112. 疑惑の婚約
◇ ◇ ◇
「ゴルチエ?そこが……?!」
「知ってる名前なのか?」
ラスタが体を起こしたので、ナギも束ねた少女の髪から手を放す。金色の髪はろうそくの光を絡め取るようにして、きらきらと瞬きながら床に広がった。
「ハンネス―――――――この家の跡継ぎの婚約者の家だと思う。今度の春に、結婚することになってるんだ。」
「ほう。」
あまりに意外で、ナギは数秒ゴルチエ領とブワイエ領を見比べて、面積の違いや、領地間の距離を見積もった。
こんなに大きな家だったのか……?!
土地の大きさと豊かさは必ずしも一致しないのだろうが、それでも王都の真隣にこんな巨大な領地を有する家は、特別な気がする。
こんな家から、貧乏領地のせいで嫁の来手に困っていたらしいブワイエ家に
花嫁が?!
一昨日帰って行ったゴルチエ家の使用人達の様子を思い出す。
黒い制服の使用人達はあからさまにブワイエ家を見下していたが、家格にそれだけの違いがあるのだとしたら、あの態度もちょっと頷けてしまう。
春先に来た婚約者の令嬢当人も、自分の状況に強烈な不満を持っているようだった。
この結婚には、何か事情がありそうだと思う。
何か闇があると思えて胸がざわざわしたが、自分達とは関わりのない話だろう―――――――そう割り切り掛けた時、早朝の牛小屋にやって来たあの女のことがナギの脳裏をよぎった。
二つの奇妙な出来事。
普通ではなさそうな婚約と、黒い服の女の不審な行動。
ナギ自身か、奴隷と言う存在か、ヤナ人か。もしかしてその内の何かと、この婚約は関係があるのでは。
何かがおかしい。
ゴルチエ領への道は、ブワイエ領から王都へと至る道程と同じだ。
終着点である王都の、すぐ手前の領地。
ナギの視線はゴルチエ領からブワイエ領へと、朱色の線を辿って北上した。
その時。
突然、二人の男の喚き声が聞こえた。
「あぶねーっ‼旦那、しっかり歩いてくれよ‼」
「うるせー!!俺はちゃんと歩いてる!!」
弾かれるようにして、ナギとラスタは後ろを振り返った。
窓の向こうから、声が聞こえている。
ハンネス?!
もう一人の声は分からなかったが、片方はハンネスの声だ。酔っているのか。呂律が回っていない。
身を低くしたまま、竜人の少女が窓の方へと駆け寄った。
だが少女は窓際まではいかずに、書斎机の右横で足を止めた。
「この家の息子と、もう一人の人間は見たことない奴で、二人だ。どこかから帰って来たみたいだ。門を入って来る。」
小さな少女の声を聞きながら、少年は床の上で急いで地図を丸めた。
まさかハンネスが、館の外にいたなんて。
「おい!鐘を鳴らすなって言ってんだろ!!」
「そんなこと言ったって、この馬どうすんだよ‼」
「ほっとけ!!」
「はああああ?」
「………あの息子は、具合でも悪いのか?」
「多分酔ってる。」
ラスタに応えながら、ナギは巻いた地図に素早く革の輪を嵌めた。
ラスタの目に何が見えているのかは分からなかったが、教育的にいい光景ではなさそうだ。
「ラスタ!窓に影が映らないように、そこから地図を仕舞える?」
「分かった。」
竜人少女が指を差すと、紙筒は床の少し上を滑るように動いて棚の前に辿り着き、そこから垂直に浮き上がって、所定の位置に納まった。続けて棚の扉がひとりでに閉まり、鍵の掛かる音がする。僅かな音だが、侵入者の少年にとっては心臓が痛くなるような音だった。
館の人間を起こすとか起こさないとか、馬を繋ぐとか繋がないとか、二人の男がまだ言い合っている。泥酔しているハンネスをもう一人の男が世話しているようだが、辟易とした様子が伝わって来る。
ナギが床の上に置いていた燭台の火を消そうとした時。
ラスタが小さく、鋭い声を上げた。
「玄関から人が出て来たぞ。」
館の人間が起き出した――――――――――――――!
表情を強張らせ、ナギは見えない窓の向こうを見やった。
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