幕間.とある令嬢の幕引き
コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「お嬢様、失礼します。お体を拭きましょうね」
ゆっくりと中を伺いながら扉を開けて、侍女2人が入って来た。
レイスリーネは痩せた体を、クッションを敷き詰めたベッドボードに背を預けたまま、無表情に窓の外を眺めている。
侍女達は1ヶ月前に昏睡から目覚めたそんな自家の令嬢の姿に心を痛めつつ、いつものように甲斐甲斐しく世話を始めた。
「全く、旦那様も奥様も酷いと思わない?」
1人の侍女がレイスリーネの体を拭きながら同僚に愚痴を零し始めた。
「アン。お嬢様の前よ。口を慎みなさい」
少し冷たい表情の侍女が、アンと呼ばれる侍女を咎めた。
見覚えがあるその顔は、キサギが目覚めて最初に見たメイリィという名前の侍女で、寝衣を替える準備をしている。
「お目覚めになられてから1ヶ月経つけど、この状態がずっと続いてるのよ?聞いててもわからないだろうし、話す事も出来ないわよ」
「…アン!」
「だってメイリィもそう思わない?旦那様も奥様も、お嬢様に会ったのは王都のお屋敷で目覚めたあの日だけ。あれからすぐお嬢様を領地に引っ込ませて、自分達は王都に戻ったっきりよ?全くご自分の娘なのにどういうつもりなんだか」
アンはプリプリと憤慨しながらも、手つきは優しくレイスリーネの体を拭いていく。
「…全くアンは…。でも私は王家の方が酷いと思うわ。あれからお嬢様に何のお見舞いもないなんて…あんまりだわ」
メイリィは苦い顔をしながら脱がされた寝衣を手際良く片付けていく。
アンは体を拭く手を止め、自分達以外に誰もいない事を確認してから、メイリィに向けて小さな声で話し始めた。
「その事なんだけどね、王都のお屋敷に勤めてるいとこに聞いたんだけど…伯爵家に王家から多額の報奨金が払われたんですって。やっぱりお嬢様の婚約、白紙になったって!」
「なんですって?!それ本当?!」
アンの爆弾発言にメイリィが目をむいて叫び、思わず両手で口を抑えた。
「間違いないわよ。第3王子の婚約者選定が始まったって、手紙に書いてたもの。旦那様は今回の王子を救った功績として、魔力研究所の所長補佐に抜擢ですって。しかも留学中だったグリード様をこちらの魔法学園に特別待遇で編入させて、婚約者様も魔法師団の第1師団長様の御息女に変わったって」
「え?確か資産家の子爵家の令嬢と婚約されてたわよね?しかも第1師団長様って、侯爵家じゃない!それって乗り換えって事?!」
「まぁ王家とか上位貴族の方々の思惑なんでしょうから、伯爵家としては断る余地もないし、こんな美味しい話断る理由もないわよねぇ」
メイリィの驚きに、アンが苦笑いしながら首を横に振った。
(ハロルド家は王家との縁を無くした代わりに、王子を救った褒美として出世を用意された。そうなるとお嬢様は……)
2人の侍女は思わず手を止め、物言わず窓の外を眺めたままの令嬢に憐憫の目を向けた。
「それでね、お嬢様、辺境領にある療養所に入るのですって」
アンのその言葉に、メイリィが息を呑んだ。
「療養所?確かなの?」
メイリィは驚きつつもやっぱりか、という思いでアンにそう返した。
「王妃様がご提案されたんですって。旦那様も奥様もすぐ手配して、3日後に療養所からお迎えが来るらしいわよ」
アンは淡々とそう語り、拭き終えたレイスリーネの体に新しい寝衣を着せていく。
「王妃様にとっては第3王子の新しい婚約者選定の為には、お嬢様の存在が近くにあることが何かと気になってしまうのでしょうね…旦那様や奥様にとっても、王家に嫌な顔はされたく無いでしょうし…」
侍女2人は、滑らかな黄金色の髪に虚ろながらも輝くエメラルドの瞳の美しい少女に心を痛める。
あの痛ましい事故がなければ、それはそれは美しい王子妃になっていた事だろうに…と。
王子を身を呈して守ったにも関わらず、療養という名の追い払われるようなこの仕打ち。
だが、ベッドボードにもたれる痩せた少女は、自分達の下世話な話に何の反応も示さず、ただただまるでお人形のように静かに窓の外を眺めるだけだった。
まさか、ソレがレイスリーネを模した形代で、当の本人は別の人格と融合して、しかも短期間で既に冒険者として確固たる地位を築き、ここにはもういない事を侍女2人は知る由もなく。
侍女2人はレイスリーネの身支度を終え、軽くため息をついて部屋を後にした。
3日後、ハロルド伯爵邸に療養所からの迎えの馬車が到着した。
青髪の御者の男性、白髪の看護師の女性、赤髪の介助師の男性の3人は、伯爵邸へと入っていった。
介助師がハロルド伯爵家の長女レイスリーネを大事そうに抱え馬車に乗せ、看護師と共に乗り込み、伯爵家執事長と侍女長に挨拶を済ませると、伯爵領を後にした。
こうして、第3王子を崩落から救った勇気ある1人の令嬢は、ひっそりと表舞台から去っていった。