118. 襲撃される小屋
ぎいぃぃぃ……
いつの間にこんなに建付けが悪いことになっていたのか、激しい抵抗を示しながら扉は開いた。
家畜の強烈な悪臭が、男の顔に吹き付ける。思わず眉を顰め、白髪の男は右腕で口と鼻を覆った。
屋外からの冷気に突然襲われた牛達が、柵の向こうで蠢いている。闇の中で、白く光る瞳が幾つもこちらを向いた。
牛小屋にクライヴが入ることなど、年に数度もない。
老いた男は乏しい記憶を辿るようにゆっくりと、オレンジ色の灯を正面から右へと動かした。
ろうそくの炎が闇を浸食し、奴隷の寝床が朱色に浮かび上がる。奴隷の「部屋」は低い柵に囲まれていて、その柵越しに小さな藁の山が見えていた。
寒気が強襲したにも拘わらず、その場所は静まり返っていた。
奴隷が眠りこけていたとしても不思議はない。
時折鶏がけたたましい声を上げるが、まだ真夜中と言っていい時間だ。
声を掛けることはしなかった。
ブワイエ家の嫡男付きの養育係は無言でその場所に近付き、梯子に足を掛けた。
ぎしっ……ぎしっ……。
真夜中の牛小屋に梯子が軋む音と、牛達が微かに鳴く声がする。
だがまだ、奴隷が起きる気配はなかった。
六段だけの短い梯子を登りきると、白髪の男は藁の山を照らした。
顎まで埋めるようにして、藁の中で、奴隷は静かな寝息を立てていた。
無言のまま右手にした鉄の棒を上下に返すと、老いた男は奴隷の胸の辺りを柄で叩くようにして、藁の山を払った。
布団代わりの枯草は砕けながら飛び散り、奴隷はようやく跳ね起きた。
奴隷の少年はぎょっとした表情で、暗がりに朱い灯を掲げている老いた男を見上げた。
「起きろ。」
しわがれた声が奴隷に命じる。
鉄の棒は再び上下に返され、鋭い先端は少年の顔面に向けられた。
クライヴが手にしているのは、暖炉の薪を調節するための火かき棒だ。形状は槍同然なので、武器代わりにするには手頃な道具だった。人を刺し殺す用なら、それで十分に果たせる。
突然襲撃された奴隷の少年は目を見開いて、黙ってその切っ先を見つめていた。
「起きてそこに立て。」
老臣に命じられ、少年は無言のまま立ち上がった。
じゃらりと重い鎖の音がして、少年の足に繋がれた鉄枷が、藁を巻き込みながら床の上を這った。
鉄棒の先端でクライヴが指し示した場所に、少年奴隷は静かに立った。
一日の中でも、一番気温が低い時間帯だった。
クライヴは小屋の扉を開け放していたので、冷気は容赦なくナギを襲った。重りの付いた彼の素足に触れる床も、氷のように冷たい。クライヴが着ているような上着は、ナギにはない。服がやや厚地なのが幸いだったが、それは少年に寝巻きが与えられていないためで、もう少しすれば少年は、同じ姿のまま小屋の外に出なければならなかった。
奴隷を梯子の近くに立たせたクライヴは、一言の説明も与えず、槍状の棒を振り上げた。
ざくっ。
鉄の棒が振るわれ、奴隷の布団が飛び散る。
ざくっ……ざくっ……。
この「部屋」唯一の家具が破壊されていくのを、奴隷の少年は無言で見つめていた。
下の床が見えるまで藁布団を破壊すると、老人の手はようやく止まった。
その時にはナギは震えていて、歯の根が合わなくなっていた。
藁の山の確認を終えた男は、歯を鳴らしながら立ち尽くしている奴隷を振り返った。そして鉄の剣先を突き付けて、奴隷に命じた。
「その服を脱げ。」
少年は目を瞠った。
性質の悪い風邪をひいて、死にかねないと思った。
奴隷をいたぶりはしても死なせはしないように気を付けるのが館の人間のやり方だったのに、いつもと様子が違う。
告げられないこの狼藉の事情が、奴隷の命に優ると言うのだろう。
少年奴隷は数瞬、白髪の男を見つめ返した。
だが命令が翻される様子がないと見て取ると、凍り付くような寒さの中で、少年は黙って服を脱いだ。
少年が上下の服を脱いだ時、老臣はそこに予期しなかったものを見て、微かにたじろいだ。
灯の中に浮かび上がった少年奴隷の体は、腕も胸もすっきりとした筋肉に覆われていた。少年は顔立ちも綺麗で、彫像のように均整の取れた体をした少年は、まともな格好をさせれば騎士や貴公子のようにも見えるのかもしれない。奴隷の少年は背丈も、もうクライヴを超えていた。
クライヴにとっては、決して認められないことだった――――――――ハンネスが、奴隷に見劣りするなどと。
この奴隷は、自分達を脅かす。
少年が書庫の本をたった一人で捜し出したあの時よりも強く、クライヴはその奴隷に危険と恐怖を感じた。
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