115. 絶体絶命(3)
◇
主を送り届けた男に幾ばくかの謝礼を渡すと、クライヴは馬の手綱を引き取った。
労力に見合う額ではなかったのだろう。
「またご贔屓にィ。」
男は声も表情も憮然とした様子で形ばかりのお愛想を言うと、玄関を後にした。
◇
やっと帰って行く。
あとはクライヴが立ち去れば。
暗闇で布と格闘しながら、少年はその様子を見つめていた。
廊下の人の気配が近付いている。
扉を閉める必要があるからなのだろうが、クライヴは門まで男を送り届けていた。
早く!
ナギの心の叫びは祈りに近かったが、願いが聞き届けられることはなかった。
門の辺りの二人の男の動きはずっと同じ調子で、少しも速くならない。
「ナギ!」
ラスタの声がしたのは、小さな破裂音とほとんど同時だった。
「息子がここに来そうだ。もうすぐそこにいる!」
「絶体絶命」という言葉が、少年の頭をよぎった。
落ち着け。
「ラスタ!鍵を!」
「うむ!」
いざという時にはすぐには鍵が回らないように、ラスタが錠の中を固定することになっていた。
「何人いる?」
「廊下は一人だ。」
一人―――――――――。ハンネスは、一人なのか。
「ラスタ、カーテンを見て貰ってもいい?僕には見えない。」
「…………わたしの何倍もナギの方が上手だと思うが、この館の人間はそんなに細かいのか?」
「…………分からない。」
そこそこ綺麗にまとまっているのなら、もうこれでよしとするしかないだろう。
ガチャッ。
その時、真っ暗な部屋のドアが音を立てた。
「!!」
反射的に、ナギは外を見やった。
ランタンの明かりが一つ、門の外に出ている。
客人を送り出したクライヴは門の内側にいて、馬を引いて南へと歩き出していた。厩舎に行くのだろう。クライヴが手に持つ明かりも、ろうそく一本だけの燭台からランタンに変わっていた。
早く!早く行ってくれ!!
◇
回らないドアノブを数回回して、ハンネスはようやく、鍵を開けなければいけないことに気が付いた。
ゆらゆらと上体を揺らしながら、領主の息子は腰のポーチから鍵の束を引き出した。
玄関や自室や、幾つかの鍵があって、もう面倒になってくる。この部屋の鍵がどれだったか、はっきりしない。鍵の大きさは色々だったから日頃はそれ程判別に困らないのだが、この時のハンネスには、難しいパズルのようだった。
ぼんやりとした記憶を掘り起こし、半分は当てずっぽうで鍵を差し込んでみたら、それが当たりだった。
鍵は鍵穴に拒まれることなく、しっかりと奥まで入った。
ガチッ。
「あ?」
鍵が回らない。
別の鍵だったか。
いやこれで合ってるだろう。
ガチャッ、ガチャ、ガチャッ。
鍵を回そうとする音が、暗闇に激しく響く。
門の外の灯りが遠ざかっていた。門の内側にいたもう一つの灯りは、もう見えない。
馬装を解かなければならないから、クライヴはすぐには戻って来ないだろう。
「ラスタ!行くよ。」
「うむ。」
とうとう窓を開けると、ナギはその桟に手を付き、自分の体を引き上げた。
ドアの鍵穴が音を立て続けている。
まさか気付かれたのか。
この部屋になんの用事があるのだろう。
地面がかなり低い位置であることは覚えているが、何も見えない。
だがすぐそこが花壇で、壁との間には僅かな隙間しかない筈だった。
ここで失敗する訳にはいかない。
慎重に。
と。ずっと下の方で青い光が灯った。
竜の方のラスタだ。
錠を固定したまま、外に出て来てくれたのだ。
「………ありがとう。」
その光を頼りに着地場所を見定め、地面に降りようとして――――――――――――雷が落ちるように脳裏に閃くものがあって、瞬間的にナギは凍り付いた。
数瞬ナギは呼吸も忘れたようになり、そこで動けなくなった。
暗闇に、ドアの音が響いている。
「――――――――――――――――――ラスタ!」
視界のない世界で体を回転させると、ナギは室内側に飛び降りた。
◇ ◇ ◇
ナギに名を呼ばれた気がして、暗闇の中ミルは目を覚ました。
地下は朝も夜も分からない場所だったが、寝入ってまだ間もない感覚があって、まだ夜だと思った。
何も見えない。
自分の目が見えなくなってしまったのではないかと怖くなるので、夜中にふっと目覚めてしまいそうになった時でも、ミルはいつも無理矢理眠りに戻る。
なのに今なぜ目を開けてしまったのだろう?
ナギ――――――――――――――――――――――――?
少しだけ体を起こして、ミルは闇に目を凝らした。
だが誰の気配もなかった。
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