04
食事を終えてお父様とおやすみなさいの挨拶をしたあと自室に戻った私は、『つばみち』の内容を思い出すべく記憶を絞り上げていた。
書きつけるためにノートも用意したけれど、開始してから小一時間、埋めたのはほんの数ページである。なんというていたらく。
攻略対象の名前と大雑把な経歴、それ以上に雑な範囲でヒロインによる攻略手順を書き出せただけ、がんばったと思おう。その攻略手順すら、プレイしたはずの箇所があちこち虫食い状態だけど。
まずつばみちの舞台は国立ディルクルム学園。
ヒロインちゃんが新入生として入学する春、物語は始まる(OPムービー)。
ちなみにこの世界も十二ヶ月で一年が推移する。1の月、2の月……12の月でひとまわり。一ヶ月の日数も前世と同じである。うるう年がない代わり、四年に一度、12の月31日と1の月1日の間に0の日が追加されるのが、分かりやすい違いだ。
ともあれ、これからの学園生活に夢と希望と不安を抱いて門をくぐるヒロインちゃんは、ふわっとした小麦色の髪を肩上くらいのボブに流し、子犬を思わせる丸っこい瞳は澄んだすみれ色の守ってあげたい系少女。
制服と私服とお部屋パジャマが定番グラで、デートイベント時にはおめかしもする。
名前はまだない。
……いや、ほんとうにないのよ……デフォルトネームすらない系で……
それはそれとして。
生まれついての貴族ではないから、お作法はまだ危なっかしいところがあるけれど、言われれば修正していく素直な性格。敬語はどうにか大丈夫で謙譲語とか貴族特有の言い回しや腹の読み合いになると苦手。
相手が上位貴族でも、気さくに接してくれと言われたらほんとに気さくに接するよ。悪役令嬢がツッコミにくるよ。注意だよ。
まあなんだ。『きゃっ』とかわいい声で身をすくめるのが似合う子犬ちゃんだと思ってくれれば間違いないと思う。
そして悪役令嬢がネイア・レグルストン。
どの攻略対象ルートだろうと、ヒロインちゃんに立ちはだかるのはこの私。
各攻略者の婚約者やってるとかではなく、妨害方法が違うだけだ。王子ルートでは婚約者として。他のルートでは貴族子女らしくできないヒロインちゃんに苛立ちを募らせてとか該当攻略対象の婚約者が嘆いているのを見て憤って……ということになる。らしい。忠告から警告から実力行使からオーバーブレイク。やりすぎてどのルートでも婚約破棄くらって人生パーン。
何がネイアをそこまで熱くした。……熱くならなきゃヒロインちゃんの恋のスパイスがないんですけどね。分かりますけどね。ゲーム視点ならね。ラスボス戦の蓋を開けるのがネイアだから、そこまでぶっちぎらなくちゃいけないんだろう。しょうがない。
そうなの。このゲーム、戦闘要素もあるのよ。学園での魔術対決とか、RPG風の画面でミニキャラが戦うシステム。
それはそれとして。
こちら目線で見てみると、婚約者がいる相手と親しくする時点でヒロインちゃんアウトだろ、なのであった。
最初はお友達のつもりでもヒロインちゃんに絆されて傾倒していく攻略対象も、もちろんアウトですよね。
妨害をくぐり抜けて結ばれたあと、果たしてちゃんと婚約できるのだろうか。……プレイ当時は考えなかったけど、いざ自分がこうなってみると気になってしまう。
でもヒロインちゃん癒やしの力って超レアカード持ってるから。聖女になるから。純白の翼は彼女の力が解放される証。神殿所属で身分としては国王陛下と同列。とはいえヒロインちゃんは権力に拘泥しない乙女だし、国政に影響は出ないはずだ。ゲームでは。
ただそんな身分なもので、攻略対象たちのおうち側も、そのような方の心を射止めたとは大手柄だー、となるので元婚約者の令嬢はネイアのような大転落こそないものの、あっけなく婚約者を持っていかれてしまうのだろうとは想像できる。
……せめて解消にしてやってほしい。
だから。
他のご令嬢ならいざしらず、今のネイア――私はそのあたりも承知で対峙するつもりだから、恋がしたいなら第一王子に的を絞ってほしいな、と思うのである。
だって誰攻略しても人生転落するのネイアだけじゃん。ならもうこっち来いよってなるでしょう。
そんなネイアの婚約者が、一人目の攻略者。
我がハルツハイム国の第一王子、リシスフィート・レイ・ハルツハイム。
いわゆるゴールデンブロンドな金髪と碧眼。爽やかで人望も厚いド定番イケメン。成績優秀。
ただし母親が第二妃なので、継承権は第二王子に一歩譲る。
兄弟は血統ではなく生誕順での序列だけど、王位継承順となると二位なのだ。第二王子の能力も第一王子に勝るとも劣らずというやつで、こうなると血筋が明暗を分ける。そういったところや性格の違いも含めて、こっそりと第二王子への劣等感を抱えている。内気生真面目負けず嫌いががんばって爽やかイケメンやってる裏があるのだ。
ヒロインちゃんがうまく発奮させることで一気に引き離し、自信を付けたところで君のおかげだハッピーエンド。ED後には立太子される様子も描かれた。
なおネイアに対してはゲーム序盤から塩塩の塩だ。
幼い頃に家の都合で婚約を結んだけど不本意だった、とか言っていた。悪かったな。お家の都合ならもうちょっと外面かぶってください。
二人目。クロ。ただのクロード。
ネイアの従者として控える、目に光がない系。原因は言うまでもない。
鉄錆色の髪と琥珀色の瞳を持つ。表情を見られるのが苦手で、顎下くらいまで伸ばした髪をそのまま流すスタイル。
ヒロインちゃんとの出逢いは、ネイアに命じられたクロードが彼女に嫌がらせ工作をする現場に行き合ってから。夕方の教室で教科書に手を触れてたスチルはきれいだった。状況がそれでなければもっとよかったね。
呆然としたヒロインがあまりにも儚くて、命令といえどこんな少女に……! と己を悔いたクロードはその後嫌がらせを控え、しかもこっそり裏から助けたりもしていって、ヒロインちゃんも薄々彼の存在に気づいて、見つけ出して声をかけて逢うようになって。
いたくない人のところにいる必要はないよ! そうですね! はいオメデトー。
……そうね……クロのルートも婚約者いないから、そっちに行くならそれも手伝ってあげてもいいかな……
三人目。第二王子。
ルクスウィード・ロス・ハルツハイム。
赤みが混じる金髪の先端を白く抜いたふわヘア男子。眼の色は蒼。
リシスフィート王子とは、半日遅れで産まれた同い年。……だから継承問題がやっかいなことになってるのよね、よけいに……
なんでこんなことになったかというと、第二妃が早産したからだ。リシスフィート王子の母上様のほう。作為の有無はさておいて、まさか日まで揃うとは。
第一王子が真面目くんなら、第二王子はチャラ男くん。本命に手を出せないヘタレです。ある意味定番。
攻略経緯も対第一王子とだいたい同じだけど、ふたりの好感度が同じくらいだと取り合いイベントが起こるらしい。プレイヤーとしての私は未通過である。
ついでにネイアへの対応は持ち上げて煽てて嘲笑する系。こいつもひどいや。
四人目。騎士候補。
ジャン・バーリエル。赤い髪と赤い瞳でお察しください。
ネアカのコミュスキル全振りでもちろん実力もあって将来を期待される男。
早朝の自主練に遭遇したあとでお弁当のおかずを奪わせれば、味を気に入ってガンガンヒロインちゃんに絡んでくるので、乗せて乗せて乗せていけばオッケー。だったはず。
だが幼なじみちゃんとの婚約話が親主導で進んでるはずなので、出来れば今回は避けていただきたい。
貴族とか苦手だなってことで入学までまでネイアと直接の面識はなかった。ただ噂は耳に入るだろうし、いい印象を持っていないだろうことは確実。
五人目。宰相の息子。
セドリッド・キース。藍色の髪と青みの入った深緑色の瞳、そして眼鏡。楕円フォルムだけれど、目つきの鋭さはまったくやわらがない。
外見を裏切って物腰柔らかに接してくるという意外性の男である。ある程度好感度を上げると素が出るようで、突き放した物言いになるそうだ。
おうちがおうちなのでもちろん婚約者がいる。公爵家のお嬢様。なのでこちらも回避してほしいところ。
第一王子とよく同行するので影響を受けるのか、ネイアには素もへったくれもなく塩である。
六人目。魔術士官候補。
エルウィン・コールダー。ふわ茶髪と眠たげ焦げ茶目の少年。わんこ系。庶民。
魔術の素養を見込まれて特待生入学してきたので、庶民感覚がヒロインと共鳴する。この子とのイベントはどれもこれもほのぼのと癒やし系だとか。
ネイアに対してはぴるぴる震える。何もシテナイヨ。
エルウィンにも婚約者はいないのだけど、恋敵になる少女が出てくる。……まあ、そこは正々堂々でヨロシク。ネイアじゃないから大丈夫だろうけど。
七人目。隠し。知らない。プレイしてない。
八人目。以下略。
しょうがないのでーす!
第一王子とクロードルートしかプレイしてませんでしたー!
途中から他の、羊の毛刈りアプリに夢中になってましたー! 画面がもこもこで埋まるの楽しかったでーす!!
「だめだわ、これ」
私はノートを鍵付きの引き出しにしまいこんで、腰かけていた椅子から立ち上がる。うーん、と伸びをしてこわばる背筋を伸ばした。
「……まあ、私が転落回避なんて考えるようになった時点で、もうあのゲームじゃなくなってるのよね」
存在する人は同じ。名前もきっと同じ。
お父様もお父様。けれど、私はあのネイアではないし、クロもクロードからずれてしまった。私がずらした。
なら、逢ってない人たちも知らないままになる人たちも、それぞれ動いていくのだろう。
こうなる可能性があると念頭に置くくらいにして、あとは自分が良い方向に進むと思えることをするしかないかな、と、これから先については、そういう結論に落ち着けておくことにした。保留とか棚上げとかとも言う。
意識を前世からこっち側に戻したところで、扉がノックされた。
「ネイアお嬢様。ミアーナです。クロさんをお連れいたしました」
「ありがとう。入っていいわよ」
許しを出して一秒ほど、ミアーナが扉を開けた。その後ろから姿を覗かせたクロを見て、私は歓声をあげた。
「……わあ!」
汚れを落として服も替えたクロは、さっぱりすっきりと見違えていた。ぼさぼさ伸びっぱなしの髪はひとまず梳いてゆるくまとめられてるだけだからまだ野暮ったい印象はあるけど、顔がはっきり見えるようになったのはいいことだ。
汚れに隠れていた傷跡までがあらわになってたり、手首や足首に巻かれた包帯が袖口や裾から見えるのは痛々しいけど、ミアーナからうながされて入ってくる様子を見るに、痛みなんかはなさそうだと思う。
私はそうやってクロを凝視していたら視線が恥ずかしかったのか、クロは私とちょっと目が合った瞬間、ぱっとそっぽを向いてしまう。……そしてすぐに、体をこわばらせた。
「あ、すみませ……」
「いいえ、私こそ、じろじろ見ちゃってごめんなさい」
正直に吐露してみたら、硬くなってたクロの雰囲気がゆるんだ。
思ったとおりだった琥珀色の瞳をほそめて、はにかんだ笑顔まで見せてくれる。
「……いえ、気になさらないでください」
「お湯、沁みたりしたわよね。大丈夫だった?」
「はい。手当てもしていただいたので、大丈夫です。……ええと、ここへ来るようにとのことでしたが、何かあるのでしょうか」
……思うのだけど、クロの喋り方って子供っぽくない気がする。奴隷だったというのを考えても、丁寧すぎるというか。
私は中身がこんなだから、たぶん少しませた感じになってしまうのは仕方ないのだ。
まあ、おいおい知っていけばいいか。クロが教えてもいいと思ってくれるなら。
「ええ、寝る前にクロの様子が見たいなって思って、お願いしておいたの。すっきりしてよかったわ。ご飯も食べられた?」
「――」
クロは、数度、無言のままに目をまたたかせる。
ゆるませていた表情が一瞬、また困惑にかたむいて、次にはさっき以上にふわりとした笑みを浮かべていた。
「はい。ありがとうございます。とても――、……ほっと、しました」
「……そっか」
初対面の怯え方やぎこちなさが薄くなった彼の言葉に、私もほっとした。
「なら、よかった。明日は起きられたら朝食を一緒にしましょうね。寝過ごしたらお昼に待ってるわ」
「がんばって起きます……!」
「がんばらなくていいの。疲れてるのだから」
まずは元気になって、それからがんばってちょうだい。
「もちろん、私の犬としてね」
茶化すつもりでそう言ったら、にぎりこぶしで決意表明していたクロは、はい、と素直にうなずいた。
「お嬢様、不発です」
「ミアーナ、そういうときは黙っておくの!」
「失礼いたしました」
私の抗議に頭を下げるミアーナの口元が微妙にひくついてたの、ちゃんと見たんだからね。
いつもみたいにもうちょっと食い下がって文句言いたかったけれど、私はお姉さんになるのだ。弟がいる前で、そんな子供じみた姿は見せられない。もう遅いとか言わないでほしい。
気を取り直して、私たちのやりとりにぽかんとしてたクロへ向き直る。
「それじゃあ、おやすみなさい、クロ。また明日。ミアーナも、おやすみ。おつかれさま」
「はい。おやすみなさいませ、お嬢様」
「あ――おやすみなさいませ、お嬢様……」
「じゃないわよ」
ミアーナにつづいて部屋を辞そうとするクロの服の裾を、とっさに掴んで引き止める。
「え?」
「ネイアよ。ネイア姉さま」
「……」
はく、と、口を数度、酸素を求めるように動かしたあとで私の言葉に応えたクロは――なんだか、たからものを探し当てたような顔と声で、言った。
「はい。ネイア姉さま」
……笑顔でふたりを送り出し、扉を閉めた私は思った。
姉さま呼び、中身がこうなったネイアには、ちょっとレベルが高すぎる――と。
もうちょっと、軽い呼び方を考えておこう。
そんな予定をたてながらベッドに入った私は、それが翌日、早々に無駄になることをまだ知らなかった。