42.竜の乙女
青ざめた案内役のキリエが足早に去った後、開かれた扉の前で苦笑いするリカルドを視界に捉えたマティアスが我に返り、姿勢良く早足に歩み寄った。
「殿下直々の御来訪、感謝致します」
先程までの焦りは何処へやら、いつものピシリとした佇まいでリカルドを迎える。
対してシュリに羽交い締めされたままのキサギは、憤怒の表情を崩さず奥歯をギリギリと噛み鳴らす。
どう考えても歓迎されている様子のない室内の雰囲気に、リカルドは肩をすくめた。
「俺が来て良かったような雰囲気ではないな、これは。彼女の声が1階まで響き渡って、恐れを為した冒険者達がそそくさと出て行っていたぞ。フロアはまさに閑古鳥が鳴いていたな」
「……大変失礼致しました……どうぞ、あちらへお掛け下さい」
キサギの対面にあるシングルソファーへ案内されると、リカルドは長い足の歩を進めゆったりと腰を下ろす。
副官のバリーは憤怒のキサギを視界に入れないように、明後日の方向を向いたまま気不味そうにリカルドの背後についた。
「思う所はあるだろうが、君も席に着いてくれないか?誤解を解いておきたいのもそうだが、本命は旅団へ依頼したい事がある」
苦笑いの表情を改め、リカルドが王族らしいいつもの鋭利な目元に戻すと、シュリに羽交い締めされているキサギへと真剣な面持ちで向き直る。
リカルドのその雰囲気に、キサギはさすがに撒き散らしていた魔力を一旦抑え、憤怒の表情を消し眉を顰めるくらいにまで戻した。
「……シュリ、降ろして」
一つ溜息を吐いて静かにシュリへと声を掛けると、彼が「へいへい」と苦笑いしながらゆっくりとキサギを床へと降ろす。
パンパンと音を立てながら両手で服の皺を伸ばし身嗜みを整え、リカルドへと向き直ると不機嫌な面持ちで口を開く。
「……その依頼、受けるかどうかわかりませんよ」
口を尖らせながらまるで子供が駄々を捏ねるかのように話す彼女の姿に、先程まで真面目な顔をしていたリカルドが思わず彼女の歳相応の可愛らしさに面食らい、困ったような笑みをこぼす。
「受けて貰えると助かるんだがな。とりあえずは話を聞いて欲しい」
「……聞くだけですからね」
口を尖らせたままプイッとリカルドから顔を背けてドカリと3人掛けソファーに座る。
それを合図に、微笑みを浮かべて見守っていたビャクランが彼女の隣へと腰掛け、やれやれといった表情のシュリがキサギ側のアームレストへと腰を下ろしながらキサギの頭を優しくポンポンと撫で、彼女の背後に移動した無表情のソウエイが素早くシュリの手を払い、最後にコクヨウがキサギの足元にピタリとくっ付いて姿勢良く座っていく。
リカルドの目の前には、3人掛けソファーに神楽旅団がなんともギュウギュウに敷き詰められている。
その様子にリカルドは思わず目を丸くしながら「……暑苦しいな」と呟き、背後のバリーが「殿下、駄目ですよ」と呆れ気味に主人を窘めた。
自身のデスクの椅子にゆっくり腰を下ろしたマティアスは、漸く室内の重苦しい空気が霧散した事に安堵しながらフゥッと息を一つ吐き出す。
横目でジトリとした視線をリカルドへと向け、口を尖らせたままにキサギが口を開く。
「先に言っときますけど、こちらは新人で知名度もない上に礼儀知らずな人間ですので、やんごとなき貴方様に無礼を働いたからといって不敬だと騒がれても困りますからね」
目の前の無愛想なキサギを見つめながら、リカルドはまた困ったような笑みを浮かべる。
多少嫌われてはいるのだろうとは思っていた彼にとっては、彼女の反応は想定の範囲内だ。
「その様な瑣末な事、気にはしないさ」
「……では内容をお聞かせ下さい」
キサギの表情は変わらず無愛想ながらも、声音が平坦なものへと変わる。
すると真っ直ぐキサギを見つめながらリカルドが口を開いた。
「実は昨日からジェノヴィア王国より国王とその妹君が、こちらに表敬訪問され王城に滞在している……君はカンタバロで観光中だった妹君のシエラ姫の窮地を救ったそうだな?名乗られなかったものの神楽旅団だと覚えていたシエラ姫が、護衛の非礼の詫びも助けて貰った礼すらまともに出来なかったと悔いていた。兄であるロレンツォ陛下も是非、直接礼を言いたいとの申し出があってな」
リカルドの言葉にキサギは昨日のカンタバロの出来事を頭に過らせ、思わず片手で額を覆いながら辟易した表情を浮かべ重い溜息を一つ吐き出す。
「やっぱりか……」
「友好国の王族からの希望だ。我々はそれを跳ね除ける事など出来ん。一応話はしてみるとは伝えたが、まさか知らぬ所でマティアスを捕まえてドレスを渡し、歓迎の晩餐会と舞踏会にまで招待していたとは気付かなかった」
昨日マティアスはランバートとリカルドの両名からの要請で、王城を訪れていた。
彼らとの会談の後、王太子の執務室を退出した際に、どうやら王城に滞在中のロレンツォ・シエラ兄妹に呼び止められ、キサギへ招待状とドレスと宝飾品の一式を押し付けられたという。
彼はまさか他国の王族を邪険にする訳にもいかず、タジタジになりながら受け取りランテルへと戻って来たようだ。
キサギがチラリとマティアスへと目をやると、彼の目の下に隈が見える。
恐らく彼のランテルへの帰還が深夜だった事や、王族を忌避するキサギへどう説明するか相当悩んで眠れなかったのだろう。
その顔には疲労が色濃く滲んでいる事に、キサギは落ち着いた今漸く気付く。
「あれの贈り主はジェノヴィア王家からでしたか……で?私がそれを着用して、晩餐会や舞踏会へ出ろと仰るのですか?冒険者で礼儀もない私に、恥をかけと?まさか、その場に紛れるようにジェノヴィア王家の方々を護衛しろとか言いませんよね?それならば、そんな簡単な任務すら出来ない程、この国の近衛は当てにならないと、あちらの王族の方々に思われておいでという事になりますけど?」
思わず眉を顰めながらキサギが悪態を吐く。
「いや、先に晩餐会や舞踏会の招待は君の意思を無視した訳ではないと、誤解を解いておきたかっただけだ。あちらも悪気などは一切なく、ただ善意でそうしただけだと意図を汲んでやってくれ。勿論参加してくれればあちらは喜ばれるが……君はしないだろう?」
「当然です。仕事で依頼されたとしても絶対にお断りです」
「だろうな。わかっているつもりだ」
「……あちら様には、私は気にしていないとくれぐれもお伝えください。ドレスも装飾もお返ししておいて頂けますか?」
「あぁ、勿論だ……世話をかけたな」
「……一つ貸しにしておきます」
「ククッ。これは後が怖いな」
リカルドがクツクツと喉を震わせながら小さく笑う。
彼のその余裕な態度に、何やら納得のいかないモヤモヤした感情が燻るキサギは憮然としたまま「……続きを」と端的に先を促した。
「……ジェノヴィア王国には竜がいる事を知っているか?」
おもむろにリカルドの口から飛び出した言葉に、思わずキサギが訝しみ、怪訝な表情を浮かべる。
「……話には一応。ジェノヴィアを守護する白い竜が地下に眠り、“竜の乙女“を待っている……とか何とか」
レイスリーネの記憶を持つ彼女は内心「そんな話があったな…」と記憶を巡らせながらリカルドへ返答する。
「そうだ。ジェノヴィア王国の名の由来となった存在だ。白竜ジェノヴァ。彼は己の番となる竜の乙女が現れるのを待っていた……それがシエラ姫だ」
ジェノヴィア王国に伝わる伝承で、今から約300年前、白竜ジェノヴァが己の番がこの地に現れると予言し、突如降り立ったというものがある。
いつ現れるともわからない故、それまでの間この地を守護すると言い、竜の加護と呼ばれる結界を張り巡らせ時が来るまで地下で眠りについたらしい。
そしてこの地に住まう人々が、ジェノヴァから名を捩ってジェノヴィアという名の国を興し繁栄していった。
そしていつか現れるジェノヴァの番を“竜の乙女“と呼び、その神聖な存在の出現を人々は白竜と共に待った。
17年前、シエラ姫が王妃の腹に宿ったその日、長い眠りからジェノヴァが目覚めたのだ。
そして人型の姿で王族らの前に現れた。
『漸くこの日が来た……我が番よ』
と王妃の腹に手を当て、そう言い放ったという。
「……それは何とも喜ばしいお話で」
「2人はずっと共に過ごし、大変仲睦まじいと聞いている。そして彼女は先日17歳を迎え、来週その白竜の元へ嫁ぐ事が決まった。白竜の住まう世界へと共に旅立ち、そこで永劫の時を過ごすのだそうだ。ジェノヴィア王国は竜の乙女を生んだ礼として、竜の加護を賜り豊穣と安寧が約束されていると言われている」
リカルドの説明にキサギはスッと目線を落とす。
(リカルド殿下を始めとしたこの世界の人々は、竜の事を正しく理解しているのかしら……いや、この様子からみるに知らないでしょうね……)
レイスリーネの記憶の中にも竜の知識はほとんどない。
人々は竜の存在は知りつつも、この世界のどこかに竜の住まう国があるのではないか、もしくは世界樹の森に住まうのではないか……など、核心をつくような事実は無く、御伽話程度で知識を得ている程度。
そもそも竜はこの世界の生物ではない。
キサギがそれを知る理由。
実は彼女は前世で、魔物討伐の任務の際にたまたま出会った竜の番探しを手伝った経緯があった。
その時に竜の習性や彼らの住む世界の話を既に聞いて知っていたのだ。
竜は太古から存在し強大な神気を持つ異世界の生物で、各異世界間を渡り歩くことが出来る特殊な存在なのだ。
どの様に生まれたか竜自身にも分からず詳細は不明ではあるが、キサギが考察するに、各異世界から溢れた神気や魔力から生まれたのではないかと思われる。
世界によっては神として君臨している竜もいるとか。
竜は成長し巣立つと、己の番を迎え入れる為の準備として巣ともいえる己と番だけの特別な異空間を作り、番を求めて各世界を渡り歩き旅をする。
天啓の能力を持つ竜は、己の番の出現場所を予知する事は出来るが、それがいつ現れるかまではわからないらしい。
そして番が現れるまで待ち続け、出会えると外界とは完全に断絶して番と共に巣に篭るのだと、その竜が話してくれた。
その後ドタバタはあったものの、その竜はキサギの手助けによって番と共にその世界から去って行った。
かつて知り得た情報に「あぁそんな事あったなぁ」と、彼女は呑気に懐かしい思い出を反芻する。
竜の乙女が生まれた国は、必ずと言って良いほど長きに渡って繁栄していた。
この世界では竜にまつわる伝承が過去に2例存在するものの、かなり昔の話で実際に彼らが住まう地を見た者はいない。
かつて竜の住まう国を探そうとして、その愚行に竜の怒りを買い、国そのものが消滅してしまったという恐ろしい実話も存在している。
因みに竜に寿命はないと言われている。
そんな竜と共に番として生きるという事は、シエラも同様に不老となり寿命がなくなるのだろう。
永劫を生きる事になる彼女は、もしこの世界に留まったとしても、家族や既知がどんどん老いさらばえ見送らねばならず、嘆きは凄まじいものとなるのは想像に難くない。
彼女の嘆きに白竜は耐えられないだろうし、何よりそもそも竜という種族は己の番に対する執着心が異様に強い。
番は己の至宝。
故に取られないように巣……所謂、彼の世界へ隠す。
その代わりに番を生み出した国は豊穣と安寧を約束される、といった背景なのだ。
「……なるほど」
「外を知らないシエラ姫が、こちらの世界での最後の思い出作りにイギリーの南部の観光を願われてな。元々ロレンツォ陛下と王太子ランバートは若き頃の学友で既知だ。陛下からの願いを喜んで受け入れた。だか、それと同時にとある問題の相談があった」
「問題?」
「彼女は上位魔人に狙われている」
和やかな話かと思っていたキサギが、リカルドの言葉にピクリと眉を顰めた。




