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05

 翌朝。

 ふだんは完璧な時間に起きる私だけれど、さすがに今日ばかりは寝坊した。

 だって昨夜はほんとうに怒涛過ぎたのだ。仕方ない。

 ミアーナに起こされて飛び起きたあと、身支度を整えてもらって部屋を出る。


「あら」

「おはようございます」


 ……従僕のひとりであるマコに案内されてきたらしいクロが、廊下で私を出迎えてくれた。


「おはよう、クロ。迎えに来てくれたの?」

「はい。一緒に行けたらいいなとマコさんに相談したら、案内してくださいました」

「案内してまいりました。お嬢様おはようございます」


 にかっと笑うマコは、我が家に勤めて比較的新しい従僕の青年だ。焦げ茶の髪に縁取られた人懐っこい表情が持ち味で、雇われてすぐに使用人たちからも受け入れられた。

 毎日の仕事もきちんとこなすし気配りも行き届き、クレマンの覚えもめでたいらしい。執事に昇格するのも遠くないのではともっぱらの噂。もしあと二年以内に叶えば、最年少記録を塗り替えることになる。

 楽しみだから、さっさと昇格してほしいものだ。


「おはよう、マコ。クロを案内してくれてありがとう。それじゃあ、クロ。ミアーナも、みんなで食堂に行きましょうか」


 言いながら、クロに手を差し出す。

 ……首を傾げられてしまった。


「……? ネイア姉さま?」


 うん、やっぱりこの呼び方は早いところ別のものに変えてもらおう。


「手をつないでいきましょ。いいかしら?」

「僕の手でいいんですか?」

「クロと手をつなぎたいのよ」


 傷跡と絆創膏のある手を、片方は握ってもう片方で包み込むという体勢をとったクロが遠慮しいしい言うけれど、ここで引き下がるつもりはない。

 ただ、昨日今日逢ったばかりで強引に掴むのもどうかな――と迷う私を見たマコが、スッと私たちの手をとった。

 私は当然抵抗しないし、クロも驚いたせいか、手を預けたまま目を見開いている。


「はい、それじゃこうしてつなぎましょうね! おふたりとも、旦那様がお腹空かせて待ってますよ!」


 陽気に告げるマコの言葉で、あっ、そうだった、と気がついた。

 お父様をおまたせしてるのを忘れるところだった!


「たいへん! クロ、行きましょう!」

「は、はい!」


 足早に歩き出す私の少し後ろを、クロがついてくる。もちろん、手はつないだままだ。

 ぱたぱたと床を鳴らす子供二人の後ろを追いかけるミアーナとマコが笑い合っている姿を、進むのに一生懸命だった私とクロが見ることはなかった。



 ★



 貴族の食事は、いろいろとマナーが面倒くさい。

 これまではそう思ったこともなかったけれど、中身が起きてから感じ方が変わった事例のひとつだ。

 学んだことや体が覚えたことが消えたわけではないし、マナーだって必要なものだと分かってるから、振る舞いはいつもどおりに出来ている。

 ただ今日からは、昨日までとは食卓の様子そのものが少し変わった。

 白いテーブルクロスがかかった大きなテーブルでお父様と私が向かい合うだけだったそこに、クロの席が増えた。私のすぐ隣だ。貴族の食卓としてはまずない席次なのだけど、私のを傍で見て真似してみなさいってお父様のはからいである。

 私も、失敗しても大丈夫だからね、と励ましておいた。

 けど。


「……上手なのね、クロ……」

「うん。これなら教える必要なんてなさそうだね」


 手つきこそ少々おぼつかないながら、クロは食器を使う順番も間違えず、音を立てるようなことも少なく、食べ物を散らかすようなこともなく、丁寧に朝食を口に運んでいた。

 ちなみに、彼へのメニューはひきつづき、胃に優しいものを厨房のほうでセレクトしてくれたとのこと。


 とき卵をかけたパンのミルク煮にスプーンを寄せていたクロは、私たちの言葉を聞いてはにかんだように笑った。


「ありがとうございます。少し習ったことがあったので」

「それでこんなに出来るのなら、すごいわ。クロ。私が教えてもらわなくちゃいけないかしら」

「おや、ネイアは自信がなくなっちゃったかい?」

「そんなことありません! 褒めて伸ばしてあげてるだけなの」

「おやおや、そうだったんだね。ごめんよ」

「あ、ありがとうございます。ネイア姉さまもお上手です」


 私がそんなことを言ったからか、クロまで真似しようとしてる。

 弟に育てられる姉ってどうなのかなんて思うけど、かわいい弟が言ってくれるのだ。うれしくないわけがない。


「ありがとう、クロ!」

「僕こそ、ありがとうございます」

「ふ、ふふふ……っ」


 隣り合わせで笑い合う私たちを見ていたお父様が、思わずといった感じで笑い声をこぼした。

 ……ちょっと驚いてしまった。

 食事中のお父様が、こんなふうに声をたてて笑うなんてとてもめずらしいのだ。

 私とクロが驚いて見つめる前で、お父様は懐かしそうに目を細めていた。


「フィノアがネイアに教えてあげていたのを思い出してね。……前にも思ったのだけれど、食卓に一人増えるだけでこんなに違うんだねえ」

「……」


 フィノア。私が三歳の誕生日を迎える前に儚くなられた、お母様の名前だ。

 私と同じ髪と目の色で、私よりずっとずーっと優しげな面持ちの人だった。

 肖像画にある以外のお顔は正直なところおぼろげだけれど、お父様よりずっと細い腕で抱き上げてくださったことや、楽しそうにほころんでいた口元、あたたかく見守ってくれたまなざしは、しあわせなかけらとして私の中に残っている。

 しみじみとおっしゃるお父様は、きっと、人数の移り変わりを思っているのだ。

 最初は夫婦で、そのあとは親娘三人で。そして父娘ふたりになって――いま、父と娘と息子(犬)が座るこの食卓の光景を。


 ふと横を見れば、クロがお父様と私へ視線を往復させていた。

 そうね、クロはお母様のこと知らないもの。


「お母様の名前よ。フィノア。あとで肖像画を見せてあげる」

「……その方は、もしかして……」


 眉尻を下げるクロは、私たちが口にしない事実に気づいているようだった。

 大丈夫、と笑いかける。

 お母様が亡くなったころが、今はもういないことが、当たり前になったわけじゃない。あいまいな記憶しかない私ですら、思い出しては悲しい気持ちになることがある。お父様は私より、はるかにそれが強いはずだ。


 それでも、クロ。

 あなたには、今日ここで一緒にいる私たちが笑っていることを、知って分かっていてほしい。


 うつむいてしまったクロの頭を軽く優しく撫でて言う。


「これからは、クロと一緒の食卓よ。どんな素敵なものになるかしらね」

「姉さま……」

「私、それがとっても楽しみなの」

「――、はい。僕も……素敵なものにしたいです」

「ええ!」


 私も楽しみだよ、とお父様も笑ってくれた。

 ちょっと会話で時間が押してしまった分、その後の食事は慌ただしくなってしまったけれど、それでも私は、きっとお父様もクロも、とても心地よくお腹を満たすことができる時間だった。



 ★



 新しい息子(犬)ができたのに置いて仕事行きたくないなあなんてうだうだするお父様を家令や執事や従僕と総出で送り出したあと、私の午前中はクロへ屋敷の案内に使うことを決めた。

 まだかさつきの残るクロの手をとって、ここが、あそこが、と、一階から順にまわっていく。

 玄関ロビーから始めて厨房、洗濯室、サロンといった共用部。使用人たちの部屋は扉の前を軽く通って。図書室に連れて行ったら、目を輝かせていた。

 つまり、字を読めるということだ。……驚いた。どういう事情で奴隷におとしめられたのかは分からないけど、もとはいい家の子だったんじゃないだろうか。


「クロは本が好きなの?」

「はい。まだたくさんは読んでいませんが、物語もそうでないものも好きです」

「じゃあ、今度ゆっくり入ってみるといいわ」

「いいんですか?」

「もちろん、クロはうちの子だもの。でも、子供が入っちゃいけない区画があるから気をつけてね。今はいないけど司書のオーキニスか執事長のクレマンなら、ちゃんと教えてくれるから」

「はい」


 階段を登って二階には、私たち家族の部屋がそれぞれある。昨日クロが寝んだ客室も同じ階。私室の他にはお父様の仕事部屋として書斎が。日当たりのいい一角を使って、広いテラスも。


「天気がいいと、ここでお茶をするのよ。クロが座る椅子も用意するから、一緒にしましょうね」

「はい。……庭やお屋敷の周りもよく見えるんですね」

「ええ。庭もよく手入れされてるでしょう。庭師のケイネとお弟子のルカが毎日がんばってくれてるのよ。このあと挨拶して、お花も見せてもらいましょう」

「はい」

「それから、夜は星も月もきれいに見えるわ。子供はあまり出してもらえないけど、ときどき、ちょっとだけ、許可をもらえることがあるから」

「……きれいでしょうね」

「とても! 早くクロにも見せてあげたいわ!」

「はい。ありがとうございます」


 ひとしきり屋敷をまわったあとは、お昼をいただいた。

 私は午後には家庭教師を招いての授業がある。その間、クロはさっき興味があったというし、図書室にどうかなと言ってみたのだけれど、首を横に振られてしまった。


「ネイア姉さまのお勉強を見ていてもいいですか?」

「……退屈だと思うわよ? クロの先生はお父様がちゃんと手配してくださるから、それまで待って……あ、お昼寝とかは?」

「眠くありません。あの、じゃあ、本を借りてきて、読んでいますから」

「私のお部屋で?」

「……はい……」


 片手をさまよわせながら食い下がるクロの意図を説明してくれたのは、ミアーナだった。いましがた、先生がおいでになったのだと伝えにきたのだ。


「お嬢様。クロさんは、お嬢様と一緒にいたいんですよ」


 うん、それは分かる。

 だけど、貴族令嬢の勉強で貴族令息もとい犬もといクロの時間を使わせるっていうのは、もったいない気がする。

 とうのクロはミアーナの言葉を肯定するように、一生懸命頭を上下に動かしていた。やめなさい、血流が変なことになるから。


「うーん……じゃあ、退屈だったり眠くなったりしたら、がまんしないで他所に行ったり寝たりしていいからね。先生にもそうお話しましょう」

「……はい! ありがとうございます。ミアーナさんも」

「いえいえ。仲良しがいちばんですから」


 結局押しに負けた私なのだった。

 まあいいか、クロがすっごくうれしそうだし。


 ……そうしてその後どうなったかというと。

 クロは、私が授業を終えるまで、眠りもせずどこにも行かずに部屋で静かに過ごしていた。それどころか、図書室から借りてきた本を早々に読み終えて、私と先生とのやりとりに耳を傾けていたくらいだ。

 もしかしてうちの犬、天才なのでは?

 先生のほうがそんなクロのことを気に入ったようで、もっと近くで聞いていていいよとおっしゃってくださった。授業の終わりには、お父様にぜひ自分にクロードくんのことも任せてほしいと伝えていただきたい、とまで。

 見送りのために同伴していたクレマンがしっかりうなずいてたから、伝言は彼に任せて大丈夫だろう。



 これから夜までは、自由時間だ。

 今までは授業の復習をしたり、庭師の手伝いをしたりとその日の気分で選んでいたけれど、今日何をするかはもう決めている。

 クロを連れてテラスへ……は、また今度。

 今私たちがいるのは、私の自室だ。先生を見送ってから戻ってきたのである。

 授業に使った教材を片付けたテーブルでは、ミアーナがお茶の準備をしてくれているところだ。私とクロは席につき、彼女の作業を眺めて待つ。


「それでは失礼いたします。何かありましたらお呼びください。どうぞ、ごゆっくり」

「ええ。ありがとう、ミアーナ」

「ありがとうございます」


 ミアーナを見送ったあと、私はクロへ向き直る。


「どうぞ、召し上がれ。うちのおやつは美味しいのよ」

「はい、いただきます」


 ここではマナーを気にしすぎる必要もない。だって、家族だもの。

 立場の上下とかお作法とかは、外のお茶会で十分だ。とはいえ、母親や年長の姉妹がいない私は、そういう場にお呼ばれすることも少ない。

 とはいえ無参加というのもはばかられるので、一応、子供たちの交流がメインのお茶会には出られるようにしてもらっている。そういうときは親戚のおばさまやお姉様にお願いすることになるのだ。自然とつながりもそちらに寄りがちので、のちのちどう影響してくるのかは気になるところ。

 これでも外務省関係者の子供なので、人脈は広いに越したことはないのだ。

 侯爵って伯爵より偉くて公爵より偉くないっていう中間管理職みたいなところあるから、そこのところはゆるい方だったりする。


 ……なんてことを考えるようになったのは、やっぱり中身が起きたからだ。


 これまで蓄積した自分の経験と中身の感覚や知識をすり合わせれば、この歳のネイアならまだ見えなかったことも見えてくる……ような気がする。

 とはいえ、悪役令嬢ネイアはああなった面を除けば非っ常~~~~~~に優秀な少女として描写されてたから(王子の婚約者になるくらいだからそりゃそうだ)、こうならなくても案外いろいろ考えていたかも知れない。

 今となっては、知るよしもない話になってしまった。


「お味はいかが?」


 考えながらもいつものようにお茶とお菓子を堪能し、クロにも感想を訊いてみる。

 クロは、もくもく、と口のなかのものを食べ終えてから、私を振り返って微笑んだ。


「はい、とてもおいしいです」

「よかった。たくさん食べてね。でも、夕食があるから気をつけて」

「はい」


 くすくすと笑うクロ。

 昨夜の姿を思えば、これまでの半日と少しで、よくここまで気を許してくれたものだと思う。演技だったらすごいけど、それはそれで処世術だわ。


「クロ。食べながらでいいから、――少し、聞いてくれる?」


 そうして私は、今日この時間をクロと自室で過ごすことにした目的へととりかかることにした。


「はい。すぐ食べ終わるので、少し待ってください」


 空気が硬くなりすぎないようにタイミングを選んだつもりだったけど、ちょっと見誤ったっぽい。

 そこでさらに食べ続けてというのもおかしな話だから、私はうなずいてクロの手と口がからっぽになるまで待った。


「おまたせしました」

「急いでくれてありがとう」


 対面で座っていた私たちは、お互いを見たままなんとなく姿勢を正した。

 話を切り出すのは、もちろん私からだ。


「――クロ。あなたを、犬と扱うことについて」

「……はい」


 こくり、と、私の言葉の続きを待ってくれるクロへ、指を一本立ててみせる。


「二割のうち、名前が一割の半分です」

「はい」

「あと一割と半分について、クロにお願いしたいことがあります」


 ――これから二年後、さらに四年後。

 私が悪役令嬢になることがあるなら、その手足として動かざるを得ないだろうクロードに。



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[一言] ええ~~クロW 斬新やわW
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