24.満ちる月
オリガの執務室を後にし、キサギは廊下の窓の外へと目をやる。
辺りはすっかり暗くなり、いつの間にか夜を迎えていた。
そこから見えるリンデルの街の灯りは、本来なら酒場や露天で賑わうであろう喧騒も微々たるもので、巡回する冒険者やリンデルの警備兵がちらほらと見えるくらいだ。
「終わったのかい?」
窓の外をぼんやり眺めるキサギへ声が掛かる。
声のしたほうへ顔を向けると、テリーがにこやかに近寄って来た。
「お疲れ様。結構長かったね。前半組はもう見廻りに出かけたよ」
「……そうですか。くじ引き、どうなったんですか?」
「グエンさんと、ラミラさん、兄貴、シュリさん、ビャクランさんが前半組で、後は後半組になったよ」
「シュリとビャクラン……ぷっ」
指折り数えながらテリーが名前を羅列していく中、前半組のメンバーを聞いたキサギが思わず吹き出す。
グエンの事を敵視する2人はさぞこの結果に渋顔であっただろうな、と、そしてそれを横目にソウエイが勝ち誇った顔をしていそうだと簡単に想像がつく。
先程まで何か思い悩むように見えた彼女の姿に、テリーは今は少し安堵し小さく息を吐く。
「他の皆はさっきの部屋で休んでる。なんかソウエイさんがピリピリしてるから、早く戻って……」
「御前」
優しい声音で語りかけるテリーに被せるように、噂のソウエイが彼の背後からいきなり声を被せてきた。
ソウエイの気配など微塵も感じていなかったテリーが、思わず驚きすぎて「どわぁっ!」と肩を跳ねあげながら叫び声をあげ、キサギが苦笑いを浮かべている。
「遅くなってごめんね。ソウエイもわざわざ迎えに来てくれたの?ありがとう」
「いえ」
端的な返答ながらも、他の人にはわからないであろう少し目元を緩めたソウエイに、キサギは軽く笑みを浮かべる。
「で、何か収穫はあったのかい?」
部屋へと戻る道すがら、テリーがオリガの部屋での話へと話題を振ってきた。
「……そうですね」
声を落とし少し俯き気味に返事を返す彼女に、テリーが心配気に顔を覗き込む。
「……何かあった?」
「……あぁ、いえ。特には。ただいつもと様子が違って今日に限って魔獣達がおらず、森が静かだったと。そして異変を不審に思った彼らは、いつもより大分早めに森を離れようとしたところで突然の襲撃があった……とだけ」
何かを考え込むような彼女の仕草にテリーは訝しむが、その後淡々といつものように話し始めた事で、とりあえず注視するだけに留める。
「……魔獣がいなかった……嵐の前の静けさってやつだね」
「そうですね……とりあえず前半組が戻るのを待ちましょう」
ちょうどキリの良いところで部屋の前に到着すると、一旦そこで話を切ることになった。
テリーが扉を開けると、テーブルにはギルドが用意してくれた食事と果実水が並んでいる。
「あ、おかえり!キサギ!先にご飯食べちゃったよー!」
リアがいつものように元気よく手を振りながら出迎える。
彼女の朗らかなその笑顔に癒される感覚を覚えながら、彼女は部屋へと入っていった。
暫く経った頃、見回りに出ていた前半組が戻ってきた。
が、どうにも彼らの様子がおかしい事に部屋にいた者達が気付く。
「1時間ほど外から見たけど、おかしいんだ。森に魔獣の気配がない」
「索敵魔法で見てみたけど、ダンジョンの中には反応があった。でも森の中に魔獣は1匹もいなかったわね。なんだか静かすぎて気持ち悪かったわ」
グエンとラミラから様子が説明されると、同行したカイルも不気味なくらい静かな森が異様に映ったようで、ずっと眉間に皺を寄せたままだった。
「冒険者達からの話も、今日に限って午前中から魔獣が居らず、異様に静かだったと言ってました。そこからあの襲撃だったようですよ」
「なんだか今回も、こっちをわざと誘ってるみたいだな……」
撤退組の冒険者からの情報に、思わず昼前の襲撃が頭を過ぎったテリーが眉を顰める。
皆も同意見なのか押し黙ってしまった。
「……まさか……」
それはあまりにも小さい声で、キサギの口から漏れ出た。
「え?」
「いえ、何でも。とりあえず、前半組の皆さんは明日に備えて先に休んで下さい。私達も戻り次第休んで、明日情報共有しましょう」
聞き取れなかったテリーが尋ねるも、彼女は話をはぐらかし席を立つ。
後半組のハルト、リア、ベリル、テリー、ソウエイも巡回へ向かうべく席を立った。
(……御前)
(……わかってる)
シュリからの念話に、キサギは表情を崩す事なく返答し、後半組の彼らと共にギルドを後にする。
ポツリポツリと露天が立ち並ぶ道を、6人は森へと歩を進めた。
リアは遠足気分のようで、キョロキョロしながら足元が少し止まりがちだ。
ハルトやベリルが嗜め、それにぶぅ垂れるリア、そしてその様を苦笑いしているテリー、という和やかな空気が、なんとも心地良い雰囲気を醸し出す。
しかし、森の目前まで来ると、やはりそこはS級冒険者パーティとA級冒険者いう事もあり、纏う空気が瞬時に変わる。
(いい冒険者だわ……)
キサギは微笑ましく目を細め、彼らの頼もしさに胸が温かくなる。
前衛は気配に敏感なハルトが担当し、ベリルは索敵魔法を展開、召喚魔法でリアが小さな精霊鳥を呼び出して森の中を監視させている。
後衛にテリー、キサギ、ソウエイが付いて、森の外から中の様子を伺いながら周辺を巡回して行く。
「……静か過ぎてなんかヤだね。精霊鳥からもやっぱり何にも見えないみたい」
「あぁ。やはり森の中からは反応はないな。奥からはあるけど、ちょっと遠いから詳しくはわからない」
リアとベリルが皆へと報告をする。
「そうか……このまま警戒しながら進もう」
テリーの一声で、彼らはそのままゆっくりと歩みを進めた。
キサギとソウエイはギルドを出てからというもの、一言も喋っていない。
それは不気味な程静かで、顔を暗い森に向けたままその先の闇をただ見続けている。
「……何か、気になる事でもあるのかい?」
オリガの部屋を出た時から少し様子のおかしいキサギが気になるテリーは、またあの時と同じような質問を投げかけた。
だが、視線を逸らす事なくただずっと奥の闇を見つめたまま、彼への返答を返す様子も無い。
「キサギ?」
訝しむ彼はまた声を掛ける。
キサギとソウエイが突然足を止めた。
2人の目は、先程からずっと変わらず森の奥の闇へと向けられたままに。
歩みが止まった事に気づいたリア達がこちらを振り返り、「どしたー?」と声を上げる。
だがそれすらも2人は反応を示さない。
そしてキサギがギュッと眉間に皺を寄せ、険しい表情になる。
「御前」
「……えぇ。間違いない」
2人にしかわからない会話の中、キサギはようやく森から視線を外したと思ったら、今度は空を仰ぐように顔をそちらへと向ける。
暗闇の中をキラキラと満天の星が輝く。
余計な灯りが無いおかげで、空には天の河が広がっている。
そして、煌々と輝く、満月。
キサギは眉を顰めたまま、その満月を見つめている。
「……やっぱり」
何かを確信したように、彼女の口から言葉がこぼれ落ちる。
「え?」
側にいたテリーが困惑な面持ちでキサギへと問い返すも、やはり彼女からの返事はない。
少し先を進んでいたリア達がテリーの元へ戻って来ると、様子がおかしい事に「何?どしたの?」と問いかけていた。
一行が困惑の空気の中、キサギは空からまた顔を森へと戻し、口を開く。
「シュリ、ビャクラン。来い」
その言葉が放たれるや否や、ギルドに居るはずのシュリとビャクランが音もなくキサギの背後に静かに立っていた。
突然現れた彼らに、テリー達は「うわぁ!」と、驚きの声をあげ騒然とする。
「やっぱりか」
「……えぇ。気配が弱過ぎるし、魔力の波の乱高下が酷くて判別に時間が掛かったわ。理由はまだなんとなくなんだけど、思い当たる節はある。満月があと数時間で1番高い所まで来るわ。魔力が高まるのを、奴は待ってたのね」
「じゃあ、昼間の襲撃は……」
「恐らく足止めね。現にダンジョンからの魔力反応が少ない。全く、舐められたものね。高い知能を持ってるのかと思えば、所詮は獣か」
テリー達の騒ぎを無視したまま、シュリとキサギは彼らには意味のわからない言葉を交わし合う。
「朝まで待ってる余裕はない」
そう言い切ると、キサギはようやくテリー達へと向き直る。
「すみません。私達は行きます。皆さんはこのままギルドへお帰り下さい」
「は?!何を言っている?!」
キサギの言葉に、珍しくハルトが声を張り上げる。
「夜の侵攻は危険だと、あれほど……!」
「我々には瑣末な事だ」
少し苛立ちの籠もったキサギの声が、ハルトを捻じ伏せる。
思わずたじろぐハルトと、それに当てられた他のメンバーは一歩後ずさった。
無表情の彼女から静かに膨大な魔力が溢れ纏わりつき、それに気圧された彼らは訳もわからず体が小刻みに震える。
それはあまりにも神々しく、あまりにも恐ろしい、畏敬の念を持ってしまう程の姿。
キサギは彼らから視線を外すと、また静かに森へと向き直る。
「時間が惜しい。行くぞ」
「「「御意」」」
その瞬間、彼女らはその場から音もなく姿を掻き消した。
『決して追って来ようなど、無謀な事はしないように。ついて来たところで、貴方がたでは何も出来ません』
姿が掻き消えた後、いつもとは違う突き放すようなキサギの言葉が、まるでこだまするように彼らへと降り注いだ。
*
トンッと軽い足取りで地面に足をつく。
そしてキサギはすぐさま、辺り一帯を結界で覆い包む。
不測の事態に備え、彼女はこのリンデルの森全体を結界で覆った。
転移した眼前には、ゴツゴツした岩肌にまるで口をぽっかり開けるような洞窟の穴のような入り口が聳え立っている。
中から禍々しい負の魔力が、外へと漏れ出していた。
まるでキサギ達を誘うように。
このダンジョンは、確認されている限り地下10階層はあるとされている。
悠久の時を経て自然が作りあげたこの地下階層式の洞窟には、遥か昔にあったのであろう歴史的な建物や遺物が岩や土に呑み込まれるように混在し、ダンジョンとして新たな地下建造物となっている。
そのまま中へと入り、ここを潜り抜け、己の待つところまで辿り着いてみせろと、言わんばかりに。
キサギはギリッと奥歯を噛み鳴らし、真っ直ぐ前を見据える。
「このまま進む……………なんて、面倒な事、誰が言うかっ!」
彼女はバンッと右手を地面へと押し当て、魔力を流す。
十重二十重に地面に魔法陣が連なり広がる。
「お前を引き摺り出して、全部まっさらにしてやる!!」
魔力を帯びた魔法陣から光が溢れ、彼女の言葉と共に一気にその輝きを増す。
「開け、上天の門。我、キサギ・マガミの名において命ず。我が道を塞ぐ邪を根こそぎ薙ぎ祓え!!」
詠唱が終わると共に地面だけではなく、天高くにも十重二十重と魔法陣が浮かび上がり、そこから溢れんばかりの幾重もの神々しい光の筋が降り注ぐ。
まるで天からの最後の審判の如く、光の矢が降り注ぐかのような光景だった。
暗闇で閉ざされた森が、目も開けていられない程の光に覆われる。
刹那。
ドゴォォォォォン!!
降り注ぐ光の束が、目の前のダンジョンへと堕ちてくる。
そして、一帯を凄まじい轟音と共に、暴風のような風圧が方々へと散らばってゆく。
ダンジョン周辺の木々が、風圧に耐えきれずバキバキ、メキメキと音を鳴らしながら地面を抉り、根こそぎ吹き飛び、更に奥の木々をもへし折って行く。
土煙をあげた眼前は暫くして落ち着いて来ると、先程まであったゴツゴツした岩肌のダンジョンをここから跡形もなく消し去り、まっさらな土だけの更地にしていた。
ただそこに、2つの影を残して。
赤黒い一際巨大な四足魔獣は、体を丸めて衝撃をやり過ごしたようで、落ち着いたとわかるとゆっくりと上半身を持ち上げ、何が起こったのか理解が出来ないようで、戸惑いながら周囲を見渡している。
そしてもう一方の影。
巨大な魔獣の背後に見える石作りの祭壇のような物の上に、横たわる大きな黒い影。
それはよく目を凝らすと、中型魔獣くらいの大きさの、毛足の長い黒い狼のような風貌だった。
半信半疑だったその気配を確実に捉えた瞬間、キサギは大きく息を呑み込み、沈痛な面持ちに顔を歪める。
「……貴方……あっちで死んだはずなのに……私に引っ張られて、転生して来ちゃったの?……コクヨウ……」
ネームドの魔獣すら視界の外に追いやったキサギは、悲痛な声でその黒い獣へと言葉を放つ。
かつて前世で契約し、彼女を災厄から守る為にその力の全てを使って果てた式神だった者が転生し、その器となった獣へと。




