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任務完了。
精神的疲労あふれる私の前では、皇帝陛下が「ふーむ」と顎をさすっている。
お歳は二十歳前だと思うが、そんな仕草をしているとどこか老成した雰囲気も感じられるから不思議だ。お役目を考えれば、備えていて当たり前の気質なのだろうか。
「手のひら程度の板に時刻や天候予測を表示する、遠隔通話もできるのがスマホ。……それらの機能がアプリで、遊戯を全面に押し出したゲームというのもそのひとつ。空想の世界を楽しむゲームがある。とくに男性との恋愛を主体にしたものを乙女向けのゲーム……略して乙女ゲー、と」
こうも的確に説明をまとめきれる才能も、皇帝の資質というものかもしれない。
あっち飛びこっち飛びの素人解説を、よくぞここまで噛み砕いてくださったものだと思う。
ふむふむと一人うなずいた皇帝陛下は、手元の紙に何かを書きつけていく。
「こちらの原理でも仕組みは作れそうだな。うむ、いい情報をもらった! 礼を言うぞ!」
呵々大笑のついたお褒めの言葉をいただく私は、まだ死んだ魚の目だったりする。
とうてい皇帝陛下に向けるような顔つきではないけれど、やりとりをするうちになんとなく、この方いろいろな意味で大器をお持ちなのだなと感じてきたこともあって、これがボーダーを越えていない確信はあるのだ。
……というか、この様子だとほんとうにスマホが世界に広がりそうでちょっと怖い。文明に不要な口出しをして穏当に終わることって少ないのでは?
でも作れる基盤はある、と皇帝陛下はおっしゃっているし。
なんだかんだと、誰かが思いついたりしたかもしれない。うん、私の心の平和のためにそういうことにしておこう。
「お役に立てたならなによりです……」
微笑んでみたつもりで、たぶん力のない笑顔になっていると思う。
皇帝陛下はそこを追求するようなこともなく、「ああ」と破顔した。それから紙を懐にしまい、椅子の背もたれに身を預けて足を組み、その上に手を投げ出して指を絡めた。
「さて、ではそなたの質問に答える時間だ。――が、午前の公務があってな。昼にまた相席ということで構わないか?」
「あ、はい。分かりまし……」
「それとも、俺に着いてくるか?」
「……はい?」
――皇帝陛下は、たいそう自由奔放なお人として知られているらしい。
たとえば、後日訪れる隣国の要人の娘を先んじて招聘し、社会勉強として傍に置いているのだという突拍子もない説明をあっさり受け入れられる程度には。
「これなら、隙を見て話も出来るしな!」
「そうでございますわね……!」
ご機嫌に笑う皇帝陛下の後ろで、やけっぱちを押し隠して笑う侯爵令嬢。私ですよネイアですよ。
「でも、子供と言えどわたくし隣国の、しかも外務省の関係者ですのよ。大事なお話などはありませんの?」
「うむ。だからこれをかぶっておいてもらう」
問えば、皇帝陛下は袂を探って――取り出されたのは、ヘッドホンのような道具だった。耳あて部分がもふもふとしたファーになっているので、どちらかというとイヤーマフが近い。
手ずからかぶせていただきながら、なんとなく用途を察した私に、皇帝陛下はきちんと説明してくださる。
「外部の音の聞こえを調節するものだ。増幅したり、完全に遮断したりな。聞こえなくする前には合図してやるから、驚くなよ」
「かしこまりました」
今は言葉が聞こえる。その必要もないということだ。
了承を告げてカーテシーの姿勢をとれば、ほう、と感嘆したような小さな吐息も聞こえるくらい。
「そういえば、子供だと侮るのも失礼か。そなた、先の場所では何歳まで生きた?」
「……それが、詳しいことは……、――――え」
「まあ、どちらにせよ見た目どおりの中身でもないのだろうな。こちらが非礼と感じたら言ってくれてかまわん。では行くか」
「あ、は、はい……!」
その言葉で思い出した。
私は皇帝陛下に招かれて、この世界へやってきたと言われていたんだ。
ゆったりした大股で歩く皇帝陛下の少し後ろを小走りで追いながら、はるか頭上の背中を見上げる。
「陛下。わたくしをお招きになったというのは?」
「ああ、それはな。ことを済ませたあとに前皇帝が遺した迷言の数々がどうも引っかかってな。同じ世界の者なら知っていようと、転生待ち魂の寄り合い所から探した」
くじの箱に腕をつっこむ仕草をする皇帝陛下。
距離をとるようにと言われて私よりももっと後ろをついてきている側近の方が、「ん?」と首をかしげるような声が聞こえた。
急ぎ名乗りあっただけなのでジーン・シーンという名前しか知らないけれど、有能な女史という印象の女性である。
魂の寄り合い所とか探せるものなのかというのは、まあ、置いておくとして。
「では、わたくしはこの数時間のためにこちらの世界へ生まれることになったということですか……!?」
「そうなるな」
「…………」
問うた私の声は小声を意識したものの相当に切羽詰まっていた。だというのに、皇帝陛下の返答はあっさりとしたものだ。
「悪役令嬢としてではなく……!?」
「悪役……、ああ、そういえばあいつも言っていたな、それ」
用途はともかく意味は分かるから、今回は尋ねなかったが。
誰が、とは訊くまい。きっと、前皇帝陛下を指しているのだ。
では何を尋ねるべきか。
状況を忘れて思考に意識を全振りしようとした私は、立ち止まった皇帝陛下のお尻あたりに顔を突っ込んでしまった。
ど真ん中ではなくて、顔の半分がぶつかったくらいだったのが不幸中の幸いである。
「ぷきゅ」
「おぅ」
さすがにこれには皇帝陛下も驚いたらしい。変な声出して、私を振り返っている。
「し、失礼いたしました……」
精一杯とりつくろって、謝罪を申し上げる私。
一部始終を目撃していた背後のジーン様が小さく噴き出す声が聞こえ……聞こえません! あとマントごしですから! 恥ずかしくない!!




