119. 冬の夜の対峙
刺すような冷気の中で、剥き出しの肌を晒して少年は震えていた。
だが冬の真夜中に突然踏み込まれ、刃物を突き付けられているにも拘わらず、奴隷の少年に大きな動揺は見えなかった。
奴隷は静かに佇んでいて、その落ち着きがクライヴの畏れを余計に掻き立てた。
始末するべきだ。
論理的には説明が付けられない感覚だったが、年老いた男はこの時、確信に近い予感を持った。
この奴隷は、いつかブワイエ家に害を成す。
尖った鉄の先端に体を晒したまま、少年は無言でクライヴの靴を見つめていた。
◇ ◇ ◇
もう一度寝付きはしたものの、ミルの眠りは浅かった。
だから鉄格子が叩かれる音に、少女はすぐに目を覚ました。
灯が灯されている。
少女が飛び起きると、鉄格子の向こうのオレンジ色の揺らめきの中に、老いた男がランタンを掲げて立っていた。
「起きろ。」
男がそう言った時にミルが悲鳴を上げなかったのは、あまりの恐ろしさに声が出なかったからだ。
ミルはこの場所で、男性の姿を見たことがなかった。
朝晩に少女の奴隷を地下牢から出し入れするのは、女中の仕事だったからである。
男性がそこにいるというだけでも異常な事態だったのに、老人が手にしている物が、少女を一層恐怖させた。
白髪の男は、右手に先端が鋭く尖った金属の棒を持っていた。
少し前、ナギの声が聞こえた気がして目を覚ましたことを、ミルは思い出していた。
何かがあった―――――――――――――――
血の気の引いた顔で、奴隷の少女は男に命じられるままにベッドを降りると、布団をめくって見せた。ヴァルーダ語は今もほとんど分からないので、ミルは男の命令は、言葉よりもその仕草で理解した。
それから少女の奴隷は男の身振りに従い、布団と毛布を順番に抱え上げ、広げて見せた。
奴隷に風邪はひかせたくないのだろう。凍てつくような地下で、古びてはいたが、ミルには布団の他に毛布も与えられていた。
なぜか最後まで房の鍵を開けられることはなかった。
ハンネス付きの老使用人は、格子越しに少女の寝具を点検した。
それから老人は顔を顰めてランタンをかざすと、やはり房の外に立ったまま、部屋の四隅を照らした。
陰惨な地下の闇の中、オレンジ色の灯が自分の上を通過しながら右へ左へと動くのを、奴隷の少女は身を強張らせてただ見つめていた。
老人が何を探しているのかは分からなかったが、目的のものはここになかったようだった。やがて白髪の男はミルの部屋の前を離れ、他の房の方へと歩いて行った。
説明は一切与えられなかった。何もわからぬまま、結局、少女は独りそこに取り残された。
だが。
ナギ……。
おそらく少年の身に何かがあった。
叫び出したい程の不安と恐怖の中で、ミルは夜の地下牢に立ち尽くしていた。
その様子を見ている存在があったことには、ミルもクライヴも気が付かなかった。
◇ ◇ ◇
「ぐぇっ!!」
「ナギ!!」
真っ暗な牛小屋で、少年は潰れたカエルのような悲鳴を上げた。
まさか開脚運動の最中に、ラスタが背中の上に降って来るとは思わなかった。
それきり少年は、しばらくの間声を失っていた。
自分の仕出かしたことで崩れ折れている少年の反応が、予想外だったらしい。
「ナギ!!!大丈夫か?!!」
座ったまま突っ伏した少年の体を無理矢理起こし、竜人の少女はかなり慌てた様子だった。
まあなんにせよ、無事でよかった…………。
衝撃的な痛みに身悶えながらも、少年はほっとしていた。
ラスタの帰りが想定したよりかなり遅くて、ナギの不安は頂点に達していた所だったのだ。
なんとか声が出せる所まで持ち直し、「大丈夫」と繰り返して幼い少女を安心させると、ナギはようやく落ち着いて座り直して、暗闇で相棒と向き合った。
何か問題が生じたのかと少年は案じていたが、そうではなかった。
「年寄りの方のヴァルーダ人が、地下牢へ行くのを見掛けたんだ。」
「クライヴが?」
鍵の紛失に気付いたのだろう。
少女の報告を聴いて、少年はまずそう思った。
ハンネスが話もまともに出来ない状態であったなら、クライヴが鍵を捜しに地下牢まで行っても不思議ではない。
だがラスタは、クライヴの様子を訝しんで地下まで後をつけたのだと言う。
「変な物を持ってたんだ。人間が暖炉で使う―――――――なんだあれは。『火かき棒』か?」
意外なところで語彙力の弱さを見せながらラスタが告げた話に、ナギの表情が変わった。
火かき棒。
武器にもなる鉄の棒を手にしていたとするのなら、クライヴの行動は別の意味合いを帯びる。
クライヴは侵入者の存在を疑っている―――――――――――。
その後の地下牢での顛末を聴き、少年は微かに青ざめた。
ミルはどんなに恐ろしかっただろうかと思う。
原因の一端を作ったのはナギ自身だったが、クライヴに憎悪を覚えずにはいられなかった。
やがて相棒の話を全て聴き終えると、ナギはしばし考え込んだ。
侵入者を疑いながら、クライヴはなぜ一人で行動しているのだろう。
ハンネスの失態を、家人にも知られたくないのだろうか。
ただ今気にしなければいけないのは、クライヴが単独であるのかどうかではないだろう。
牛小屋に戻る時に、ナギはクライヴと鉢合わせしかけた。
何か不審に感じたようで、クライヴはしばらく木戸からこちらを照らしていた。
―――――――――――――――――クライヴはここに来るかもしれない。
◇ ◇ ◇
少年に刃を突き付けながら、ブワイエ家の老臣は、奴隷を始末する理由を考えていた。
足を鎖で繋がれ、「部屋」の縁に立たされた少年奴隷が、逃げ回るのは難しかった。
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