12
「――っていうかわいい時期もあったわね……」
「ナナ、もうかわいくない?」
「……かわいいわよ」
かわいさの種類が変わっただけで。
ねえ、と、いつもの位置にいるクロに振る。
はい、と、いつものようにクロが笑う。
あは、と、いつものようにナナも笑った。
そして、
「……はあああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ」
今日予定のメインイベントによる早期二次被害こと私の巨大なため息が、のんびりとした空気をぶち壊した。
苦笑いするクロ、きょとんとするナナの視線を浴びながら、肩も頭もがくりと落とす。
せっかくのお召し物が乱れますよ、と控えていたミアーナが出てきて直してくれた。
私が今着ているのは普段のワンピースものではなく、シンプルなシルエットながらフリルやレースの細かい装飾が施されたいわばお呼ばれ用のドレスだ。着脱にも彼女たちの手を借りなければいけない代物なのである。
「お嬢様、ご機嫌を直されませんと。現場で笑顔がつくれなくなりますよ」
「ネイア、ネイアー。いつまでもいじけてたら、かわいいの台無しだよ?」
「そうですよ。僕らもついていますから、堂々とお逢いになればいいのです」
現在自分の贔屓ランキング一位二位で殿堂入りするクロとナナから称賛されるのは先述した少女向けドレスをまとい、髪もかわいらしく結い上げた私ことネイア・レグルストンだが、あいにくそれでも復活が見込めないくらいに憂鬱極まっているのである。
「王子と一対一のお茶会なんて、やだわ。行きたくなーい……」
「口調、口調」
こらこらといなすクロは、こうしてたまに兄っぽくなる。
かと思えば、すぐさま執事モードに戻っていった。
「お気持ちは分かりますが、もう他のご令嬢がたは全員済まされたのですから」
「ネイアが嫌がるから、旦那サマ、順番最後にしてもらったんでショ?」
なら覚悟決めなきゃー、とナナが笑う。
この子が来てから早三ヶ月。暗部特訓と我が家もとい……なんというか浮世離れしたナナの性分をこちらに馴染ませる教育は、順調に進んでいた。嫌がるかなと思ったけれど、なかなかどうして楽しそう。細かった体躯も肉がついてきて、背の高さも一等賞。クロもがんばってるようだけれど、年齢差があるからね。
そう。
実は、ナナ、三人の中で一番歳上だった。十一歳である。私が八歳、クロが十歳、そのさらにひとつうえ。
ただし、あくまでも推測だ。孤児(仮)あるある。
けれどナナのいちばん古い記憶に夜空があって、聖獣の御印とも月の導き手とも言われる白銀の最輝星が七連環座ぽいのと水晶蝶座ぽいのの真ん中あたりに光っていたそう。なお星座の形状はナナのあやふやな表現からクロが導き出した。博識がすぎる。
その配置になったのは直近で十年前、4の月12日から5の月1日までだとの見立てで、ナナの生まれ年と誕生日を大雑把にしぼりこむことは出来た。新生児に自我があるとは思いにくいから、一年加算して。
国民登録に必要となる具体的な日付は、時期の真ん中として設定した。4の月22日。
今は9月。半年ほどもしたらクロとナナが連続して誕生日を迎えることになる。日が近いし、合同になるかもしれない。なんにせよ、楽しみ。贈り物も考えておかないと。
ちなみに――ナナも私の弟分扱いになっている。
クロが弟分になって楽しそうにしてると聞いて、自分も弟になるものだとばかり思っていたそうだ。はいはい。
あっさり許可出しましたら、自分のときはがんばってごねてたクロが、ちょっとむくれていた。撫でておいた。ナナからもねだられた。以下略。
そんなナナの服装は、私と正反対に気軽なものだ。
将来の職業柄あまり顔出ししないからか、いつもかっちり、今日もかっちりととのえているクロとは違ってラフな姿でいることが多い。ふだんから我が家の人間以外と顔を合わせることがないせいもある。
預かり子が増えたことを知っている外部の方はいらっしゃるけれど、人見知りだからと今のところはごまかしている。クロなんか、来た当初におばさまたちからかわいがられすぎてちょっとトラウマになってるものね。やめておけ、と、真顔でナナに忠告していた。
案外ナナならあっさり通過できそうだと思うけど、クロがそう言うのなら、男の子同士で通じるものもあるのだろう。
はしゃぎすぎるとやっかいって言われるものになるからネ、と本人なりに真剣な様子で応じていた。
……話を戻そう。
今日、私がこうやっておめかしをしているのは、いずれ来る因縁の男と逢うためだ。
ハルツハイム国第一王子、リシスフィート・レイ・ハルツハイム。
ここしばらく、彼は立て続けに年齢がそぐう高位貴族のご令嬢と、一対一での(保護者とお目付け役付き)茶会を開いている。
あまりおおっぴらにはしていないようで、お父様もそれ以上の事実は掴んでいないとのこと。向こうの思惑について推測は立てているようだけど、それは教えてもらえなかった。ただ、第一王子とのお茶会があるからいってらっしゃい、と。一対一だから気負わなくていいよ、と。ふたりきりとか逆に気負うのでは?
私としては、婚約者候補の目星を付けるのが目的だと思う。
ゲームのほうではネイアが第一王子と婚約を結んだのは十二歳だったというから、まだ何年も先だ。なら、これ以外の理由はない。と思う。
……つまり今回不興を買えば婚約者にならずに済む!? と――思ってすぐに打ち消した。
ネイアが婚約者でいないと起きない流れがある。その先にしか発生しない因縁もある。そして、ひとつの結末さえも。
それを考えると、先手を打ってどうのこうのとか、やりづらい。
というわけで、私はまだ外へは連れてけないナナを留守番に、お付きのクロとお迎えに来てくださった今回の保護者である叔母様ことケーク伯爵夫人に連れられて一路、王城へ向かったのだった。
屋敷を出てしばらくもすれば、王城が見えてくる。
なかなか訪れることのない城が、どんどん視界に迫ってくる光景は圧巻だ。
仕立てのよさもあって、移動中に馬車の揺れはそう感じない。ときおり、天井がかわいらしく鳴る程度。
御者が門番に用向きを告げ、馬車ごと敷地に乗り入れる。――といっても、王城はいくつかの層に別れていて、最初に入るのは外層だ。門番の詰め所があったり、下働きの者たちの姿も多い。
そこを越えれば中層。騎士団が主に見られる。馬もいるし訓練場もあるし、彼らの生活基盤はほぼここだけでととのうと言っていい。団長クラスになると、もうひとつ内側に執務用の部屋を持っている。
その内側――内層が、今日の私たちの目的地でもあった。
さらに向こうには本命の王城があるが、公でない来客などは内層にある応接室や庭園でもてなすことになっている。とはいえ、その規模も装飾もそこらの貴族では太刀打ちできない代物――らしい。
一ヶ月前に打診が来て、お父様が時間を稼いでくださっているうちに、聞きかじりを改めて復習しておいたのだ。もっと幼いころには幼児だからと連れてこられたこともあったそうだけど、さすがに記憶にない。
馬車を降り、叔母様の先導でクロとともに歩いた先で知識にしかなかった代物を目の当たりにした私は、ほう、と息をついた。
形よく整えられた植え込みや季節の花々に囲まれて、小さな四阿が存在していた。雅やかな装飾のひとつひとつに、王族への讃歌や神への祈り、平和の希求といった意味が刻まれているはず。
非公式に用いる程度の場でこのうつくしさ、王城内部や謁見の間がどれほどのものか、予想もできようというものだ。
「緊張ですか?」
「いいえ。うつくしいな、と思って」
ちょっと手に力を入れて、励ましてくれるクロへ笑いかけた。
ふと目についた柱の一本を指差してみせる。
「ほら、クロ。あれ――星の意匠よ」
「ああ……そうですね。最輝星と……囲むのは四連鏃座……それと雪熊座。二十三年前の作のようですよ」
「よく勉強しているのねえ」
叔母様は、にこにこと子供たちを見つめている。
クロが来て以来、テラスで星を眺めることが増えたから、その影響だ。ただ見ているだけじゃ物足りなくなって、星座観察まで始めてしまったから。
子供なので夜ふかしご法度の短時間だけど、最近はナナも増えてますます楽しいひとときになっている。
客人だけが佇む四阿で、そんなふうに私たちがやりとりをしているうち、本日の主役がやってきた。
まずクロが気づいて、彼の視線を私が追う。最後におばさまも。
それから、三人でほぼ同時にその場で膝をついた。
主役を先導してきた執事らしき壮年の男性が足を止め、体の向きを変えて腰を曲げた。
「リシスフィート・レイ・ハルツハイム第一王子殿下、お成りでございます」
「待たせてすまない。おもてを上げてくれ」
……おお。
ちょっと感動してしまった。
私に向けられる声に険がない。棘がない。塩もない。砂糖もない。無味無臭だ。
ゲームのあれしか知らないから、すごく新鮮に感じてしまった。
しかも事前調査では、それこそゲームでネイアに対するような冷たい人当たりの方だという声が多かっただけに、なおさら。早産故に赤子のころはしょっちゅう命が危うくなって、甘やかされがちに育ったとか。その結果わがままになったとか。騒いだり喚いたりはしないタイプらしいが、我の通し方が凄まじいとか。めったに笑わないとか蔑みの視線もっとくださいとか。一部ノイズ入でお送りしました。
もしやあっちが素なのかとさえ、思っていたほどなのだ。
それがふつうに王子様してらっしゃるという、この驚き。猫か? 猫なのか?
一人勝手に心のなかで感極まりながら、顔をあげる。私のタイミングを待っていたクロとおばさまも、それにつづいた。
……おお。
またしても感動する私。
十年先の未来を面影と言っていいのかはともかく、眼前の高貴なる少年はたしかにあのリシスフィート第一王子だった。あと、睨んでない。微笑んでいる。なおこちらも無味無臭。うん、猫だこれ。
王子と執事のもう少し向こうには、護衛騎士らしき姿もあった。さすが万全。
そこまでを見て取ったあと、私はお招きいただいたお礼を述べる。
「――このたびは拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。第一王子殿下。レグルストン侯爵家長女、ネイアと申します。こちらは叔母のシフォン・ケーク伯爵夫人。こちらはク……ロード。私の護衛として普段より同行させております」
はい、クロって言いかけましたー! ごめんなさーい!
王子が、わずかに目を瞠ってクロを見た。
「護衛……? 同じくらいの年頃のようだが……?」
私はすぐには答えず、ちらりと王子の傍に佇む執事へ視線を送った。小さくうなずかれたので、「おそれながら」と笑みをつくって口を開く。
「素養がありましたようで、ぐんぐんと伸びてくれたのです。当家で敵う者はもういないとすら、わたくしは思っております」
「……ネイア様」
位置的に少し後ろのクロの表情が見えないけど、この声はきっと照れてるやつ。
まあ、敵う者といえば彼が師と仰ぐ我が家の私設騎士隊とかナナとかいるけど、これくらいは盛ったって罰は当たらないでしょう。
「そうか。頼もしいことだね」
表面上はにこやかな王子の言葉を賜ったあとで、私たちは四阿へ移動した。
近くまで寄れば、さっき会話にのぼった星の装飾がよく見える。じっくり眺めていきたいところだけど、王子のお相手が優先だ。
四阿にしつらえられたテーブルには、挨拶していた間に茶会の準備がととのっている。王子と私がまず腰掛けて、おばさまが私の隣。あちらとこちらの執事たちは、それぞれの主から少し距離を空けて佇んだ。
王族と貴族のお茶会なので、始まって早々会話が目的に触れることはない。
お茶を楽しみ、銘柄を語り、お菓子を味わい、感想を言い合い、天気がよくてよかったなどと世間話も盛り込み、王子からお父様のお勤めについてお褒めの言葉をいただいたり――
わりと和やかな様子見の時間が過ぎ、お茶をそれぞれお代わりしてお菓子が半分ほど減ったころ。
レグルストン嬢、と、王子が私に呼びかけた。
「花に興味はある? 少し歩いた先に薔薇園があるんだ」
「まあ、ありがとう存じます。わたくしの執事も連れることをお許しいただけますか? 庭師とも仲良しですの。お土産話を持たせてあげたいのですけれど」
「もちろん。何かの参考になるなら私もうれしいよ」
快諾をいただき叔母様を見れば、いってらっしゃい、と微笑まれた。
若い二人でというやつですね。一人多いけど。
四阿をあとにし、王子の先導で庭を歩く。
途中にもさまざまな植物や庭を彩る小物が私たちの目を楽しませた。というか楽しみすぎてあっちもこっちもときょろきょろしてしまい、クロに小さく「ネイア様」と言われて顔の向きをそっと戻されてしまったほどである。
距離を空けてついてきていた騎士とあちらの執事が、そっと笑っていた。――と、あとで教えられた。
好奇心だもの、大目に見て欲しい。




