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02

 立ち尽くす愛娘の脳内でどれほどの嵐が吹き荒れているか知らないお父様が、困ったようにおっしゃった。


「驚くよね。そうだよね」


 そう。びっくりしたのは私だけじゃない。私たちの周りに立ち並ぶ、出迎えのために勢揃いした我が家の従者一同も、困惑した顔で少年を見つめているのだった。

 ただひとり、少年だけがびくびくと、かといってお父様に隠れるような真似もできず、さらし者のように身をちぢこませているばかり。ぼさぼさとした褪せた鉄錆色の髪に隠れてるたぶん琥珀色の双眸は、焦点を定めきれずにあちらへこちらへとさまよっている。

 それがあまりにも哀れを誘って――誘いすぎて。やばい。見てるとダメな扉が開きそう。そーっと視線を逸らすついでに、思考も別へと持っていく。


 隣国……あっ、そうだ。

 我がハルツハイム国の東に国境を接するロルツィング帝国。たしか奴隷制度が合憲だったんだわ。だよね? うん、たぶんきっとそう。だからって奴隷制を敷いてない隣国にお土産として寄越すのもどうかと思うわー。禁止法があるわけでもないから、止められなかったのね。

 ゲーム本筋が展開されるうちの国ならまだしも隣国、さらにはお子さまの蓄えた記憶なんてそう頼れるものじゃないけれど、お父様の仕事の話はときどき耳にする。聞き流していても、そこそこ覚えていられてるようだ。

 前世噴出で記憶領域が刺激されたせいもあるかもだけど。


「けどね、うちの国にいろいろ便宜を利かせてもらっている恩もあってね……断れなかったんだ……」


 私がいろいろ考えて立ち尽くしているうちに、お父様はちょこっと首をかしげた。

 肥満とまではいかない、恰幅のよい体を上品なお洋服に包んだお父様がそんなポーズすると妙にかわいらしい。亡くなったお母様もよく、お父様のそういうところが好き! って力説してたっけ。


「というわけで、ネイア。犬にしちゃうかい?」

「しません!!」


 叫んで、それから思い出す。察する。

 さっき私、怯えた少年にちょっとドキッとしてしまったのだ。つまりネイアの性癖でもあるんだと思う。

 私という別の倫理観を持つ前世要素が表に出てきていなかったら、たぶんネイア……いや今私だけど。なんて言うのかな。眠りこけてた半分がやっと起きてきたという感じがする。欠けてた部分が補われたというか――だから、乗っ取ったとかいう感覚はない。

 あえて言うならば、そう、完全体。……厨二かよ。

 この世界の魂に他所から来た魂がくっついたのではなく、そもそもの魂があちらからこちらに来たのだと思う。

 ……話を戻そう。

 今日まで私抜きで育ったネイアは、私の部分が目覚めなければ十中八九、お父様の提案どおりに「そうね! 犬にしちゃうわ!」とか言ってたかもしれない。幼子はときとして残酷だ。


 けれど少年よ、いまだ怯える少年よ。安心してほしい。

 私は貴方を人として迎えたい!


 ビシッ! と少年を指差したら、びくん! と震え上がられた。ごめんて。


「お父様! 私はそういう意味の犬がほしいと言ったのではありません! ペットがほしいと言ったの!」

「犬……ペット……、この子じゃだめかい?」


 どうしてこの子を犬にすることにこだわるの!?

 たしかにいまさらいい犬(イヌ科のほう)を探してくるのは大変かもしれないけれど、それと少年を犬扱いするかしないかは別の問題だと思うのよ!

 人好きすると名高いお父様の笑顔をここまで憎んだのは、この世に生まれて初めてだわ!


「ちが――――う!! 動物の! 犬! アニマル! セラピー!!!」

「せ、せら?」

「動物!! 四足歩行の! もふもふの!! 犬! なの!!」


 こうでこうで、こう!!

 全身でジェスチャーする私を見たお父様は、慌てて腕をこちらに伸ばして抱えあげてくれた。


「ネイアが四つん這いになる必要はないんだよ! だから犬ならこの子で」

「ちがうぅぅぅぅぅ!!」


 だめだ分かり合えない!

 今までの私とお父様、どこの言語で会話していたの!!


 絶望に陥りかけたけれど、ここで諦めるわけにはいかないとも強く思う。

 動物の犬は諦めよう。というかもうどうでもいい。だがこの少年の人権は諦めないぞ!


「お父様! この子は人間なの! だからこの子を私にくれるというのなら、弟にしたいわ!!」

「弟?」

「ええ!」


 あっ、なんだか話が噛み合いそう!


「そうよ! 私ずっと寂しかったの! お父様ずっとずうっっっとお忙しいし! でも犬より弟のほうがずっと素敵だわ! 手をつないで歩いたりご飯を食べさせっこしたり、大きくなったら一緒に学校へ行ったりもできるのよ!」


 私がひとつひとつアピールしていくうちに、お父様の瞳に納得するような趣が見えてきた。

 ……勝てるか!?


「ねえお父様、おねがいします! この子を私の弟にして!!」


 ここで自分からも走り寄って、お父様にしがみつく。てるてる少年がちょっと後ずさった。お姉ちゃん(予定)、しょんぼり。

 さてお父様の反応はいかに。あどけない娘の全力である。これで負けなければ父親じゃないですよお父様。


「……うーん……向こうは犬扱いでいいって言ってたんだけどなあ……大丈夫かなあ……」

「お父様お父様。お隣とうちの国は違うのです」


 あー分かった。

 断りきれなくて受け取ったこの奴隷少年、言われたとおりに扱わないと将来隣国から斡旋者を招待したりしたときにツッコミ入れられないかっていう心配もしてるのね?

 もしかしたら何も考えずにセールストークを鵜呑みにしてるかもしれないけど、仮にもお父様は外務副大臣。いや実際だ。そこまでアホじゃないって、娘は信じてる!


 困った顔になってるお父様へ、私はさらに追い打ちをかけた。


「じゃあ八割弟、二割犬で!!」

「そうしよう!!」


 勝訴!!


 大きくうなずくお父様の腕のなかでガッツポーズする私を見る従者一同と少年の視線は、名状しがたいものだった。解せぬ。

 周囲の評価はさておいて、うなずいてくれてよかった。

 この割合で納得してくれるなら、お父様にも思うところがやっぱりあったのでしょうね。


「二割はどういうふうにするつもりなんだい?」

「そうね、じゃあ……」


 問われた私は、お父様をうながして腕から下ろしてもらい、てるてる少年の前に立つ。

 後ずさりたいのにそうはできない葛藤で震える足に、大小の傷跡が散っている。目立つのは赤く擦れた足首の部分。

 ……足枷とか付けられてたんだろうな。ちゃんと軟膏とか塗ってあげるように言っておかないと。


 だけど、私が少年と向かい合った用事だけは先に済ませておきたい。


「ごめんなさいね、すぐ手当てさせるから。その前に名前を教えてくれる?」

「え……」

「ネイア、その子の名前はね」

「お父様。私、ちゃんと自己紹介しあいたいたいわ。――あ、そうね、じゃあ私からよね。ごめんなさい!」


 思いもよらないことを訊かれたと顔に書いてる少年が口ごもるのを見かねてか、お父様が教えてくれようとした。でも、断った。

 やっぱり最初が肝心だと思うのよ。今までさんざん父娘で怒鳴りあっといて、いや主に怒鳴ってたのは娘だけなんだけど、とかそんな醜態を見せといてほんといまさらなのは分かったうえでよ。

 とにかく、気を取り直した私は、つつっと少年から数歩下がった。

 カーテシーの動作はまだまだ全然おぼつかないけれど、なんとか形にはなりつつある。

 お父様や家の皆以外には初めて見せるものなのよ。とくとご覧あれ。言わないけど。


「初めまして。私はネイア・レグルストンと申します。あなたの名前を教えてくださいな」


 我流きらっきらの笑顔も添えてあげる。優しいお姉さんアピールだ。

 少なくとも少年がちゃんと私を見ていることは分かってるので、反応があるまでひたすら待つ。カーテシーのままだとしんどいから、名乗って速攻直立に戻った。

 顔は保ってますわよ。えへん。


「…………、」


 ぽそ、と、少年の口が動いた。

 こぼれたそれは呼気のようで――でもきっと、彼が初めてこの家の者に向けてくれた声だった。

 第一声をハズしたとすぐに悟った少年は、あわわ、とマントを握りしめる。


「大丈夫」


 拒否されたらそのときよと思いながら、私は少年の手に自分のそれを重ねた。

 ……手のひらから、少年のほうへ体温が持っていかれる。緊張で冷え切ってるんだと思う。それが分かるくらいには触れていられる時間があって――そうして、彼は私の手を振り払ったりはしなかった。

 手に手を重ねたそのままで、少年はもう一度口を開いた。


「ぼ、……わ、私は、クロード、です」

「クロードね。ちゃんと聞こえたわ」


 触れた手にちょっとだけちからをこめて、少年へうなずいてみせる。


「あ、そうだ。自分の家では無理して『私』なんて言わなくていいのよ。『僕』でも『俺』でも使いたいようにすればいいわ」


 お父様だって、お外では『私』を使うけど、気心知れたお友達やもちろんこの我が家では、たいてい『僕』って言ってるし。

 こくりとうなずく少年へ、私は改めて微笑みかけた。


「さて、これからあなたのことはクロって呼ぶわ。犬っぽいでしょ?」

「――――」

「…………、……はははは!」


 少年が瞠目した横で、お父様の笑い袋が躍動した。


「犬って、そこかあ。ネイアはすごいねえ」

「ありがとうお父様! ――ね、あなたはそれでいい?」

「はい」


 おや。

 少しは迷うかと思ったのに、クロード……クロは、私が尋ねてすぐにそれを受け入れた。うなずく頭の動きも勢いがあって、声も今まででいちばんちからがこもってる。

 そういう願望、あったのかな。犬っぽい扱いされたいとか?

 ゲーム中だとけっこう嫌そうな顔、してた気がするんだけど。もちろん悪役令嬢のほうは、背後の彼のそんな態度には気づいてなかった。あるいは黙殺していた。


 ……そう。そもそも、クロードって、そういう立場のキャラ……じゃないな、人、なのだ。

 なぜ今日このタイミングで、前世の記憶が私の中によみがえったのか。その理由がここにある。


 それは、少年が彼――クロードだったからだ。

 悪役令嬢の従僕、いや下僕として彼女に服従する日々を送り、命令どおりにヒロインを痛めつけるもいつしか彼女に絆されて最終的に悪役令嬢を裏切る『つばみち』の攻略対象。

 ただ、名前はちゃんとクロードって呼ばれてた。悪役令嬢による彼そのものの扱いのが飼い犬……いや、こう、力ずくで従える犬相手にするようなものだったのだ。

 ゲームではただクロードとして出てきてたけど、こちらでの今日からはたぶん苗字も増えてクロード・レグルストンになるのだと思う。

 まあ、私はこれからクロって呼ぶんだけどね!


 お父様が笑ってるうちに、私は改めて、クロを頭のてっぺんから足元まで眺めてみた。ゲームで描写されてた少年から青年にいたる年頃の面影は、今の子供の彼にもたしかにある。髪の色や目はそのままだから分かりやすい。夜に見るガーネットのような黒に近い赤い髪、今伏せがちの瞳は琥珀色。……まあ、なんかいろいろ汚れてるからはっきりそうとは言えないけど、洗えばきっとそんな感じのはず!

 顔立ちは――成長後に得る冷淡な感じは、今のところなさそうだ。むしろ気弱そうな様子で私とお父様を眺めているくらいで。

 ……ってそりゃそうよ。

 犬って言われて連れてこられた先で娘が奇行かました挙げ句扱いが弟になるとかこの短時間で運命激変にも程があるわ!


 笑いをおさめたお父様が体をかがめ、クロードと目線を合わせて言った。


「じゃあ、クロ。ひとまず体をきれいにして、服をととのえようか。誰か、子供の服はあったかな」

「孤児院にお届けするものの中にあると思います。探して参りますね」


 お父様が切り出したことで、ようやくその場の諸々が動き始めた。

 侍女の一人が応えて、数人を伴って下がっていく。残った中の数人が、こちらはクロのほうへ。


「……あ! お父様! 鎖!」

「おっと、いけない。すっかり忘れていたよ。すまなかったね」

「いえ……」


 すったもんだのせいで、クロはずっと手枷と鎖をつけたままだった。ここに来てから乱暴に扱ったりはしなかったけど、擦れたり重さで不自由を感じたりはあったと思う。

 いくら動揺してたからってそういうの見逃すのってどうかと思う。私に言ってるんだぞ、私。今後は心せよ。

 私がひっそり誓ううちに、お父様の手によってクロはようやく戒めから解放された。感覚をたしかめるように動かしてる彼の手首の細さや、やっぱりあった擦れ痕が痛々しい。

 手当てを頼んでおかないと。そう思った私は、侍女のひとりに声をかけた。


「ねえ、ミアーナ。怪我にお薬を塗ってあげてね」

「はい、お嬢様。お任せください」


 にこやかに任されてくれるミアーナ、さすがの頼もしさだ。

 お父様に隠れてやんちゃする私の擦り傷なんかの手当てで慣れてるから、腕前については心配ご無用なのである。


 執事長のクレマンがクロの部屋をととのえる準備を始めるように指示を出し始めた。個室も用意することになると思うけど、しばらくは客室のひとつを使うみたい。置きっぱなしになっていたお父様の他の荷物も、執事たちが片付けていく。お父様、まだ外套も脱いでいなかったのよね。

 帰ってくるなり見せてきたものが、どれだけ衝撃的で騒動の源になったのかという証明だと思う。

 おかげで娘の人生がとんでもないレベルで変わりそうなのよ、お父様。自分でも何をやらかすか分からないけれど、お覚悟くださいね。

 なんて心のなかで思いながらも、嵐は過ぎた実感がある。やっとふだんどおりのお父様のお帰りの光景が戻ってきたのだ。


「……あ!」


 安心したところで、気がついた。

 急いでお父様を見上げたら、優しい笑顔が待っている。


「お父様! おかえりなさいませ!」

「ははは、ありがとうネイア。――ただいま」


 かがんでくれたお父様に抱きついて、頬に軽くキスを贈る。お父様も同じようにしてくれる。

 これから、未来に備えて考えたり行動したりしなくちゃいけないけど――今は、ただ、幼いネイア・レグルストンとして私は数週間ぶりにお逢いしたお父様に甘えたのだった。


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