第一話 八十八回手間かけて
事件は当初、自殺か事故との見方が強かった。男性会社員が自宅マンションのベランダから転落死した事件である。検死の結果、死因は転落による脳挫傷と診断された。
捜査員の一人で新米女性刑事の清正美歩は、事件現場で三十がらみの不審な男と遭遇し、職務質問をした。男は肩書きに探偵と書かれた名刺を渡しながら名乗った。
「雲竹九十九といいます」
「探偵さん・・・ですか?」
「はい」
男はいまどき珍しい黒縁の眼鏡を直しながら答えた。
よほどの近眼なのだろう。レンズの厚みで本来より眼が大きく見え、いささかひょうきんな顔立ちである。
「実はこちらで起こった転落事件の遺族に依頼を受けまして、事件を調べています。私が調べたところでは、被害者は死ぬ直前に食事をしていたとか?」
「ええ、胃の内容物の消化具合から、死亡する直前に食事を取ったことがわかっています。しかし、男性は自炊をするような人物ではなかったようなので、どこかで食事を済ませた後、自宅のベランダから落ちたようです」
雲竹は黒縁の眼鏡をサッと外すと鋭い眼光で宙を見た。
美歩は、ついさっきまで不審に思っていた冴えない感じの男が瞬間、輝いて見えた気がした。
(ちょっとタイプかも?!)
「刑事さん、胃の内容物の詳細を、教えていただけないでしょうか?」
「えー、そういうことは捜査上の秘密なのでお教え出来ません・・・」
がっかりした雲竹の表情を見てちょっとかわいそうになり、
「と、言いたいところですが、特別にお教えしても・・・いいですよ」
雲竹の表情が明るくなった。美歩もちょっと嬉しくなった。
「胃の内容物は、米、豚肉、玉ねぎ、ジャガイモ、パスタ、卵、そんなところです。現在、付近の飲食店で聞き込みを続けているところです」
雲竹は少し考えたあと、
「調べてもらいたいことがあります」と美歩に告げた。
数日後、美歩は頼まれた結果を雲竹に伝えると、ある場所に転落死した男の彼女を連れてくるようにお願いされた。
指定された場所に着くと後ろから声を掛けられた。
「お呼びだてしてすみません。私、探偵をやっています雲竹といいます」
「探偵・・・?」 女性が不審気に聞いた。
「実は、あなたの彼を殺害した犯人がわかりました」
「え?彼は、殺されたのですか?」
「ええ、自ら命を絶つほど思いつめている人間がその直前に食事を摂るなんておかしいと思いませんか?それと、彼が最後に摂った食事に使われた米を刑事さんに頼んで調べていただいたらササニシキだったのですよ」
「ササニシキ?」
雲竹は黒縁の眼鏡をサッと外し、鋭い眼光を宙に向けた。
これは雲竹が思考を巡らす時の癖である。超ド近眼の雲竹が眼鏡を外したときの視力は検査でも計れないほどしかない。周りは全てぼやけるがその代わりこれまで目にしたものや書籍、新聞、WEBなどの情報が脳内で鮮明に蘇り、それらがパズルのように組みあがることで雲竹はひとつの物語を導き出すのである。
(ちょっとステキ!)美歩はときめいた。
「お米といえば農林一〇〇号のコシヒカリが有名ですが、コシヒカリは一九五六年に新潟で農林一号と農林二二号の掛け合わせで誕生しました。名前の由来は新潟のかつての地名であった越国にちなんで、『越の国に光り輝く米』という願いを込めて名付けられたものです。一方のササニシキは宮城県で同じく農林一号と農林二二号との掛け合わせから誕生したハツニシキとウルチ品種のササシグレを掛け合わせて誕生しました。誕生当時は冷害に強い作物として急増したのですが一九八三年に秋田県で奨励品種に採用された『あきたこまち』やコシヒカリを改良して一九九二年に品種登録されたた『ひとめぼれ』などのもっと楽に収穫できる品種に押され作付面積を減らしていきました。つまりコシヒカリはササニシキのおじさんにあたり───」
「お米の話と彼の転落と何の関係があるんですか!」
女性が雲竹の長話に耐え切れず話を遮った。
夢中になってウンチクを話していた雲竹は、ハッと我に返り、
「えー、ここからが肝心なのですが、ササニシキは冷めてもおいしいという特徴がありまして、現在でもお寿司やコンビニ弁当に使われる食材として根強い人気があるのです。それに、パスタが検出されている。通常の食事で米とパスタを一緒に食べる人なんて、なかなかいないですよね?でも、豚焼き肉弁当なら豚の油を吸収させるために肉の下にパスタを敷くことがよくあるんです。つまり、彼が殺害される前に食べたのは、他に検出された胃の内容物と総合して考えると、コンビニの豚焼肉弁当の可能性が極めて濃厚なのです」
「でも、男性の部屋からはコンビニ弁当の容器などは見つかっていませんけど?」
と、美歩が疑問を投げかけた。
「そうなんです!そのあるはずのものが無いということがとても重大なことなのです。被害者は犯人と一緒に部屋でお弁当を食べたのです。そのあと犯人は重大なミスを犯しました。自分が部屋にいた形跡を残さないために自分が食べた容器だけでなく彼が食べたお弁当の容器まで持ち帰ってしまったのです。つまり、犯人は、被害者と一緒にお弁当を食べるような極親しい人物ということになります・・・。つまり、あなたです」
そう言われて女はその場で泣き崩れた。
「私が彼を突き落としました・・・」
(自白しちゃうの?!普通その後、証拠は?とか言うんじゃないの?っていうかお弁当を一緒に食べるの彼女だけ?どんだけ友達いない?!)美歩は唖然とした。
そこに都合よくパトカーが登場した。
パトカーが女性を連行して去っていくのを見送りながら美歩は聞いた。
「探偵さん。それで、事件とこの場所とどういう関係があるんですか?」
「いやー、一度やってみたかったんですよね。崖の上で推理の披露って」
今回はお米の雑学でした。