26.コクヨウの目覚め
目を覚ました黒い獣は、ゆっくりと上半身を起こし、周囲を静かに見渡している。
『おや?……おやおや?』
なんとも間延びした声が辺りに響く。
その聞き覚えのある喋り方を耳にした途端、キサギが大きく息を呑み込んだ。
前世で共に過ごした思い出から命が果てる瞬間まで、全てが走馬燈のように蘇る。
緊張が緩んだのか、力が入らなくなった彼女の手からこぼれ落ちるように八咫烏が離れて行く。
だが彼女の愛刀は地面に転がる事なく、まるで意思を持つかのように漆黒の羽の渦を撒き散らすと、姿をその場から掻き消した。
自然と体が小刻みに震え眉が中央にギュッと寄り、キサギの顔が少しずつ、少しずつ歪んで行く。
そして、とうとう彼女の瞳から大量の涙が溢れ、ボロボロと頬を伝いこぼれていく。
ダッと地面を蹴り、その身を起こした精霊獣へと勢いよく走り寄った。
「コクヨウ!!!」
両手を大きく広げ、魔力を帯びて美しく輝くやたら大きな漆黒の狼のような獣の首元へガシリとしがみ付くと、まるで愚図る幼女のようにワンワンと泣き叫び始めた。
『おや?おやおや。こぉりゃ御前かいな?なんじゃなんじゃ?こりゃ、どうなっとるんじゃ。おいおい。誰か説明してくれんかぁ~』
恐らく驚きのあまり状況が掴めていないだろう彼からは、低めの通る声音でありながら何ともお爺ちゃん風の喋り口調が響いていた。
見守っていたシュリ、ビャクラン、ソウエイも苦笑い気味で、コクヨウのそばに歩み寄る。
「んだよ、ジジイ。シケた声出してんじゃねぇよ」
「お目覚めいかがかしら?コクヨウ?今世はなんともまぁ可愛いらしい姿ね。ふふふっ」
「爺殿、あまり騒がれては御前に迷惑だ」
各々が思い思いにコクヨウへと声をかける。
その顔は、皆何やら嬉しそうだ。
『お?おぉっ!なんじゃお前達か!何がどうなっとるんか説明せい!というか、なんで儂は毛むくじゃらなんじゃ!なんでお前達はそのままの姿なんじゃい!!……のぉ、御前よぉ、もういい加減泣き止んでくれんかのぉ』
「ゔえぇぇぇぇぇっっン!!ゴグヨォォォ!!良がっだよぉぉぉ!!」
『だあぁぁぁ!わかったわかった!何が良かったのか儂にはさっぱりわからんがの!』
何とも大騒ぎな彼らに、遠巻きで見守るグエンを始めとした冒険者達は色々と情報処理が追いつかない。
まず遡る事少し前、森の見廻りに出ていたテリー達は、大慌てでギルドへ戻る道すがらグエンのタグに連絡をとった。
見廻りの前からキサギの様子が変で、突然旅団のメンバーが揃ったと思ったらダンジョンへ向かうと言って姿を消した、と。
グエンの方も突然シュリとビャクランが姿を消して、訳が分からず騒然としていた。
彼らは森と街を繋ぐ入り口前で落ち合い、オリガや他の冒険者達も含めてもう一度状況を整理し合った。
すぐさま準備をして後を追おうと話していた時、森で異変が起こる。
突如森の上空に凄まじい数の魔法陣が展開され、そこから何とも神々しい光が差したかと思えば、大量の光の束が地面に向かって降り注がれた。
あまりの凄まじさに衝撃が来るだろうと身構えるが、何も起こらない。
オリガや他の冒険者達は何が起こったのか騒然としたが、グエン達にはすぐに、これはキサギが結界を張った事で何もなかったのだと、そしてあの大量の魔法陣も以前彼女が展開したものと同じだとわかると、オリガ達にもそのまま説明をした。
話を聞いた彼らはキサギの持つ魔力に愕然としていたが、とにかく準備を整えて後を追おうという事になったのだ。
だが、そこでテリーから衝撃の言葉を聞かされる。
「その場から掻き消えると同時に、彼女の声を聞いた……追って来ようと思うなって。俺達に何も出来る事はないって……」
見廻りに同行していたリア、ハルト、ベリルも同じように聞いたのだろう、下を向いて俯いている。
テリーも悔しそうに両手をギュッと強く握りしめ、爪が食い込んだそこからはポトリポトリと血がこぼれていた。
確かに彼女らは異様な強さを持つ。
間違いなく自分達が行っても、何も出来る事などないだろう。
誰もが黙り込んでしまったその時。
「何も出来無いかもしれないけれど、そもそもあなた達は元々彼女達のフォロー役じゃなかったの?」
そう声をかけて来たのはオリガだった。
「もしもの事態にフォロー出来るように側で控えて、討伐されるその時を見届けるものじゃ無いの?」
とそう背中を押された。
ラミラが魔力探知で、森全体にやはり彼女の結界が張られていると皆に説明する。
ならばあの特殊な結界は、自分達がこのまま森へ入っても“キサギに許可を得ていない存在“として認識され、まず大きな危険はないはずだ。
不測に備えて万全の体制で臨めば、彼女らの元へ辿り着ける。
そしてグエン達の天狼、カイルとテリー、そしてB級ランカーの冒険者パーティ数組で向かう事になり、ラミラが瞬間移動の魔法を使い、皆を近くまで運んだのだ。
道すがら魔獣と出会う事もなく、やたらと静かで不気味だったが、ダンジョンが近くなると暫くして、周辺の木々が倒され地面も抉れているところに出くわし、事態の深刻さに息を呑む。
そして、先程の上位魔獣の討伐と、キサギの魔法による黒い獣の復活の場面の遭遇となったのだ。
正直キサギ達の様子がおかしかったのは何故だったのか、あの黒い獣は何なのか、彼女が展開したものは果たして魔法と言って良いものなのか、……何よりも彼女達は何者で、何故そこまでの強さを持ち得るのか。
情報が頭の中で溢れ返り、整理出来ずに混乱していた。
わかる事があるとすれば、それは目の前のキサギ達の雰囲気から、彼女らの抱えていた何かが解決したのだろうという事だ。
少しの時間ながらもキサギと共に過ごし、その見た目と違ってやたらと豪胆で大人びた彼女が、あんなに子供のように泣きじゃくりながら体全体を使って喜んでいるのだから。
色々気にはなるが、上位魔獣が討伐された事実を彼らは己の目でしっかりと見た以上、それ以外の事は呑み込むしかない。
これ以上は冒険者である以上踏み込めない領域な上、そもそも冒険者など皆様々な事情を抱え秘密を持つ者達ばかりだからだ。
ついつい彼女の容姿から心配が先行し過保護気味にはなってしまうものの、彼らは彼女に助けられ、その存在に大きな信頼感と安心感をもたらされた事は間違いない。
それだけで十分だろうと今は無理矢理納得させる。
そうしなければ……余計な詮索をしようものならば……
彼女らはきっと全てを簡単に断ち切って、去ってしまうだろうから。
彼らはそんな怯えにも似た気持ちを抱えながら、キサギが落ち着きを取り戻すまで静かに見守っていた。
「……戻ろう」
グエンが静かに呟き、キサギ達に背を向けて足早に立ち去って行く。
ネームドの脅威が去った今、出来る事はない。
彼の言葉を聞き、誰もがモヤモヤとする気持ちを抱えながら、グエンの後を追うように皆ギルドへと戻って行った。
先程までコクヨウにしがみつき泣きじゃくっていたキサギが、ハッと何かに気付き勢いよく顔をあげる。
「あ。結界とかなきゃっ」
瞼をパンパンに泣き腫らし、目を真っ赤にし、鼻水をズビズビとすすりながら、彼女は思い立ったように顔をあげる。
「え?!今それかよっ?!」
さすがに思わず呆れたシュリがツッコミを入れてくる。
「だって……森はぐちゃぐちゃだし、ダンジョン無くなっちゃったら、皆、仕事出来ないじゃない」
口を尖らせながら、グシグシと袖で目元を擦り涙を拭き取ると、おもむろにパァンッと柏手をひとつ打つ。
すぐさま結界は解かれ、森はあるべき元の姿に、消し去られたダンジョンは威風堂々とした元の姿へを戻っていた。
ダンジョンの奥からは、数体の中型魔獣の反応も確認出来る。
彼女は結界を張る際、自分達とコクヨウ、そして大型魔獣とネームドのみに限定して、許可をしていたのだ。
結界が解かれ、全てが戻ってきた。
森に魔力が満ち、暫くすれば逃げた小型魔獣達も、また森へ戻ってくるだろう。
「これでとりあえずは大丈夫かな」
まだ涙声で掠れるキサギが少し笑顔になりポツリと呟く。
『相変わらず御前の力は凄いもんじゃな。しかし、なんだってそんな姿なんじゃ?しかもここはどこで、儂はなんでこんな姿になってしもうたんじゃ?』
「あぁ、それね。情報を送るわ」
キサギは右手に魔力を練り上げ掌に小さな魔法陣を組み立てると、それをコクヨウの額へと押し当てた。
そして、コクヨウの中にキサギの記憶とレイスリーネの記憶を送りこむ。
コクヨウは暫く目を閉じて、流れ込んでくる情報を全て受け取り終わると、目を開けて一つ溜息をこぼした。
『……なるほどの。儂がここにおるのも、何の因果か御前の転生に引っ張られたんじゃのぉ。しかし、この体が今世の儂になるとは……』
と、キョロキョロと己の毛むくじゃらな体を見回し、嘆くような情けない声をあげる。
「あら。ビャクランも言ってたけど、私も可愛いと思うわよ?」
『そんなもんかのぉ?まぁ、御前がそう言うならええとするかの。ところで、こやつらはなんでそのままの姿なんじゃ?こやつらも死んで転生したのだろう?』
「え?彼らは死んでないわよ?」
『……はぁ?!どういうことじゃ!』
「あの時、歪みの暴走を止める為に全てを出し切って私の命が先に尽きただけだから、彼らは死んでないわよ?」
前世でキサギが死んだ際、シュリ、ビャクラン、ソウエイの3人は彼女の遺体に暫く寄り添っていた。
式神は主が亡くなったところで命が尽きる訳ではない。
契約が解除されない限り、主を想い続け、永遠にその絆に縛られ彷徨う羽目になるという現実が待っているだけだ。
それでも彼らは彼女以外と共に過ごす気にはなれず、例え悲惨な未来が待っていたとしてもそれで構わなかったのだ。
だからこそ、最期のその時まで彼女と共に在った。
そのまま彼女のいない世界で彼女を想い、縛られ続け苦しみながら、ただそこに在るだけになる。
はずだった。
気付けばキサギはこちらに転生しており、彼らは完全にそのまま引っ張られる形で転移していたのだ。
いまだにどうしてそうなったのかは、彼女も他の3人も全くわからないのだが……。
それを話すとコクヨウは『むぅぅ』と唸り、渋々受け入れたようだ。
「……それにしても、ダンジョンの深奥に祭壇があってそこに眠ってたってことは……封印されてたとか、祀られてたとか、そんなところかしら?」
『ふむ。どうやらこの体の持ち主は、遥か昔にこの地を守っておった上位精霊獣で、皆からは精霊王と呼ばれておったそうな。人々からも崇められておったようで、何かしらあって命が尽きた後にここに祀られたようじゃの』
「え?祀られてたの?しかも遥か昔って……なんで体、腐ってないの?!」
『どうも安置されとった場所は祠だったらしくてな、体と室内に保存魔法がかけられておった。いずれ魂が巡って、この体へ無事に戻って来れるように…とな』
「……保存魔法?相当凄い人が居たのね……魂が巡るって……それ、かなり昔の宗教観だわ。多分、2000年以上も前よ……祠があった周りを呑み込むようにここにダンジョンが出来たのは、おそらくここから漏れ出た魔力と空気中の魔力が合わさって地殻の変動が起こったとか、そんな理由からでしょうね」
『2000年くらい、ついこの間も同じじゃろうて』
「いや、そりゃ、あなた達からしたらそうでしょうけども?!」
レイスリーネの記憶から、相当昔の宗教観からの慣習であると話すキサギに、式神達にとってはそう昔ではないのだろう、驚きの返答に彼女はツッコミを入れざるを得ない。
何より遥か昔に、こんな長い年月を保てる保存魔法をかけられる魔術師がいた事に驚きを隠せないでいた。
「まぁ、何にしてもよぉ、ジジイはこのまま同行するのか?その姿で」
何ともジト目のシュリが、現在のコクヨウの姿を上から下へとマジマジと視線を流しながら言い放つ。
一斉にコクヨウへと全員の視線が集まる。
『なんじゃい。お前達だけ付き従うなど狡いぞ。儂とて同行するわい』
ジト目の視線に対して、彼も同じようにジト目で返す。
そして3人と1体の目が、今度は主であるキサギへと一斉に向けられた。
「……コクヨウ、その体、もうちょっと小さく出来る??」
彼女はマジマジと彼の巨体を見上げながら、コクヨウに伝える。
何せ今の大きさは見上げてしまう程大きく、大型魔獣とまではいかないものの中型魔獣と同じくらいの体格だ。
彼は『フォッフォッ』と好々爺のような小気味良い笑い声を漏らすと、全身に魔力を巡らせる。
するとシュルシュルと今の大きさから、獅子程の大きさまでその姿を縮めてみせた。
さながら、少し大きめな毛足の長い黒毛の狼といった様相だ。
コクヨウは得意げにどうだ、と言わんばかりにフフンッと鼻を鳴らしドヤ顔で上体を反らせる。
「おぉ~。いいモフモフじゃねぇか」
「まぁまぁ、可愛らしい姿がより一層可愛さを増したわね!素敵よ、コクヨウ」
「愛玩動物だな。爺殿」
シュリ、ビャクラン、ソウエイが感心しながら思い思いの言葉をこぼす。
何だが若干納得がいかない苦い表情になるコクヨウに対して、キサギは目をキラキラさせながら彼に熱視線を送っていた。
「素晴らしいわ!なんて可愛いの!!癒される!!」
『ぐぇっ』
ガバリとコクヨウの首元に抱きつき顔を埋めて悶絶するキサギに、彼は潰れた蛙のような呻き声をあげて仰け反る。
主である彼女のあまりの喜びように、コクヨウは苦笑いながらも満更では無さそうだ。
その様子にビャクランは微笑ましく見つめるものの、シュリとソウエイは若干面白くなさそうだが。
「さて、全員が揃ったところで、これからの事を話し合いましょう」
キサギはそのモフモフを大いに堪能しながら、これからの事に思考を巡らせた。




