113. 絶体絶命
「ハンネス様、こちらへ。」
「触るな!俺は一人で歩ける!!」
窓越しに微かに聞こえた落ち着き払った声は、ハンネス専属の使用人の、クライヴのものだった。
一瞬窓を見やったナギはすぐに火を吹き消したが、この僅かな遅れは、思うよりまずい事態を引き起こした。ことによると、火を消さない方がよかったのかもしれない。
ろうそく一本の弱々しい明かりは、カーテンの厚い生地に遮られてほとんど目立っていなかったのに、点いていたものが消えるという変化を生じたために老臣の目を引いてしまったのだ。
もう一瞬早ければ、クライヴはまだ門の方を向いていた。
だがその瞬間のクライヴは、足許の覚束ない主人を支えようとして振り払われている最中で、玄関の方を向いていた。
老人は訝しげにそちらを見やった。
今一瞬、北の方の部屋に明かりが点いていた気がする、と思う。
気のせいか。
二階や三階の廊下で数ヵ所だけ灯しているろうそくのどれかが燃え尽きたのを、見間違えたのかもしれない。
一階の北側は今は誰もいない筈で、実際その辺りは真っ暗で、窓の位置すら分からなかった。
思い違いかもしれないが、あの辺りには執務室がある。念のため、後で確認だけしておこうと考えながら、年老いた使用人は、玄関ホールで座り込んでしまった若い主人に視線を戻した。
◇
今のところ、クライヴの声しか聞こえていない。
起き出したのはクライヴだけなのか。
完全な闇に戻った部屋の中を、ナギは青い光の誘導でなんとか窓まで辿り着いていた。
「何人いる?」
声を潜め、少年はすぐ横に並んだ青い瞳に尋ねた。
「今外にいるのは二人だ。領主の息子はもう家の中に入ったぞ。玄関の中は、ここからは見えないな。」
ハンネスがもう屋内に―――――――――――――!
胸の鼓動が、俄かに速くなり出すのをナギは感じた。
自分でも外の様子が見たい。
少し考えてから、ナギはまだ閉めたままのカーテンの端を持ち上げ、その隙間から外を覗いた。
先刻まで自分も外にいたから、明かりを消してしまえば外からは全くこちらが見えないのは分かっていた。
色が見える。
地上は完全な闇だったが、そこにオレンジ色が丸く落ちていた。
開け放たれた玄関から漏れる明かりが、闇をぼんやりと染めている。
その明かりの中に更に二つの明かりがあり、それぞれの持ち主と馬の姿を照らしていた。
ラスタの言っていた通り、外にいる人間はその明かりの持ち主二人だけだった。
一人はクライヴでろうそく一本だけの燭台を持っており、もう一人はランタンを掲げる見知らぬ男だった。
ハンネスは今どこにいるのだろう。
他にも誰か、起きて来た人間がいるかもしれない。
恐怖を感じたが、この状況では窓から逃げることも出来なかった。
もし見つかったら。
万一の時にどうするかも、ラスタともっとよく話し合っておくべきだったと今更ながらに思う。
――――――――――――――いや………
自分はその話題を避けたのだと、今になって少年は気が付いた。
言えなかったのだ。
――――――――――――火事を起こそうなんて。
だって火を付けるのは、自分ではなくて、ラスタだ。
「どうする、ナギ?」
幼い声に尋ねられ、少年はびくりと肩を震わせた。
声のした方を見やると、二つの青い光は、自分の背よりずっと低い位置にあった。
短めで済みません………!




