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 ゲームのクロードの面影よりも、その濃い血の色の瞳に、意識ごと縫い留められるような気がした。

 クロードに似ているということはクロにも似ているということなのだと、思考の隅っこが驚いている。

 そういえば、私がプレイした範囲では、クロの出身地には触れていなかった。奴隷として侯爵家にやってきた、というくらいで――

 待って。

 この人それじゃもしかして、(私にとって)幻の隠しキャラだったりする?


「あ、の」


 ゆるんだ脳みそが不用意に言葉をつくらせたけれど、その先に何を言うかまで面倒を見てはくれなかった。

 ぱくぱくと口を開閉させる私に、その人は愉快なものを見る目を向けるばかり。


「あ」


 待って。

 それ以前に、この人もっと重要なこと言った。

 転生者って。

 なら、まさか。


「おな、じ……?」

「いいや」


 にぃっと笑う瞳にあるのは友好的な感情だと思う。今の私に、判断力がどれだけ残っているかが怪しいのが残念だ。

 たぶん私の目は、きっと漫画的な感じでぐるんぐるんになっている。


「俺はそれではない。だがそなたは間違いなく転生者、俺が招いた魂だ」

「……は……?」


 招い……招かれ、た?


 待って。何度目だ。

 そろそろ思考回路がショート寸前なのだけれど。


 私が意味のある言葉をつくれていないことに気づいたか、その人は「ん」と困った顔になった。


「そうか。人の子供は弱いものだったな。――休むか」

「あ……はい……?」


 休む。

 その単語に、眠りを妨げられたことと、ここまでの心身両面での疲れが一気に噴き出してきた。

 ふわんと反射的に返した言葉は、その人の耳に届いたようだ。

 腕のなかの私をしっかり抱え直して、部屋の一角へ足を進める。かすれつつある視界に、垂れ下がる布が見えた。

 片手に私を抱えたその人は、もう片手で布をめくる。

 布の向こうにあったのは、真っ白い――ふわふわの。そうだ、あれはふわふわしたものだ。

 ふわふわ、とつぶやいた私の声は、ほんのわずかに空気を揺らして消えた。

 そのふわふわに、横たえられる。

 ふわふわと、ふわふわは背中を受け止めてくれた。


「やれ、すっかり冷えているな」


 私の隣で同じような姿勢になったその人が、体の上にかぶせてきたのもふわふわ。

 体の下にふわふわ。体の上にもふわふわ。

 ……その上から、ちょっと重いものが、ふわふわをつぶすように乗ってきた。


「……こう、かな。よし、眠れ、眠れ」

「…………」


 戸惑いがちな声と体の上で軽くはずむ重みが心地よくて、私の意識はあっという間に途切れて――


 そして。


 夜明けの薄い陽光に目を開いた私は、クロード似の誘拐犯と一緒にベッドに入ったのだという事実を目の前に突きつけられる羽目になったのだ。

 慌てて飛び出して外へつながるだろう窓を開ければ、そこはテラス。目の前には帝国首都の街並み。なぜ分かったかって、一応事前の資料で建築物の特徴とかを把握していたから。魔導具のおかげで快適に保たれているというこの大気も実感したから。


 ベッドの中の生き物が一人ばたばたと飛び出したのを追ってきたその人が、ああそういえば、と思い出したようにつぶやく声がした。


「名乗っていなかったな。『これ』は、」


 振り返れば、その人が己の胸元に手を当てたところ。

 聞きたくないと脊髄反射で耳をふさぎかけた手を止めた、私の精神力を誰か褒めてほしい。


「ロルツィング帝国第172代皇帝、クリストフェル・ロア・ロルツィングだ」


 …………ほんっと聞きたくなかったです…………


「……さようで……ございますか……」


 朝になって実感した内装の豪華さや、この場所の意味からなんとなく推測はついていたけれど、いざ現実と知るとまたダメージが入る。

 私はかろうじて一言返し、たぶん死んだ魚のような目になって再び首都の光景へと目を戻した。

 ……まあ、現実は私を逃避させてくれなかったのだけれど。




 ――以上、回想終了。

 私は私の現実として直面すべき事態の時間軸へと立ち戻る。


 うながされるままに朝食(豪華)をいただき、当たり前だが寝間着のままだったのをどこから調達してきたのか上質なワンピースに着替えさせられた私は、連れてこられたこの部屋から着替え前の湯浴みに使った浴室とお花を摘む例の場所を経由してきたところだ。

 あきらかに怪しい小娘だというのにも関わらずにこやか世話をしてくれた侍女とともに扉をくぐれば、部屋の中央にお茶の用意が出来ていた。食事をいただいた直後だからか、飲み物の他には軽くつまめるたぐいのお菓子があるばかり。

 それらが載ったテーブルには、椅子がふたつ。

 うちのひとつにはもちろん、皇帝陛下が座していらっしゃる。

 もうひとつにはこれももちろん、私が座らされた。


 役目を終えて下がる侍女を全力で追いかけたかったが、我慢する。たぶん連れ戻されるだけの無駄な時間になりそうだから。


「……」


 いったいどういうつもりなのか尋ねたいのはやまやまだけれど、格下の私から勝手に声をかけるわけにはいかない。

 ちらちらと視線を送ってみたら、怪訝な顔をされた。


「どうした。言いたいことがあるなら言え」

「ぅお……、おことばに、あまえさせていただきます……」


 ほんとにこの人皇帝陛下なの? フランクすぎない?? 変な声出てしまったじゃないか。

 貴族令嬢としての外面が裸足で逃げてったような気分だ。


 しかし――言いたいこと、というか、訊きたいことはたくさんある。

 ありすぎて、どれからどう切り出せばいいのか分からない。

 脳内どれにしようかなを展開する私を数秒ほど見ていた皇帝陛下が、「俺も訊きたいことがあってな」と切り出された。


「は、はい。なんでしょうか」


 私に分かることならよし、分からなければ謝ればよし。

 逢って半日も経たないけれど子供には多少甘い方のようだから、粗相程度で首を斬られはしないだろう。

 背筋を伸ばして向き合えば、皇帝陛下は軽く首肯して質疑事項を口にした。


「『ちーと』とはなんだ?」

「―――――――」


 鼓膜が変な動作をしたようだ。


「『生糸』……でしょうか?」


 尋ね返せば、首を横に振られた。

 聞こえなかったかとつぶやいたお口から、もう一度同じ音がつむがれる。


「『ちーと』だ」

「―――――――」


 鼓膜じゃなくて三半規管だったかしら。内耳? それとも大元のお脳が?


 必死に正常性バイアスを起動させようとする私だったけれど、そうは皇帝陛下がおろさなかった。


「それと、『あぷり』、『あんいんすとーる』、『すまほ』……」

「―――――――」


 指折り数えつつ挙げられる単語……いや、意味を伴わない以上音の並びでしかないのだけれど、そのどれもこれもが私の中身をちくちくぐさぐさと突き刺してくる。


「ああ、それと、『おとめげー』、『ひろいん』。これも分かるか?」

「……………………」


 ざあざあと血の気が引いていく。

 何がどうしてどういうことに。

 意味を訊くということは、誰かが単語だけを皇帝陛下に聞かせたということ。しかもおそらくいや確実に転生者が。私以外の。

 素知らぬふりして意味だけを答えればこの場は解放されるのだろうか。でも皇帝陛下がご存じないのであれば、この世界に定着した言葉ではない。

 私の素性すら怪しまれてお父様たちに悪い影響があったら。そう考えると、へたな動きはできない。


 けれど皇帝陛下は、混乱するばかりの私を見つめておっしゃった。


「分かるだろう?」


 ――私がそうなのだと、確信している響きで。


「……」


 ごくり。

 生唾を飲み込む音が大きく響く。幼くても淑女たるもの、こんなみっともない真似はできないというのに。

 口を開ける。喉はからから。皇帝陛下の質問中に視線を逸らす無礼を詫びるために目を伏せてうつむき、こん、こん、と咳を数度。息を深く吸って吐いて、背筋をまっすぐ姿勢を正す。


「かしこまり、ました。ご説明させていただきます」


 うん、とうなずく皇帝陛下のご機嫌が下降中ではないだろうことを確認して、言葉を追加する。


「……それで、もし、ご満足いただけましたら、わたくしからもお尋ねさせていただきたいことがございます。よろしいでしょうか……?」

「ああ、もちろんだ」

「ありがとうございます」


 快いお返事に安堵した私がいざ答えようとしたとき、皇帝陛下が「そうだ」と破顔した。


「じゃあ、まずひとつ教えておくか。今言った言葉を遺したのはな、先代皇帝だ」

「……えっ?」


 ――資料曰く。

 第71代皇帝は32歳で即位し、58歳に崩御なさった。

 治世は可もなく不可もなく――大国だからと周辺国へ居丈高な姿勢をとることも、当然へりくだることもせず、内政にやや比重をとった富国策が主体だったという。

 数代前からつづいている魔導具研究にも惜しみなく国費を投資し、最先端技術がいくつも花開いたそう。

 けれどそれも、50歳を過ぎるころに怪しくなる。

 この世界では70歳まで生きればご長寿ギネス的な扱いなので、早い人ならそうなってもおかしくない年齢だったらしいのだけど――ともあれそのあたりからお人柄が変貌したとか、その影響でかありえない政をなさったりだとで国政が大混乱して結果力尽くで物言えぬ身になられてしまったと……

 子供の耳には入らなかったようなことも、その気になって調べれば当時の新紙などでたどることができた。隣国の、しかも皇室の出来事だから、ゴシップとしてかなりの雑誌類があれこれと書き立ててくれていたし。


 まあ、だから――認知の歪みで政に不協和音を奏でるばかりでなく、自身の不適格を認めきれず皇帝位にしがみついていたのだとしたら強制廃位となったのも仕方ないな……と、出発前の私は思っていたのだ、けれど。


 待って(何度目)


「なぜ皇帝陛下がそのような、あの、ありえないお言葉を……!?」


 目を白黒させる私を見て、現皇帝陛下はにやりと笑う。


「説明が終わったら語ってやる。この質問はな。そなたには既知の事柄かもしれんが、俺にとってはこの数年の疑問だったんだ」

「か、かしこまりました……!」


 前世の私に言ってあげたい。

 転生して誘拐されて隣国の皇帝陛下のおそらく私室で『ちーと』だの『おとめげー』だのを解説する未来が待っているよと。心の準備をしておけと。

 もちろんそんな準備をしていなかった私は、どもりつっかえどうにかこうにかほうほうの体で、ひとまずのご納得をいただけるまで言葉を尽くすことになった。



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