第九話 作られた声
その日、一本の緊急電話が警察にもたらされた。
電話の主は、年老いた独り暮らしの女性であった。その老女が言うには、孫から電話があり、どうしても急いでお金が必要だと言われたという。孫の為ならお金を用立てるのもやぶさかではないと思い了承したが、後々考えてみると電話の声がどうも孫の声と違っていたような気がしてきたという。これはもしや、最近流行りの特殊詐欺というものではないかと思い警察に助けを求めたのだ。
詐欺事件を担当する捜査二課では事情を詳しく聞くために捜査員を派遣したかったが、あいにく今日は大掛かりな詐欺事件の摘発があり人員に余裕がなかった。そこで一課に協力を依頼し、女性刑事の清正美歩と男性先輩刑事が老女宅に急行した。
老女宅に到着したところで、二人の刑事に緊張が走った。玄関で不審な男がインターフォン越しになにやら言い争っているようなのだ。
「もしかしたら、詐欺グループのメンバーかもしれんぞ」
先輩刑事が言う。
「念のため確保しますか?」
「準備だけはしておけ。取り合えず職質だ」
二人は慎重に男に近づいた。
男はしきりに自分は怪しいものではないのでドアを開けるようにと頼んでいるようだ。セールスマンか何かかもしれないが、怪しいことには違いがなかった。
二人は退路を塞ぐ形で並び声を掛けた。
すると男は驚いて勢いよく振り向いた。刑事たちもその動きに驚き、咄嗟に二人で両脇から男を抑え込んだ。そのとき、
「あれ?刑事さんじゃないですか?」
と聞き覚えのある声で男が言った。
「あっ!探偵さん!」
二人が抑えているのは雲竹だった。
「なんだ?知り合いか?」
先輩刑事が美歩に尋ねる。
「ええ、まあ・・・」
「脅かさないでくださいよ。僕は詐欺グループが襲ってきたのかと思って慌てましたよ」
と雲竹が言うと、美歩は驚いて、
「どうしてそのことを知っているんですか?」
「実はこちらのおばあちゃんの娘さんに以前、依頼を受けたことがありまして知り合いなんですが、先ほどその娘さんから相談を受けまして詐欺らしい電話の件の調査に伺ったところなんですよ。でも、なかなか信じてもらえなくて・・・そちらこそどうして、凶悪事件でもないのに一課の刑事さんが来られたんですか?」
「二課の応援で―――」
気が付けば先輩刑事は既に雲竹の腕を放していたのに、自分がまだしっかりと雲竹の腕をつかんでいることに慌てて、美歩は腕を放した。
そこへ一人の四〇前後の女性が現れて、
「ああ、雲竹さん」
と声を掛けた。
「ああ、どうも奥さん」
「もう、奥さんじゃありませんけどね。ただのお母さんです。その節はありがとうございました」
と雲竹に挨拶をした。
それから、老女に詳しい話を聞くために、三人は家へと招じられた。
どうやら老女が警察に連絡する前に、娘に連絡をしていたため鉢合わせになったようだ。
刑事たちはもう一度、電話のことについて詳しくきいたが、警察で連絡を受けたことと別段変わったところもなかった。
「それで、息子さんはお金を取りに来ると言ったんですね?」
先輩刑事が尋ねる。
「そうです」
と老女が答えた後、雲竹が、
「声がお孫さんと違う気がしたと仰ってましたが?」
「はい、今考えればあれは孫の声じゃなかったと思うんです。それで不安になって警察に電話をしたんです」
「掛かってきた電話は一回だけですか?」
「内容からすれば、一回と言えますけど、途中で二回ほど切れまして、その続きを話した感じでした」
「警察に連絡した後は、お孫さんに電話をしましたか?」
「ええ、二度掛けてみましたが出てくれないんです」
雲竹は自分の携帯をじっと見ていたが、
「なるほど」
と言ってゆっくりと眼鏡を外すと宙を睨んだ。雲竹が考えを巡らす時の癖である。超ド近眼の雲竹は眼鏡を外すと、その視界は数メートル程しかなく周りのすべてがぼやけてしまう。しかし、その代わりこれ迄見て来たものや書籍、WEB、新聞などの情報が頭の中でフラッシュバックするようにハッキリと見えひとつの物語を導き出すのである。
それを眺めて美歩は(はじまった~!)とうっとりとした。
少しの沈黙の後、先輩刑事が「応援を呼びましょう」と言った時、雲竹が、
「いいえ、その必要はないと思いますよ」
「どうしてです?」
「日本で携帯電話が最初に販売されたのは七〇年代で自動車電話からでした。そのあと八〇年代に持ち運びが可能な『ショルダーフォン』という肩掛け式のものがNTTから販売され、更にコンパクト化が進み九〇年代にデジタル化され多機能化が進み、二〇〇〇年代には3G時代が到来し、ストレート式、折り畳み式、回転式、スライド式など様々な機種が発売されました。二〇〇七年からは徐々にスマートフォンが主流となり現在では、iOSとAndroidが五〇%と拮抗していますが、このさき iOS が業績を伸ばしていく予想となっていて、これは世界でも珍しい傾向にあり―――」
「携帯電話の歴史とこの件の内容とどういう関係が―――」
先輩刑事が口を挟むと「いつものことです」と、美歩が耳打ちした。
「いつも?・・・」
「ああ、いえ前にもこういうことがあったので・・・」
とごまかしてから、
「探偵さん、そろそろ本題を・・・」
「あっ!えーと、ここからが肝心なんですが、固定電話では音声をアナログ信号で銅線にのせて伝える仕組みで、イメージ的には糸電話の様なものです。それに対して携帯電話のデジタル通信はデジタル信号を使い、音声が入力されると音源と音声のフィルタに分解し『適応コードブック』と『固定コードブック』に探索を掛け、入力された声に一番似た物を検出して声道のフィルタ情報と一緒に信号を電波に乗せます。そして、その情報をキャッチした携帯が信号を解読して音声を作っているのです」
「ええ?携帯が音声を作ってるんですか?」
「そういうことです。おそらくお孫さんが電波の悪いところにいたせいで、いつもと違うコードが認識され、違う声に聞こえたんだと思いますよ」
「携帯電話って凄いんですね」
老女は感心して言った。
「そうかもしれないが、やはり最悪の事態も想定しなければなりませんので、応援を呼びます」
と、先輩刑事が言ったとき、ふいにインターフォンのチャイムが鳴った。
刑事たちは素早く立ち上がり玄関ドアの覗き窓から外を見た。若い一人の男が立っている。娘さんの方に覗き窓から確認してもらうと、
「息子です!」
と、振り返っていった。
老女が孫に、
「どうして電話に出なかったの?」
と、聞くと、
「車を運転してたし、すぐに着くからいいかなって思って」
「一応聞いておくんだけど」と美歩は前置きをして、
「どうして急にお金が必要なんですか?」
「それが、とてもいいセールスの話が有って、ある商品を僕が知り合いなどに買って貰うと僕にマージンが入るんです。それと新しい会員を紹介することでも紹介料が貰えたりするそうです。その会員になるためにお金が必要なんです」
孫は嬉しそうに話してくれた。
「そ、それは、いわゆる『ねずみ講』ってやつじゃないですか?」
雲竹は、先輩刑事に問いかけた。
「おそらくそうでしょうね」と刑事は答えてからお孫さんを見て、
「その話は違法の可能性が高いからやめなさい」
と促した。
「本当ですか?・・・あぶなかったぁ。じゃあ、やめておこうと思います」
「この件については専門の部署に連絡しておきましょう」
先輩刑事はこのまま二課が来るのを待って引き継ぐというので雲竹と美歩は先に老女宅を後にした。
「それにしても、おばあちゃんもお孫さんも大事なくてよかったですね」
「本当ですね」
「ところで、あのお母さんから前に受けた依頼って何だったんですか?」
「こちらにも守秘義務というのがありますので」
「ああ、そうですよね・・・」
「しかし、刑事さんの事情聴取なら仕方がない」と恩着せがましく言ったあと、
「ご主人の浮気調査ですよ」
「あー!それで、『今は奥さんじゃなくて』って・・・・」
美歩は娘さんが離婚されたことを察して少し悲しい気持ちになった。
「そういうことです。刑事さんも浮気調査してほしい時は言ってください。力になりますよ?」
「まだ結婚もしてませんっ!」
「刑事さん。どうしていつも怒ってるんですか?」
「あなたのせいですっ!まったくもう!」
今回は携帯電話の雑学でした。