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【第五章開始】竜人少女と奴隷の少年  作者: 大久 永里子
第二章 少年と竜人
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120. 家畜小屋の攻防

 老人はゆっくりと、手に持つ灯りを自分の足元に置いた。

 奴隷の視線がずっと自分の靴へ向いていることには、クライヴは気付いていなかった。



 奴隷の少年の「部屋」には、椅子すらない。この場所で座りたければ、床板にじかに座るしかなかった。唯一の家具だったわらの布団も、床にじか置きだった。


 ナギはだからここに戻って来た時はいつも、家畜の糞尿で汚れた不潔な木靴は真っ先に脱いで、「部屋」の隅によけた。


 その場所を踏み荒らした革靴を黙って見つめていた奴隷の少年は、布団だった物の残骸と床板がランタンのに朱く染まったのを見て顔を上げ、少しだけはっとした。



 白髪の男が、両手で鉄の棒を低く構えている。



 状況の変化を、少年は理解した。

 だがナギは顔色も変えず、黒い刃先をただ静かに見やった。


 まだ疑念が恐怖を上回っていた。



 クライヴは、一体何を理由に自分を刺そうというのだろう。



 実際クライヴには理由が必要で、痛みと感じる程の冷気の中で両者は向き合ったまま、どちらもしばらく動かなかった。



 無言の数秒の末。



「梯子を降りろ。」



 白髪の男が発した命令に、ナギは小さく目を見開いた。


 数瞬相手を見つめ返してから、下着も脱ぐ覚悟をしていたナギは、黙ってズボンを引き上げた。「服を着ろ」とは言われなかったが、足枷にズボンを絡めたまま梯子を降りるのは難しい。クライヴが咎めなかったので、ナギはそのまま上の服も着た。


 体は冷え切っていて、少年の震えはすぐには止まらなかった。


 この襲撃の事情を告げもしないクライヴが、何を考えているのか少年には分からない。

 ナギはただ木靴を履き、命じられるままに梯子を降りて、「部屋」の向かいの壁際に立った。


 自分が指示した場所に奴隷が立つのを見届けると、白髪の男もすぐに梯子を降りた。



 奴隷は安い買い物ではない。



 クライヴの一存で少年を始末するのなら、ヘルネスを納得させるだけの理由が必要だった。



 戦争奴隷の供給が潤沢な王都と違って、多くの領地では奴隷商人に大金を払い、商人達かれらが異国からさらって来る人間を買っている。

 戦時に大きな貢献でもすれば王家から奴隷を褒賞に与えられるが、少し前の西方諸国との戦には、ブワイエ家は出兵すら求められなかった。



 奴隷は資産だ。



 ミルを買ったのは予定外の出来事だったが、今ではヘルネスは、いずれナギとミルを一緒にして「奴隷の二世代目」を生ませる気でいる。


 ナギを簡単に始末は出来ない。



 がんっ!



 クライヴが蹴り出した二つの木桶が、がらがらと床を転がった。

 おびえた牛達が、小屋の奥で騒ぎ出す。

 構わず、老人は奴隷の「部屋」の下から雑多な物を次々と蹴り出し始めた。



 激しい物音が真夜中の小屋に響く。


 ナギは表情かおを強張らせ、自分の足元に転がされる様々な道具を見つめていた。



 奴隷を叩き起こした時、クライヴはただハンネスの立場を悪化させないために地下牢の鍵を見つけようとしていた。

 朝までに鍵を棚に戻せなければ、ハンネスが持ち出した挙句に紛失した、と断定されても仕方がない。なんのために鍵を、と考えれば、ヘルネスは息子に激怒するだろう。



 だがクライヴは、その鍵はナギを始末する理由にもなると気が付いた。


 そんなことが可能なのかという疑問はあるが、もし奴隷が施錠されていた執務室に忍び込み、やはり施錠されていた棚を開けたのだとすれば、ブワイエ家にとっては脅威だ。



  鍵が見つかれば、この奴隷を始末出来る。

  ヘルネス様はお怒りにはなるだろうが、言い訳は立つ。



 得体のしれない恐怖が、老人を突き動かしていた。



 どれだけ時間が過ぎたのか。

 少年は止まない狼藉を見つめて、ただ無言で立っていた。



 と。



 突然だった。



「うっ……」



 低く呻く声を上げ、クライヴが崩れ折れた。



 少年ははっと息を飲んだ。



 白髪の男は、胸を手で抑えてうずくまっていた。 

 考えてみればこおるように冷たい冬の夜に、クライヴはほとんど寝てないのではないかと思う。高齢の人間にはこたえたのではないだろうか。


 経験したことのない胸の痛みに襲われて、老いた男もこの一瞬、死を意識した。



  まさか。まだ死ぬには早い……!



 今までこんなことはなかったのに。体の異変に、養育係は恐怖を覚えていた。



 クライヴがここで急にこと切れても同情出来る気がしなかったが、道義として少年は歩み寄り、老人に手を差し伸べた。


 だが。


「寄るな!」


 ひゅんっ、と、空気を切る音がした。


 間一髪で、ナギはクライヴが振り回した火かき棒をよけた。

 老僕は立ち上がれず、苦し気に顔を歪めていたが、奴隷が自分に近付くことは許さないようだった。


 自分の命の危機よりも奴隷に触れられることの方が耐えられないと言うのなら、いっそ感心する。


 もはや腹も立たなかった。

 人間的な反応を期待していないという点で、相手を人間扱いしていないのはナギも同じだ。


 四年の間、そうしなければ、ナギは自分の心を守れなかった。


 少し距離を取り、それでもナギは、一応老人の様子を見守った。

 クライヴは武器代わりの火かき棒を杖にして、やがてよろよろと立ち上がった。



 いつまでこれを続ける気なのか。



 息も絶え絶えと言った様子に見える白髪の男に睨まれた時、少年は表情を強張らせた。



 クライヴは、鍵を捜しているのだろう。



 ナギの不安が増したのは、クライヴがまるでナギが犯人であると確信しているかのように、この場所の捜索に執着しているからだ。


 そう確信させる程の手掛かりを、何か残したのだろうかと思う。



「外へ出ろ。」



 老人の次の命令に、ナギは再び目をみはった。



 まだやるのか。



 真冬の夜明け前は、闇も冷気も凶悪だ。

 

 だが反抗は許されない。


 奴隷の少年は、開け放されたままの牛小屋の扉を出た。

 ランタンと火かき棒を握り締め、白髪の男が後に続く。


 「そこを動くな」と奴隷に言い置いて、クライヴは干し草の納屋へと向かおうとした。


 牛小屋の中を荒し尽くし、次は納屋を改めようと言うらしい。


 ほとんど寝られていないのはナギも同じで、少年は疲労と冷気に青ざめた顔をしていた。



  寒い―――――――――――――――――――――




 その時。




 ごうっ!!




 世界を切り裂くような激しい風が吹いた。

 ガラスの砕け散る派手な音を聞き、風の下をかいくぐるようにして、老人と少年は館を振り返った。


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