09
レグルストン家に将来有望な従僕が勤め始めて一年経った。
従僕ことクロはあっという間に食欲を増進させ、体を作り、鍛錬し、貴族子息としての勉強も並行し、とんとん拍子に階級を上げて、まず半年後には執事見習い。その三ヶ月後には執事。もちろん執事教育の合間には武闘系の訓練もしっかり履修し、一年経った今では、立派に専属執事かつ護衛として、私ネイア・レグルストンの傍にいる。
……早くね?
いや早いよね。私が標準の淑女教育受けてる間に、クロって何十倍やっていたんだろう。
日中は授業が重なる以外まず逢わないっていうスケジュール、今思ってもとんでもない。そこまで詰め込む必要あるのかって訊いたら、さっさと堂々と専属執事になったらそれからずっと侍れるからって笑顔で言われた。
クロはきっと、夏休みの宿題を最初の一週間で片付けるタイプだ。
寝てるのかって訊いても大丈夫としか言わないし、実際大丈夫だったし。
だけど、お父様が仕事の都合で留守にすることが多い我が家において、すれ違いばかりというのは許せない。
クロが来たときには口実のように使ってしまったけど、寂しいと思ってたのはほんとうなんだから。
「あなたがやりたいのなら大丈夫な限り止めません。でも食事の席は一緒にすること!」
「はい」
……以来、専属執事の目標達成まで、言いつけは一度も破られることがなかった。
「つくづく、クロってすごい人だと思うわ」
「きっと天職なんですよ」
「その一言で片付くのかしら……」
「正直に言いますと、こちらに来ることが決まる前にも、そういう立場になる可能性があったので、体作りと訓練をしていました」
「それに加えて才能があったということ?」
「自分で言うのは口幅ったいですが」
やっぱりすごいわ、と言うと、クロがくすぐったそうにはにかんだ。
すっかり傍にクロがいる風景が日常になった今日、私は午後の授業の一休みでお茶をいただいている。用意してくれるのはミアーナで変わらないけれど、お代わりなんかはクロが手掛けるようになった。
お味は先生も太鼓判。もちろんお父様たちからも評判上々。
空になっていた私のカップを満たした彼は、自分の分を用意していつもの席に座る。テーブル中央のお菓子を基点に、私とちょうど直角になるくらいの位置だ。
執事ならありえないことだけど、家の人や馴染みの先生しかいないところなら、いつものこと。
だって犬で弟だものね。三歳上ですけど。
ちなみに年齢差はふだん考えないようにしている。
専属執事、兼、犬。ここに年齢が関係あるかしら?
レグルストンとして学校に通わせることも視野に入れてるけど、とお父様が言ったら、ネイアと一緒に通いますって答えてた。
私の前世と違って、こちらの学校には入学年齢に幅がある。下は十三歳、上は十六歳まで。だから融通が利くとはいえ――どうなんだろうか。専属執事として正しいのだろうか。こんな専属執事が他に果たして存在するのか。
などとたまに考えるけれど、結局私もこの現状に満足している。
王子とか攻略者とか面倒くさいことはまだもう少し先なのだし、今はこの平穏な家族の時間を満喫したいのだ。
……その家族のなかで一人家を空けがちな、今回は二週間ほど不在の人のことを口にする。
「ねえ、クロ。お父様、今日帰ってくるのだったわよね」
「はい。先日の連絡では予定どおり移動されているとのことです。お迎えの準備も皆出来ております」
「そう。ありがとう」
よしよし頭を撫でてあげたら、クロはうれしそうに身をかがめた。
いつものことだから、一緒の卓についている先生ものんびり眺めて笑っている。
――今日も平和だなあ、と、私は思った。
思っていたのだ。このときは。
数時間後。
私は一年前の再現を見る。
つつがなくお戻りになったお父様が、鎖つきの白いてるてる坊主を連れて玄関をくぐられたのだ。