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第七話 遺書の書き味

 事件はある不動産会社の事務所で起きた。社長と従業員一名の小さな会社だ。いつものように社長が朝、事務所に出勤すると従業員の男性が自分の机に突っ伏した状態で死んでいた。社長は直ぐに警察に連絡したという。女性刑事の清正美歩きよまさみほも現場に急行した。


 現場検証では、男性が使用している机の上からメモ紙に走り書きされた遺書らしきものが発見された。遺体の状況から死因は青酸性の毒物とみられ、そばには飲みかけの缶ジュースが落ちていた。死亡推定時刻は、昨夜の20時から22時の間とされた。

「自殺でしょうか?」

 美歩は他の刑事に尋ねた。

「状況的に見れば自殺が濃厚だな」

「そうですね。でも何か引っかかります」

 そこへ、付近を聞き込みに回っていた捜査員が男を連れて戻ってきた。

「不審な男がいたので連れてきました」

 捜査員は告げた。

 いまどき珍しい黒縁の眼鏡をかけた三〇がらみの冴えない男だった。男は眼鏡を上にずらし眠そうな目をこすりながら

「別に怪しい者ではありません」

 と繰り返した。

「あそこで何をしていたんだ?」

 捜査員が聞く。

「仕事です・・・」

「じゃあ、その仕事はなんだ?」

「あら、探偵さん」

 美歩が口を挟んだ。

「知り合いですか?」

 捜査員が美歩に尋ねた。

「ええ」

「それなら後はお願いします」

 と言って捜査員は聞き込みに戻っていった。

 雲竹は捜査員が去るのを見送ってから

「ところで、何があったんです?」と美歩に尋ねた。

「この会社の従業員が亡くなりました」

「事件ということですか?」

「いえ、まだハッキリしていませんが状況から自殺とみています」

「遺書があったのですか?」

「ええ」

「それはおかしいな・・・」

 雲竹はつぶやいた。

「何がおかしいんです?」

「いやー、何でもありません。ああ、仕事を思い出したので失礼します」

 そういうと雲竹は逃げるように去っていった。

「ちょっと!」

 美歩は呼び止めたが、雲竹はあっという間にいなくなってしまった。

 

 その後の捜査でいくつかの事実が確認された。亡くなった男性が飲んだ缶ジュースから検出された毒物は初見どおり青酸性の毒物だったこと、社長は事件当日の午後から客先を回っており事務所に戻っていないこと、筆跡鑑定の結果、遺書は本人の筆跡であること、などである。

 社長への事情聴取では、事件の前日、従業員のミスで大きな取引が流れてしまい、男性は今回のミスを悩んでいたとのことだった。男性が亡くなったと見られる時間には、行きつけのスナックにいたと証言した。このことは店のママから確認がとれた。途中、席を外したが五分程度で戻ってきたとホステスは言った。

(やっぱり自殺かしら)

 美歩がもう一度社長から事情を聞くために事務所の近くまで来たとき、後ろから声を掛けられた。

「刑事さん!」

 美歩が振り向くと、雲竹が物陰に隠れるように手招きをしていた。

「探偵さん。どうしたんですか?」

「いやー、ここにいればまた刑事さんと会えるかと思いまして」

(私を待っていたの?!)美歩はドキッとした。

「実は、刑事さんに折り入ってお話したいことがありまして」

(え?折り入って?!まさか交際を申し込まれたりとか?!)

「え、ええ・・・いいですよ」

 美歩ははにかんで答えた。

「ここでは、なんですから。ああ、あそこのお店に入りましょう」

 雲竹は近くにあった喫茶店を目指して歩き出した。

 

 雲竹は、運ばれてきた紅茶をひと口飲んでから、

「実は、社長の身辺を調査したらあることがわかりました」

 と切り出した。

「あること?」

「えー、教えてもいいのですが・・・」

「もったいぶらないで教えていただけますか?」

「その前に、交換条件として、たしか亡くなった男性には遺書があったとおっしゃってましたね?」

「ええ」

「それ、見せてもらえません?」

「それはちょっと困ります」

 美歩は硬い表情で答えた。

「いい情報なんですけどねぇ」

 雲竹は黒縁の眼鏡をサッと外すと悲しげな視線を窓の外に向けた。

(あ~ん、悲しげな表情もス・テ・キ!)

「ま・・まあ特別にお見せしましょう・・」

 美歩は遺書らしき走り書き写しとったメモの内容を雲竹にみせた。

 

『この度は、私の不洙意でご迷惑をおかけして申し訳ありません。死んでお詫び申し上げます』

 

 メモにはボールペンでそう書かれていた。雲竹はしばらく眺めていたが、

「この、『不洙意』というのはなんでしょう」

 と、独り言のように言った。

「たぶん、『不注意』の書き間違いじゃないでしょうか?」

「ふーん。そうですねぇ・・・」

「私がわからないと思うのは、いくら大きな取引だったといっても、ミスで自殺までするでしょうか?」

 美歩は眉を寄せて雲竹に聞いた。

「そうですよね。普通は誠意を持って謝ればなんとか・・・」

 そこまで言って雲竹は考え込んでいたが、急に立ち上がると、

「ちょっと調べたいことがあるので、これで失礼します」

 と言いながら立ち上がった。

「えっ!あの?・・・折り入ってお話というのは?」

 美歩は期待に胸を膨らませた。

「ん?今の話ですけど?」

「へ?」

「え?・・・他に何か?」

 雲竹はわからないといった感じで、

「では、急ぎますので」

 と歩き出した。

「あの?!あなたの情報は?」

 美歩は雲竹の背中に向かって言った。

 雲竹は歩きながら顔だけを向け、

「あー!今度教えます」

 と言って、そそくさと店から出て行ってしまった。

(え?そんだけ?!交換条件じゃなかった?っていうかここの勘定は?!)

 美歩は注文したケーキをやけ食いした。

 

 

 翌日、美歩はあらためて不動産会社の事務所を訪ねようと現場へやってくると、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「刑事さん。お待ちしていました」

「またあなたですか」

「いやー、昨日は失礼しました」

 雲竹は黒縁の眼鏡を直しながら謝った。

「もう情報はお教えできませんよ」

 美歩は怒った口調で言った。

「ええ、もう情報はいりません」

「え?」

「犯人がわかりました」

 雲竹は自信に満ちた表情で答えた。

「犯人?というと自殺じゃないということですか?」

「そうです。まあ、社長さんにお会いしましょう」

 そう言って雲竹は不動産会社のドアを叩いた。

 

 対応にでた社長は、今日は営業をしていないことを告げた。

「いえいえ、実は、今日は事件のことでお伺いしました。私は探偵の雲竹といいます。刑事さんも一緒です」

 雲竹の後ろで、美歩も頭を下げた。

「実は、こちらの従業員さんを殺害した犯人がわかりました」

「え?彼は自殺じゃないのかね?」

 社長は驚いて見せた。

「はい。これは殺人です」

「しかし、遺書もあったし・・・」

「そうなのです。その遺書が引っかかっていました。なぜ彼は遺書を書いたのか」

「何故って?自殺をする者が遺書を書くのがおかしいのかね?」

「本当に自殺なら、遺書を書くことはおかしくありません。しかし、あのメモ、遺書にしてはちょっと文章が不自然だと思いませんか?それと、あの誤字もです。しかし、やっとわかりました。なぜ、あの遺書はあんな文章なのか。あなたは被害者が亡くなった時間、行きつけのスナックに居たそうですね?これは、スナックで確認がとれていますから間違いないでしょう。ただ・・」

「ただ、なんだね?」

 社長は憮然とした表情で聞き返した。

「あなたは二十一時ごろ席を外していますね?」

「席を外したのはほんの五分程度だ。ここまでは来られんよ」

「別にここに来る必要はありません。おそらくあなたはそのときこの事務所へ電話をかけたのでしょう?もちろん、被害者がその時間に事務所に居るように残業をさせるようにしておいてです。それには三つの理由があります。一つは、アリバイ作り。これは今回使われた毒物が即効性のある青酸性ですから現場と離れている必要があったからです。二つ目は、あなたは、彼が取引でミスを犯したのを上手く利用しました。あなたは電話で被害者にこんなことを言ったんじゃないですか?例えば『今回のミスは私の責任でもある。だから、私の名前で先方にとりあえず謝罪のメールを打っておいてくれ』と、そして、『今から言う言葉を書いておいてくれ』とです。その言葉とは」

 雲竹はメモに書き始めた。

 

『この度は、私の不注意でご迷惑をおかけして申し訳ありません。謹んでお詫び申し上げます』

 

「こんな文です。見覚えがありますね?彼の遺書とよく似ています。ところが彼はおそらく『不注意』の『注』という字をど忘れでもしたのでしょう。おかしいじゃないですか?普通、間違えるとしても『不注意』を『不洙意』なんて書くのは。例え間違えるにしても同じ読みの漢字、例えば『忠』とか『註』と書くのが普通じゃないでしょうか。彼は、あなたに『チュウ』はどう書くのか?と尋ねたんじゃないですか?あなたは、『サンズイ』に『シュ』と教えた。ところが彼は『主』ではなく『朱』と書いてしまった。あれは、人から聞いた文字を書いたのであんな漢字になったのだと思います」

「そんなの憶測に過ぎん」

「確かにそうですが、被害者のメールを探せば事件当日の日付で同様の文を打ったメールが見つかるかもしれません」

 社長は顔を少しこわばらせながら、

「もしそんなメールがあったとしても、それは偶然だよ」

「もっともな意見です」

 雲竹は逆らわずに言うと、黒縁の眼鏡をサッと外し鋭い眼光を鉛筆立てに刺さっているボールペンに向けた。冴えない男が瞬間、輝いて見えた。

(あん!この瞬間がタマラナイのよね~!)美歩はうっとりした。

「ボールペンは一九四三年にヨーロッパで油性のものが最初に発明されました。日本に入ってきたのは二年後の一九四五年といわれています。それから約二〇年後の一九六四年に水性ボールペンが発明されました。ボールペンという言葉は和製英語で、英語ではボールポイントペンといいます。現在、ボールペンには油性、ジェル、水性の3種類があります。油性のボールペンのインクが固まったときにライターなどで少し温めると、また書けるようになることもあります。ボールペンのインクは重力を利用してインクが出るので、上向きや横向きで書き続けるとすぐに書けなくなってしまいます。ちなみにボールペンのキャップの底をよく見ると穴が空いていますが、これは子供が間違えて飲み込んでしまったときに息ができるようにするという配慮で―――」

「なにをわけのわからんことを言っとる!」

 社長が怒鳴った。雲竹は我に返って、

「えー、ここからが肝心なのですが、あなたは事件の第一発見者でしたね?あなたは事務所に入ると彼が死んでいるのを確認して、被害者が書き残した走り書きに細工をしました。『謹』という字を消して、『死』という字に書き換えたのです。最近のボールペンは消せる物もあるようですね?例え消せるボールペンじゃなくても『専用のインキ消し』を使えば消すことが出来ますし、最近ではアメリカで開発された、書いて直ぐは消せるが時間が経つと消せなくなるボールペンというのもあるそうです。一文字だけなら似せて書くことも容易に出来るでしょうし、例え似ていなくてもそれ以外は本人の直筆ですから問題ないわけです。そして、直ぐに警察に通報した──」

「ばかばかしい。そもそも、私じゃなくて他の誰かが彼のジュースに毒を入れることだってできるじゃないか!」

「いえ、できません」

 雲竹はキッパリと言った。

「なに?なぜそんなことが言えるんだ?」

 社長は驚きを隠せなかった。

「そもそも彼は自殺なんてするはずがないのです。社長さんはご存知なかったと思いますが、実は被害者は、この秋に結婚することが決まっていましてね。彼のお相手の親御さんから念のため彼の身辺調査を私が依頼されていたのです。それで、事件の数日前から私がずーっと彼の行動を監視していたのです。ここに彼の行動を、こと細かく記した調査報告書があります。この記録では、彼はあの缶ジュースを買ってないのです。つまり、あの缶ジュースはあなたが事務所に用意して、電話をかけた際に彼に飲むようにと親切ごかしに仕向けたということになります。これが3つ目の理由です」

 社長は諦めたように、応接用の椅子に尻餅をつくように腰掛けた。

「実はこれも依頼のうちなのですが、被害者のまえに社長さんの行動も調査していました。社長さん愛人がいらっしゃいますね?被害者はここ最近羽振りが良かったようです。あなた、そのことで彼に脅されていたんじゃないですか?」

「口止めに一度金を渡したのが間違いだったんだ・・・。そんなことまで調べられていたたとは・・・」

「ええ、すみません」

 雲竹は申し訳なさそうに頭を掻いた。

  そこに都合よくパトカーが到着した。

 

「探偵さん。最初からあの社長を疑っていたんですね?」

「ええ、彼が自殺するなんて考えられませんでしたから。被害者の彼女は辛いでしょうけど、他人を脅すような男と結婚しなくて良かったのではないでしょうか」

 美歩はその言葉に雲竹のやさしさを感じた。 

「刑事さん。事件解決のお礼に何かおごってもらえます?」

「あっ、そうだ!その前に昨日のお茶代払ってください!」

「いやー、これは藪蛇でしたね・・・・」



今回はボールペンの雑学でした。

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