104. 竜人少女と少年の唄
歌声が途切れた数秒が過ぎる。
暗闇で、ナギは虚空を見つめていた。
灯りのないその場所で、牛達だけが気配をさせている。
やがてぽつりと幼い声がして、沈黙は終わった。
「ナギの唄う歌は優しいな。」
驚いた表情で、少年は顔を上げた。青く煌めく竜人の瞳を見つめて、少年はどこか悲し気に微笑んだ。
「子守唄だから。」
「……なんで子守唄なんだ。」
さすがにラスタも疑問に思う選曲だったらしい。
やっぱり、おかしかったかもしれない。
「前からラスタに、唄ってあげたいと思っていたから。」
少年のその言葉に青い光は丸くなり―――――――――――――――
「そうか!うむ、目が覚めたぞ!」
はしゃぐような声は照れ臭そうに、何か子守唄の存在理由を揺るがすようなことを言ったのだった。
三巡目に入る時には、ラスタは五曲の歌をほぼ完璧に覚えていた。
歌い始めたそもそもの理由を考えればそれで正しいのだろうが、手拍子付きで少女が歌う歌はなぜかどんどん調子が明るくなって行き、哀愁を帯びていた筈のメロディーを、少年と少女はいつしか陽気に歌っていた。
この小屋で初めて歌われたヤナの子守唄は、牛達にとっては安眠妨害だっただろう。
ヤナで歌い継がれて来た唄の情緒は吹っ飛んでしまったが、ラスタの楽しげな声が聞こえて、それはナギを幸せな気持ちにしてくれた。
そうして改変を繰り返して二人で五曲の歌を何巡かした末に、ふっとラスタの声と手が止まった。
そろそろそんな時間だと、ナギも思っていた。
小さな少女の立ち上がる気配がして、青い瞳の位置が少年の瞳と同じ高さになる。
「ちょっと見て来る。」
「うん。」
ナギは頷いたが、少女に「大丈夫そうだったら、そのまま地図も見て来る。」と言われた時に、やや迷いが生じた。
小さなラスタが、地図を見ながら眠ってしまったりしないだろうかと思う。
「ラスタ。」
「うむ。」
「少しでも眠気を感じたら、すぐに帰って来て。今日は中止しよう。」
「うむ。」
少年の言葉に、青い瞳と声は一度はしかつめらしく応えたが、すぐに楽しげになった。
「でももう眠くない。」
「絶対に無理しないで。」
「大丈夫だ。子守唄で目が覚めたからな!」
そう言うと、ぽんっ、と小さな音がして、竜人の少女は小屋から消えた。
ラスタの中で、「子守唄」の位置付けが何かおかしなことになった気がする。
その時ナギの胸を一瞬、反省めいたものがよぎった。
暗闇に一人残されて、それからナギはしばらくの間じっとしていた。
時折牛が蠢く音や小さく鳴く声はしているが、歌声が消えて、牛小屋が静まり返ったように感じられる。
ラスタが生まれてから、ナギが夜に一人になるのは初めてだった。
ラスタはすぐに戻って来るかもしれない。
ナギは神経を研ぎ澄まして少女の気配が帰るのを待ったが、時間はそのまま過ぎて行った。
もしラスタがすぐに引き返していれば、もう戻って来ていていい筈だと思う。
あのまま地図を見に行ったのかもしれない。
本当に大丈夫だろうか。
否応なしに緊張が高まっていく。一方で、体が冷えていくのを感じた。
藁の中に体を入れた方がいい。
冬の夜に、火のない場所で動かずにいるのは危ない。
牛小屋での病気や怪我は、些細なものであっても死に繋がりかねないという恐怖を四年の間、ナギはいつも感じてきた。
でももし寝てしまったらどうしよう。
こんな事態だというのに、今のナギには藁布団の中でじっとしていて、眠気に襲われない自信がなかった。
少し考えてから、ナギは闇の中で床に手を這わせた。
そして木靴と一緒に「部屋」の隅によけた鉄枷を、少年は手探りで見つけ出した。
じゃらり……。
視界のない中、鎖に指を挟んだりしないように、ナギは両手で慎重にそれを持ち上げた。
鉄の重量がずしりと手に掛かる。
朝の仕事が随分楽になっていたし、ちょうどいい。
ナギは二つの鉄輪と、その輪を繋ぐ鎖を右手の上に重ね合わせた。
それから少年はゆっくりと右腕の肘を曲げて、伸ばした。
じゃらっ…。じゃらっ…。
これで眠気が飛ぶし、体を温めるのにも、筋力を維持するのにも役立つ。それに見えなくても出来るから、明日からも起きている時間を延ばすのに使える。
一挙四得だと思い、ナギは無言で腕を動かし続けた。
そして短くはない時間が過ぎた。
ナギの不安は、次第に大きくなりだした。
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