16
夜になった。
夕食のあとには、お父様へ今日の報告をすることになっている。同席を頼んだ……というか頼まなくても一緒に来るクロと、自分も聞きたいと挙手したナナを伴って、私はお父様の書斎へ向かった。
ここは寝室と続き部屋になっているから、就寝の前にちょっとした仕事を片付けたりもされている。無理はしないでほしいのだけど、外務省の仕事と各領のとりまとめもあるから仕事量自体が単純に多いのだ。
家令のクレマンたちも励んでくれているとはいえ、こう……跡継ぎ的に遠慮なくお父様とあれこれ出来る立場の人間がほしい、という感じだと思う。今の私になってから感じることだ。
たぶん、クロがもう少し成長したらそちらも任せるおつもりなのではないだろうか。教育内容にその手のものが混じってきたとも聞いてるし。
私も、そろそろ参加を願っても許されるだろうか。
……とりあえず、それはそれ。
今日のお話は、昼間の王子殿下とのお茶会のことだ。
ノックののち招き入れられた私たちは、簡易的に備えられたソファを勧められて腰掛けた。お父様はもちろん、机を挟んでご自分の椅子に座している。
城に到着してからの出来事をひととおり話し終えた私は、お父様をちょっとだけ睨んでいた。
話の途中、殿下から冷たい態度があったところでクロとナナが微妙に殺気だっていたが、ふたりを自由にさせておくと話が進まないので「おだまり」で黙らせた。以降、いままで命令を解除していない。
おかげでクロとナナは、むっすぅ、とした表情で口をつぐんだまま。
……犬と鳥なら、命令には従わないとね。
めったに使うこともないけれど、ふたりは今でもずっと私の犬と鳥だって言ってるのだ。そもそもの発端は私だとはいえ、嫌になったなら教えてくれれば解放してあげるのに。クロもナナも忠実が過ぎる。
ちなみにクロは「お手」にも対応可能だ。
閑話休題。
「……お父様。なぜ婚約者の件について黙っていらっしゃいましたの?」
「そうだねえ……どう転ぶにしても、先入観真っ白の状態で逢ってほしいと思ったから、かな」
「おかげで複雑なお話まで聞いてしまったのですよ」
「そのあたりは、私たちくらいの代では周知の事実だよ。気にしなくていい」
王子があんなに気にしている王族のお家事情も、お父様にとっては世間話程度の軽さのようだ。
まあ実際他人事ではある。
ただ、それが原因で今日のお茶会があんな展開になったのは事実だ。
話の流れで王子をむちゃくちゃ励ました挙げ句に婚約しましょうかーなんてこちらから持ちかけてしまったけれど、お父様的にはどうなのだろう。
そう思って改めて尋ねれば、いい笑顔が返ってきた。……意図が読めない。
「お父様は、王子が王となった際にも私が嫁いでいいとお考えなのですか?」
我が家の爵位や領地や部下や民たちはどうするのか。
問えば、いい笑顔が超いい笑顔になった。
「うちの一人娘を持っていくからには、生涯レグルストン家を忠実に取り仕切ってくれる有能な養子を探してくれる甲斐性くらい、王家の方々にはあると信じているからね」
「王子がこちらに婿入りしたら?」
「大歓迎だとも」
諸手を挙げる仕草をするお父様。
本心はともかく、今のところは話がどう転がってもお父様の構想内でおさまる見込みになっているようだった。
私がそう納得しかけたとき、ふと、お父様がつぶやいた。
「まあ――殿下たちの成長に伴って、なにかと張り詰めてきつつあったからねえ。リシスフィート殿下にはとくに思惑を絡める者が多い。気分転換させてあげてくれてありがとう、ネイア」
「…………、そういうことにしておきます」
どういたしまして、と笑う。
お父様も、微笑んだ。
きっとお父様は、第二王子が第一王子の立場でも同じはからいをしていただろう。
和み合う私たちの間に、すっ、とナナの手が伸ばされた。私の手のひらを持っていく。
指先でつらつらと記される文字曰く――
『おだまりもういいよね?』
……忘れてた。
「ふたりとも、もういいわよ」
「はーい!」
「……はい」
ごめんねと言えば、満面の笑顔の万歳と、ちょっと疲れた笑みが返ってきた。
お父様の部屋を辞して、三人並んで廊下を進む。
入浴までにはまだ余裕があるからと、クロとナナは今日の外出であまり動かせなかった体を少し動かしていくそうだ。私もそれを見学させてもらうことにした。
王城があまりにきらびやかすぎた影響が残っていて、このままだと夢で薔薇まみれの城を見ることになりそうな気がしたせいだ。
集中強化期間には見られなかった訓練風景も、今はこうしてお披露目してくれることが多い。一定距離を空けておくのが大原則。
お父様のところでけっこう口を動かしたこともあって、なんとなく沈黙のままに足を進めるうち――ふと、ナナが私へ目を向けた。
「ナナはさ、王子がネイアにヘンなこと言ったノ許してないよ?」
すっごくトゲトゲしていた。お芝居にしてもこわすぎ。アレは八つ当たりも混じってタ。
……とは、ナナの言い分である。
この子、薔薇園でのことをかくれんぼ状態で全部見てたのだ。
暇にあかせて城内見学もしてきたそうな。秘密の道も見つけたんだとか。
絶対に口外しないように、私にもクロにもお父様にもこちらが要請しないかぎりは話さないように、しつこく念押ししたのは帰り道でのことだった。
まあまあと何故かナナをなだめつつ、ちら、とクロを見る。
反対隣の我が犬も、当然のように渋い顔をしていた。
「……僕もです。いい印象は持てない」
曰く、猫っかぶりが透けて見えるらしい。クロもそういうところあるから、同族嫌悪も混じってるのではなかろうか。
「仕方ないわ。貴族も王族も、腹芸が標準装備なの」
「聖人も商人もだネ!」
見てきたようなことを言うナナ。
「努力します」
「かぶるほう? かぶられるほう?」
「……両方です」
冗談めかして言ったら、クロもようやく雰囲気ごとやわらいだ。
そうして翌日、ただいまの私は刺繍道具を手にしている。
時間は午前。ところはテラス。
武闘訓練用に解放された広場が見える場所にテーブルを用意して、眼下にうちの犬と鳥を見ながら、これから手仕事のお時間だ。
昨夜の短い時間では決着がつかなかったクロとナナが再戦してやりあう声や励む音は、距離もあって程よい感じに鼓膜を揺らす。
耳をかたむけながら手元の作業も進めていく。刺繍枠をセットするのは、ハンカチだ。もちろん新品。
普段遣い用のストックではなく、急遽贈り物や返礼が必要となったときに用意されている棚から取り出した上質の一枚。許可もちゃんととっている。
なぜハンカチかというと――昨日のアレである。王子のハンカチ案件。
お借りしたものは今日のうちに洗い上がる予定だ。返す際に心尽くしのひとつも添えたほうがよかろうと。手軽に花も考えはしたが、花言葉などからんでややこしくなるし、シンプルに同じもので謝意を伝えることにした。
テーブルに開いた図案帳からモチーフを選び、針を刺す。
クロとナナの賑やかしを右から左に受けながら、ちくちくと、ちくちくと。
大きなものではないから、昼食までには終わる予定だ。そのころには、クロとナナもお腹を空かせて上がってくるだろう。
ちくちく、ちくちく。
ちくちく、ちくちく。
――いつの間にか自分の作業に意識を全部傾けていて、外の気配に気づかなかった。
「何を縫ってるんですか?」
「わ……、あ、クロ」
声と一緒に頭上からさす影で、さすがに私も我に返った。ほとんど終わりかけている刺繍の手を止めて、影の主を見上げる。
充分に体を動かせたらしいクロは、汗を拭いながらテラスに来たらしい。主に顔や首周りにタオルを当てていて、髪も少し湿ってる。
……一度中に入って上がってきたわけじゃなさそうだ。
「クロはやーい」
「寝転んだりするからだ」
ぴょこ、とテラスの手すりをよじ登ってきたナナと同じルートを通ってきたと見た。軽口で返すクロが先に登ったのなら、勝敗はそういうことなのだと思う。
私は淑女なので、そのあたりについてはあえて問わない。
だって負けたら悔しいし?
それにこういうときは勝敗より、ふたりがスッキリしたのならそれでいいのだ。
危なげもなく外壁を伝って二階テラスへやってきたふたりは、控えていたミアーナに軽く挨拶をしたあとで再び私に向き直った。
王子に返礼としてハンカチを贈ることは話してある。
だから説明は、刺繍のモチーフについて。
「王族の紋章は承諾もなく使えないし、国旗もちょっと大仰なのよね。――汎用性を考えて、聖獣の図案を使ってみたの。どうかしら」
枠をはめたままのハンカチを、クロとナナからも見えるように持ち上げる。
白い布に白糸が主体の刺繍だから陽光の加減では見えづらいが、見下ろすふたりの影があるから問題はないはず。
しげしげとハンカチを眺めたふたりは、なるほど、と分かるような分からないような顔でうなずいた。
ナナが首をひねりながら刺繍を指す。
「これで仕上げ?」
「もう少しね。周りに少し縫い込んで、それからこの――聖獣の瞳を入れたらそれで完成」
「ナナもやりたい!」
「汗を拭いて手を洗ってらっしゃい。待ってるから。……クロもひと針くらい入れてみる?」
「……王子のですよね?」
「王子のよ」
「…………」
わーい、と駆けてくナナの声の余韻が消えるまで沈黙したクロは、「そうですね」とうなずいた。
「丹精込めて針を入れます」
「……込めすぎないようにね」
謝意どころか変なものまで混じりそうだけど、まあいいか。
ナナを追うクロの背中を見送った私は、待ちの間に一息入れることにした。ミアーナの紅茶を味わったのち刺繍を眺め、他に手を入れる部分がないかを確認する。
しばらくして戻ってきたふたりによって、王子への贈り物は三人による合作となった。
クロが聖獣まわりの簡単な紋様を縫い込み、ナナが瞳を縫い入れたがったので任せてあげての仕上がりだ。
腕の違いを見破れるか、あとは気に入ってもらえるか。
そんなことを話しながら仕上げたハンカチはお借りした一枚と一緒にそれぞれ包まれて、先日のお招きへのお礼も兼ねた簡単な手紙とともに王城へ旅立っていった。