5.波乱の冒険者登録
王都よりはるか東に位置するハロルド伯爵領リムゼイは、東の隣国フランドルにほど近い豊かな自然に囲まれた領地である。
領主である伯爵が王宮で魔術師として勤め家族とともに王都にいる為、現在は領主代行の代官が領地を納めている。
特産は豊富な薬草、魔石、農業。
生い茂る森林、緑広がる山山、肥沃な土地に恵まれ、長閑な田舎風景が広がる。
反面、薬草や魔石に恵まれた土地というのは魔力が強い土地柄を意味する。
つまり、魔獣や魔人も多いということになるのだ。
その為、リムゼイ領にある領都ランテルには冒険者組合があり、薬草や魔石、魔獣・魔人退治のクエストを求めて多くの冒険者や資源を売買する商人が集まってくる。
ランテルは長閑な領地の中でも珍しい要塞然とした雰囲気も併せ持つ、リムゼイ随一の活気あふれる大きな街だった。
ハロルド伯爵邸を出たキサギ達は、賑わうランテルの街の中を冒険者組合に向かって歩いていた。
歩くリズムに合わせて、彼女のポニーテールに纏められた宵闇色の長い髪はゆらゆらと揺れている。
身につける装いは、異空間収納ボックスに保管してあった意匠の凝った黒のフード付きジャケットコートとショートパンツで、魔法機能満載の特殊な生地で作られており、防水防汚を始めとしたあらゆる機能性に富んだチャンキーヒールのロングブーツと合わせれば、前世での魔法剣士スタイルの出来上がりだ。
晴れた空からさす午後の温かい光と空気、立ち並ぶ沢山の露天や商店、そして笑顔で行き交う人々に、キサギは自然と顔が綻ぶ。
「活気があって良い街ですね」
キサギの後ろから先程屋敷で別れた筈のソウエイの声がした。
「おかえり。お疲れ様」
キサギは目線だけ後ろに向けて労いの言葉をかける。
一見なんという事のない一言であっても、主からの言葉にいつもは冷め気味の表情がデフォルトのソウエイの目元が僅かに綻ぶ。
「お疲れ様って、ものの数十分じゃねーか。疲れるはずもねぇだろうがよ」
キサギの左横を歩くシュリからそんな無粋な言葉を投げつけられたソウエイは、一瞬でまた元のデフォルト顔に戻し、射殺すような視線を彼に向ける。
「ソウエイに渡したメモには、大まかな状況説明と簡単な指示しか書いてないのよ」
おもむろにそう告げるキサギの言葉の意味がわからず、シュリは首を傾げる。
「ソウエイはあれからこの短時間で細かい策を練り上げ、全てを実行し終えて戻ってきたということよ。相変わらず見事な仕事ぶりね。……さて、シュリにそんな細かい芸当が出来るのかしら?」
「ぐぬっ」
キサギに代わって輝く笑顔で容赦ない一撃を喰らわすビャクランに、ぐうの音も出ないシュリが言葉にならない声を漏らす。
「シュリに任せちゃったら何年かかるかしらねー。策が浮かばなくて頭から煙出して、疲れただの面倒くせぇだのぶつくさ文句垂れるだけ垂れて…」
「うげっ」
「俺に任せんじゃねぇとか俺には向いてねぇとかグダグダ文句垂れるだけ垂れて、結局なーーーんにも事が運ばない情景しか浮かばないんだけどぉー」
「ぐはぁっ」
かぶせてキサギが更なる追い討ちをかけると、シュリは呻きながら頭を抱えて天を仰いだ。
そんな姿にソウエイはざまぁみろと言わんばかりの嘲りの笑みをシュリに向けて浮かべる。
そして歩くことしばらく。
街の中心にある冒険者組合に到着した。
荘厳な雰囲気を醸し出す建物の前には、顔に傷を携え重鎧に身を包むの戦士、ローブに身を包み意匠の施されたロッドを持つ魔術師、種族でいえば耳や尻尾の生えた獣人、耳の長い美しい容貌の亜人など、様々な様相の人々が集まっている。
広い入り口は重厚感のある扉が開け放たれ、上にはランテル冒険者組合と書かれた大きな木製の看板が掛かっていた。
キサギ達はその中へ歩を進めた。
中は広く、更にそこここに人が溢れている。
広い受付カウンターでは、組合制服を身に纏った数人のスタッフが忙しなく冒険者達にクエストの受領説明や完了処理と報酬の受け渡しなどを行なっているようだ。
入り口そばの壁面にはクエストの用紙が乱雑に所狭しと張り出され、ソロやパーティーを組んだ冒険者達があれこれ話しながらクエストを選んでいる。
中央から端までの広いスペースには長椅子やテーブル席が多数あり、簡単な飲食も出来るようで、皆何か飲み食いしながらクエストの準備だったり、終わったクエストの打ち上げをしているようだ。
そちら側はなかなか騒がしい。
2階は職員が依頼人からのクエスト受付や採集品の分別など、各々部門別に分かれた部屋で作業しており、加えてギルド長の執務室や会議室がある。
更に地下には闘技場もあると、室内の案内板に書かれていた。
キサギは館内をグルリと見回した後、受付カウンターの端にある登録カウンターと書かれた小さな看板のある場所へと向かった。
「こんにちは!新規冒険者登録ご希望ですか?ギルドタグの再発行をご希望ですか?」
カウンター内で作業していた若い男性スタッフが人の気配を感じ、手を止めて手元の書類から顔をあげ、目の前に現れた人物に定型の挨拶をする。
「新規の登録をお願いします」
にこやかに鈴を転がすような綺麗な声でそう返答する人物の顔を見るや、彼は目の前のその人の容貌と声に上気し、一瞬体が固まってしまった。
(うっわぁ……すっごい美人……声、超可愛いー……)
思わず頬を赤く染め、しばらくその美貌に見惚れてしまう。
だがそれに気づいたソウエイからの何とも言えない殺気を含んだ冷たい視線と、シュリから向けられる笑みを浮かべながらも押し潰されそうな威圧感に、男性スタッフは否応なく夢想から現実に戻され、慌てて椅子に掛けるよう促した。
キサギ達は静かに席につき、あちこちから向けられる好奇な視線を無視してスタッフの説明に耳を傾ける。
「っえぇっと!それではシステムの簡単な説明をしますので、こちらの用紙をご覧になりながらお聞き下さい」
スタッフから何やら詳細の書かれた一枚の用紙を各々受け取ると、ざっと目を通す。
彼はキサギ達が読み始める様子を見届けると説明を始めた。
「まず、ここは世界各地に点在する冒険者組合の1つランテル冒険者組合です。イギリー国内にある5ヶ所の冒険者組合のうちの一つになり、国内でも最も古い歴史を持つギルドです。冒険者には下はE級から上はS級までの階級があり……」
ーE級は緑、D級は青、C級は赤、B級は白、A級は金、S級は黒の、それぞれ色のついた魔宝石と呼ばれる加工された魔石が埋め込まれたタグが渡される。
このタグは名前と魔力を最初に登録し、身につける事で持ち主の魔力に反応し力を持つ。
クエストの受領の瞬間から自動でデータ登録が始まり、完了まで全てを記録してくれる。
そして、冒険者組合との連絡の送受信も出来る通信機能まで付いているという優れものだ。
ソロでクエストを行うもよし、パーティーを組んでクエストを行うもよし。
ただしパーティー登録は必ず別途行わなければならない。
新規登録者は必ずE級からのスタートとなり、3つのクエストを完了すれば昇級選定を受ける資格を得ることが出来る。
選定方法は、ギルド側から指定のクエスト1件を完了させる事と、2つ上のランクの冒険者との模擬戦。
2~3人の試験官が判定し、合否が決まる。
冒険者の中には過去、一気に飛び級した冒険者もいたとか。
基本的にそれぞれの階級毎に、入り口近くのクエストボードにクエストが張り出され、希望するクエストが見つかれば受付まで用紙を持って行き受領処理を行う。
登録した冒険者組合に限らず、各地の冒険者組合で依頼を受ける事が出来る為、自分に合ったクエストを探せる。
クエストの完了は全て冒険者タグの魔石に自動記録される為、受付に戻りタグを提出し完了が確認されれば、報酬を受け取り終了となる。
ちなみにA級、S級はほとんどが指名依頼となる。
勿論ボードからクエストを受ける事は可能だが、上位階級になると難易度が高いだけではなく依頼相手が国や上位貴族や上位商人が多くを占めるため、多忙で受けている暇はないそうだ。
階級が上がってくれば指名依頼が増え、随時受付から伝えられる。
「……以上が大まかな流れとなります。例外としてスタンピードが発生した場合は国との連携となる為、ランク関係なく別途組合で詳細発表となりますので、よろしくお願いします。…これまでの説明の中でご質問はありますか?」
「タグをなくしてしまったら大変ね。その時はどうしたらいいですか?」
「組合の登録カウンターにお越しいただけたら再発行しますよ。新しい石に、こちらで管理しているデータを移しお渡しします。ただし、再発行料が別途かかりますのでご注意下さい。紛失したタグの魔宝石は、持ち主から離れ魔力を受け取れなくなった時点で効力は失われ、悪用出来ない様にロックがかかる仕様になってます。1ヶ月も経てば崩れてしまうんでご心配なく」
「そう、なら良かった。説明ありがとうございました」
終始にこやかな問答を終え、男性スタッフは内心安堵する。
なにせ色んな人種の冒険者達がいる為、一部の常識のない荒くれ者や、やたら自信過剰な無理難題を押し付けてくる輩の対応も多いのだ。
彼は一通りの説明を終えると、タグの発行準備のため離席していった。
貰った紙をカウンターに置いて、キサギは軽く息を吐く。
「タグを貰ったらボードを見に行きましょ。薬草採集とか、のんびりしたのがあればいいなぁ」
隣に座るシュリにそう声をかけるキサギは、既に新しい環境に好奇心がいっぱいで、早くボードでクエストを探したり、ギルドの内部を探検したくてうずうずしている。
「拠点も決めようぜ。それに腹減ったからなんか食いてぇ」
カウンターに片肘をつき手に顎を乗せだらけた姿勢をとるシュリは、もう既に飽きている様子だ。
しばらくして、スタッフが緑の魔石のついたE級冒険者のタグを持って戻って来た。
「お待たせしました。ではお一人ずつ名前と魔力登録を行いますね。では貴女から……掌にタグを置いて名前を仰って頂き、石に魔力を流して下さい」
スタッフにそう言われ、トップバッターのキサギは小さく「はい」と答えると、カウンターに右手を開いて置き、タグを載せる
「キサギ」
そう自分の名前を呟き、魔石に魔力をほんの少し流した瞬間。
ーパリィィンッ!
突然、甲高く弾ける音が辺りにこだました。
石が粉々に砕け散ったのだ。
騒雑としていた周辺が、一瞬何が起こったかわからずシンと静かになる。
勿論、キサギも固まっている。
「「…………え?」」
顔を引き攣らせながら男性スタッフとキサギは同時に声をあげた。
シュリとビャクランは顔を背けて肩を震わせ、ソウエイはいつものデフォルト顔で何事も無かったかの様に静かに佇んでいる。
(なに?!なんでよ!!)
頬を引き攣らせながらも平静を装うキサギは、内心慌てふためく。
流した魔力はかなり、かーなり抑えたはずだ。
なのに石は粉々に弾け飛んでしまった。
「え……っと……脆い石が混ざってたんですかね?おかしいな……。いやっ!失礼しました!こちらのタグでもう一度お願い出来ますか?」
スタッフは困惑しながら新しいタグを取り出し、気を取り直してもう一度キサギの掌に載せる。
「……はい。……えっと、キサギ」
再度自分の名前を声に出し、先程よりも更に魔力を絞って流してみる。
………のだが。
ーパリィィン!
無常にもまた石が砕け散ってしまう。
(……あちゃー)
キサギはスンッと遠い目になった。
シュリとビャクランは先程よりもわかりやすく肩を震わせ笑いを頑張って堪え、ソウエイは若干の呆れを含ませ小さく溜息をつく。
周りに居る冒険者達は、魔宝石が砕け散る光景など初めて見る珍事件に目を丸くしたり、なんだなんだと騒ぎ出し始める。
頬を引き攣らせながら苦笑いを浮かべるキサギは、思わず右掌を見つめて固まる。
男性スタッフは続けざまに起きた現象に理解が出来ず、ただ呆然とするだけだった。
おかしな空気になったその時、男性スタッフの後ろから、1人の長身大柄な壮年男性が現れ声を掛けてきた。
「すまないが君達。ちょっとこちらに来て貰えるかな?」
深い藍色の縦詰スーツを身に纏い、短髪のシルバーグレーの髪を後ろに撫で固め、怜悧な目元ながらも整った風貌の男性は、キサギ達にそう声をかけると彼女らを2階の奥の部屋へと促した。