはようやく顔を上げた。それには気付いていたようで、青い瞳が二人の「部屋」を向く。
「あのどんぐりはなんだ?――――――――――食べるのか?」
微笑いながら首を横に振ると、少年は竜人の少女を腕に抱いて「部屋」へと向かった。
「今日はラスタの誕生祝いをしようと思って。」
少年の言葉に、少女は目を丸くした。
人間と違って、竜人の少女には生まれた日からの記憶があるらしい。
ただそれが一年前の今日であったとは認識していなかったようで、今朝ナギがそうと告げると、少女は驚いたような表情をしていた。
「獣人は誕生日を祝わないの?」
思わず尋ねてから、他の獣人と会ったこともないラスタだって知る筈がないとナギは思い直したが、数秒記憶の中を探るような表情をした末に、ラスタは答えをくれた。
「獣人の記憶」の有効範囲は、やっぱりよく分からない。
「何百年も生きてると、みんな段々どうでもよくなるらしい。」
それがこの朝の竜人の回答だった。
なる程とは思ったが、ナギとしてはなんとしても今日を祝いたかった。
ヤナ人は誕生日を割と大切にしていて、親しい人の誕生日ならお祝いするのがヤナの風習だ。
今のナギには、ごちそうも贈り物も用意出来ない。
でも小さな少女の最初の誕生日を、少年はどうしても祝いたかった。
二人で「部屋」に上がると、新しく積まれた藁の横には、どんぐりを山盛りにした木の椀が置かれていた。今日の昼にナギが置いたものだ。
畑から館へ昼食に戻る時に、やはり昼食に戻ろうとしていた畑の監督役に「自分専用の手洗い」に行くと言って別れ、僅かな時間だけ、ナギは牛小屋に忍び戻った。掘っ立て小屋の中に深い穴が幾つか掘られただけの、扉もない「ナギ専用のトイレ」は牛小屋の横にある。
日頃は滅多に昼にはここに戻って来ない。畑仕事の最中は、女性も含めて周囲の森で用を済ませているからだ。
幸い、誰にも見咎められなかった。
手を伸ばすと、少年は椀の中身をそっと床に空けた。それから少年は、今度は自分の服の中から取り出した物を椀に載せた。
隠し持って来た、ナギの夕食のパンと少しの野菜だった。
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