114. 絶体絶命(2)
ガタ――ンッ!!!
何かがぶつかり合う大きな音が聞こえて、ナギとラスタははっと顔を上げた。
音は、屋内側から聞こえてきた。
廊下に誰かいる!
少年と青い瞳はほとんど同時に闇の中の扉を見やり、それから窓の方を振り向いた。
玄関ポーチの下で、ランタンと馬の手綱を手にした男が一人、所在無げに佇んでいる。クライヴの姿がなかった。
慌てちゃ駄目だ。
深く息を吸い込み、少年は自分の動揺をねじ伏せた。
屋内の騒がしい物音はまだ続いている。
でもその音は、決して近くはなかった。多分、玄関の近辺でしている音だと思う。
この部屋に人が来る可能性は、高くはない。
おそらくこの部屋は、領主の執務室なのだろう。こんな時間から、ハンネスがこの部屋に用があるとは思えない。
外にいるあの男さえいなくなれば、窓から脱出出来る。
「ここで様子を見よう。」
相棒に小声でそう告げると、幼い声が「うむっ」と大真面目に応えるものだからおかしくなって、また少し緊張がほぐれた。
燭台とカーテンを、ラスタに元の位置に戻して貰おう。
少年が口を開きかけた時、ドアの向こうにまた激しい物音がした。
先刻より近い。
まさかこっちへ?!
「ラスタ、燭台とカーテンを元に戻して貰える?」
「分かった」という声が聞こえて、暗闇で物が動く気配がする。
相棒の奮闘を感じながら、ナギはもう一度窓の外を見やった。
気持ちが急く。
あの男はまだあそこを動かないのか。
少年の願いに反して、男がいなくなるどころか、外の人数は増えていた。クライヴが再び玄関から出て来ていたのだ。
また廊下で音がする。
多分ハンネスはこちらへ向かっている。
激しい物音は、泥酔状態のハンネスが何かにぶつかったり、物を落としたりしているのだと思う。
なんでこっちへ……?!
ハンネスがこちらへ来る理由が分からない。
自室があるという二階へ行くのなら階段があるのは玄関ホールの両脇だし、「水が飲みたい」とかなら、台所は反対方向だ。泥酔しているせいで、前後不覚なのだろうか。
落ち着け。この部屋に来るって、決まった訳じゃない。
心の中で、ナギは自分を一喝した。
「――――――ラスタ。廊下を見て来て貰える?」
「………うむ。」
敏感に異変を察して、少年は青い瞳に視線を転じた。
ラスタの返事の歯切れが、珍しく悪い。窓を向いていた青い瞳がナギに向き直った。竜人の少女の声が、言い辛そうに告げる。
「………カーテンがぐしゃぐしゃになるんだ。」
「―――――――――――――――――――。」
数日前、上から被せただけの服一枚を脱げなくて、じたばたともがいていたラスタの姿を、ナギは瞬間的に思い出した。
そうか。
カーテンを閉じるならタッセルを外すだけだけど、束ねるとなるとそうはいかない。
今ラスタは「力」を使わずに、自分の手で直にカーテンを整えようとしていたようだった。「物を動かす力」は繊細な作業には向かないと、そう言えばナギは、竜人の少女から聞かされていた。
外から見るこの館のカーテンは、どれも襞の数まで揃えているのかと思う程、きっちりと左右対称だったと思う。
少年には今、二つの青い光以外何も見えない――――――――
――――――――でもやるしかない。
青い瞳を目印にして、少年は窓を覆う布に手を伸ばした。
「―――――僕がやるよ。」
「………すまぬ。」
少女の声が実に情けなさそうに謝るので、ナギの方が切なくなった。
そもそもラスタ一人ならろうそくを灯す必要もカーテンを閉める必要もなかったし、カーテンを使ったことがないのも、ラスタのせいじゃないのだ。
そうラスタに言ってあげられればよかったが、ナギは咄嗟に全部を言葉に出来なかった。
「ラスタのせいじゃないでしょ。廊下を頼める?」
「うむ!」
幼い声は今度は元気よく応えてくれた。
ぽんっ、という微かな音と共に、室内の唯一の光が消える。
逃げ道のない暗闇で、遂にナギは完全に一人となった。
落ち着け。こんなに簡単にパニックになってたら、先が思いやられる。
心臓が激しく打っている。
手探りで大きな布を束ねながら、闇の中で、少年は書斎机のある筈の辺りに視線を走らせていた。
―――――――――――机の上に、確かペーパーナイフがあった。
泥酔したハンネス一人なら、自分でも倒せる―――――――――――?
――――――――――いや、口を封じたいなら、即死させないといけない。
返り血を浴びたらどうする?
頭の中で想像したことと、現実は同じにならない。実際と予想を近付けるには経験が必要で、今の自分にはそれがない。
冷静になれ。




