103. 戦う支度
家族や子育てといったものに対する獣人の習性や、ラスタの母親についての話は、慌ただしい状況で聴きたくなかった。
ラスタの母親について知りたい気持ちは強かったが、ナギは今は目の前の出来事に集中することにした。
「………ラスタ、地図のこと、頼むよ。」
「うむ、任せておけ!」
青い瞳が煌めく。
小屋の中はもう真っ暗に近かったが、小さな女の子が笑顔で胸を張るのが見えるようだった。
それから少しの間、二人は地図のことや脱出の計画について話していた。だやがて、ナギは想定外の問題に突き当たった。
―――――――――――――眠い。
予想もしなかった課題に、早くに気付けてよかったのかもしれない。
少年は自分の体を襲う感覚に困惑していた。
まるで体の中に、闇に落ちて数分後には眠くなる仕組みでも出来ているかのようだった。
多分四年の間、日暮れと共に寝て、夜明けとともに起きる生活を毎日続けてきたせいだ。
ヤナに向かう道中で何があるか分からないのに、と思う。夜になると眠りこけてしまう、子供のような体では困る。
明日から寝る時間を遅くしよう。
考えもしなかった問題が出てくるものだと、歩き出してみて分かる道の危うさに、少年はひやりとした。
睡眠時間を削って、毎日の重労働に耐えられるかは少し心配だったが、ラスタのお蔭で朝の仕事は随分楽になっている。竜人に手を貸して貰える今なら、やれると思う。
でもラスタの方は―――――――――――――――――――
「―――――――――――――大丈夫?」
「うむ。」
「…………。」
闇の中でうつらうつらとしていた瞳は、声を掛けられてはっとした様子を見せた。
獣人と人間にどのくらいの違いがあるものなのかナギには分からないが、生まれてからずっとナギと同じ時間に寝起きしているラスタが、今眠くても当然だとは思う。
「――――――――――――――館の人間はいつ寝るんだ。」
眠そうな青い瞳が見える辺りから、幼い少女の声がする。
「――――――――――――――分からない。」
「退屈だな。」
これはなんとかしないと。
潜入の中止も視野に入れつつ、少年は慌てて考えを巡らせた。
ラスタと過ごす時間に余剰が生まれるなんて、初めての経験だ。
ヤナの小さな子供達がするような遊びをラスタとしてやりたいとはずっと思っていたから、真っ先に「遊んでやりたい」、とは思い付いた。でも人間のナギは、闇では見えない。
一緒にいられたら、してやりたかったこと――――――――――
懸命に考える。
そしてもう一つ思い付いた。
「歌を歌おう。」
「――――――――歌?」
「――――――――子守唄。」
子供を寝かし付ける目的で作られた歌を今唄うのはどうかとは思うが、一度もラスタに歌ってやったことがない、と考えたことが何度かあった。
ラスタは凄く寝付きがよかったので子守唄など唄うまでもなかったし、朝はそれどころではなかったから。
自分や自分の弟や妹が聴いてきた歌を、ラスタに聴かせたかった。
「お空で お星さま 眠って います おやすみ 眠れよ………」
夜の闇に包まれた空間で、ナギは静かに唄い出した。この状況には相応しくない歌なのかもしれないが。
懐かしい故郷の歌を、次々とナギは唄った。
ずっと聴くことも唄うこともなかったのに、覚えているものだと思う。
ラスタはしばらくすると手拍子を打ったりし出したが、五曲の歌が二巡目に入ると、今度は覚えた部分を一緒に唄い出した。
それは竜人の少女が、生まれて初めて唄う歌だった。
記憶に刻まれた旋律と共に、小さな頃にこの歌を唄ってくれた母のこと、同じ歌を聴いていたきょうだい達のこと、父のこと、故郷のことがナギの胸に甦る。
闇の中だったから、ナギは今自分がどんな表情をしているのか、意識しなかった。
二巡目の四曲目を唄い終え、僅かな沈黙が生まれた時に、静やかなラスタの声がした。
「ナギがそう望むのなら、この家を燃やしてやってもいいぞ。」
驚いて、ナギは闇の中で輝く青い光を見つめ返した。
小さなラスタの口から、そんな物騒な言葉が飛び出すとは思っていなかった。
だがその時、そうなれば逃げ出しても追っ手が掛かることはないと少年は思った。それからナギの思考はもう一歩進んで、ブワイエ一家が無事でも無事でなくても、その火事の中で自分とミルが死んだと思わせることが出来れば、少なくともブワイエ領から追っ手が掛かることはなくなると思った。
竜人の少女は無言でいる。
館の人間達がどんなに憎くても、ナギはそこまでしようと思ったことはない。
でも。
もしミルや仲間達を救けるためにこの国の人間を大勢殺さなければいけない局面に立たされたら―――――――――――――――。
早目に気が付いて、よかったのだろう。
心の備えすら全く足りていなかった自分を、ナギは今自覚した。
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