ある亡国の記録
思えば敵国の侵略は、遠い昔に始まっていたのかもしれない。
実際に戦火を交える前、いわばその下準備の事を差すが、誰も警鐘を鳴らすことはなかった。多くの者は始まった後も、全てが終わった後でさえ、それを『侵略』とすら認知出来なかったに違いない。私も正体を掴むまでに時間を使い、そして未だに正確に捉えたとは言い難い。
私はそれを『魂を劣化させる呪い』と呼ぶことにした。
魂……すなわち一人ひとりの人間に備わる、精神や意志の力と呼べば良いのだろうか。
共感性、活動性、生産性……あらゆる人の活動は精神から始まる。恐るべき敵国は、この計測不能のモノを削ぎ落すことに注力した。
この影響を受け、精神が空洞化した人物は、自らの思考や判断を持たなくなる。自我は残っているのだが、それを用いる事はしない。
……何を言っているか分からない? 私も最初は分からなかった。
己の思考と判断を用いずに、一体どう生きると言うのか? 自分自身の判断無しに、生存は不可能ではなかろうか……あぁ、その通りだ。基本的には。
空洞化した人間は『群れる』
あるいは自己の思考ではなく、自分以外の誰かが提示した方法に委ねる。
――著名人の言葉か
――どこか誰かの井戸端で聞いた言葉か
――あるいは、赤の他人の慰めの言葉か
――声高に叫ぶ、講談師の強い言葉か
誰かの言葉を真に受け、他者の提示した思考や判断に己を委ねる。印象的であるほど、語調が強いほど、その影響力は強かった。善悪に関わらずに、である。
魂が劣化した人物は、善悪の判断が正常ではなくなる。
人間大なり小なり、己が信ずる事が正義となり、相対する者を悪と置く傾向が存在する。しかし母国の国民は、自分の信念が存在しない故に、誰かの主張や正義に相乗りを続ける傾向があった。そして相乗りした船頭の主義主張、一挙手一投足を全肯定する。
船頭の行く先が正しいかどうかは、さほど重要ではない。己自身の主義を持たないが故に、誰かの思考を複製する。そこに自らの思考や意志、判断は伴っていない。ただ印象的な事、高名な人間の事を鵜呑みにするばかりで、強い主張に染まりたがる。自らが空白であるがために、空洞を埋めようとするように『盲信』するのだ。
それは何故か? 自らの魂が劣化している人間は、自分の意志を、自分の判断を信じることができない。そしてそれを自覚する事を、自らの事を判断できない、未熟な人間だと露呈することを、酷く恐れているからだ。劣化の度合いが大きいほど、よりこの傾向は顕著になる。
もう一つ、特徴がある。彼らは自己の責任を決して取らない。いや取りようがない。
誰かの言葉、誰かの正義、誰かの主張に依存しているがために
己の言葉、己の正義、己の主張を持っていない。
だから己の失態、己の不利益が生じたとしても
それは船頭に据えた誰かの失態、誰かの不利益としてすり替える。
では船が沈んだらどうなるか? 船頭を失った場合どうなるか?
舵取りを引き継ぐのだろうか? いいや……彼らはその船を丸ごと放棄する。そして、別の船へと乗り込む。ただやはりそこで、自らの意志や思考のようなものは、ほとんど見られない。
――彼らは自分の人生を生きていない。誰かの言葉を、誰かの意志を増幅するだけの装置のように見える。誰かの背中を追うと言えば聞こえはいい。しかしそこに、自らの願望が反映されているとは言い難い。主体性のない己を隠すために、個を希釈しても影響が少なく、恩恵に預かれる群れの形に依存していると見える。
多くの国民がこのような状態に陥った所で、敵国による母国の侵攻が始まった。
この時、船頭が強い人物なら未来は違ったのかも知れぬ。が、当初の国家主席は弱腰の人間だった。
軍備こそそれなりに整備されていた。恐らく正面からぶつければ、勝率は五分か、母国の方がやや有利まであった。
が、当時世論を引っ張っていたのは、平和主義者の船頭だ。
その船頭は……武装を持って蹂躙を目論む敵国に対し、武力を用いずに解決すべきだと、理想的な寝言を抜かし
そして魂が劣化した国民は、現実を見ずに『盲信』した。
相手は武力を持って、自らの国を蹂躙し、民族を絶滅させることもいとわない気概であるにも関わらず。
最初から『話を聞く気のない』相手と、対話など通じるはずもない。
……何より最悪だったのは、現場にいる兵士たちの士気が最低まで落ち込み、遂には丸ごと逃亡を招いた。
――守る価値のない国民のために、命を賭ける兵隊はいない。
かくて無防備になった国は、蹂躙の憂き目にあった。
私は幸か不幸か、海外に移住しており遠巻きに結果を眺めていた。
……酷い物だった。
何が、と形容するのは難しい。
敵国に母国が踏み荒らされる事に対してなのか
逃亡し生き延びた兵士たちに対してなのか。
それとも――自己を他人に委ね、逃亡した誰かを責めるばかりで、侵略者という『船頭』に従い、粛々と絶滅を受け入れた母国の、魂の劣化した国民に対してなのか、今はもう分からない。
ただただ悲しかった。とだけ、私は覚えている。
……私は最初、母国を擁護せんとして、この忘備録の記述を始めた。
しかし真実と思える事柄に触れるほど、私は、私の母国の人民の持っていた問題点を突き付けられた。外国の人々は『滅ぶべくして滅びた』と母国を称しており、それに対する反感も強く、今は亡国とはいえ、その地の民の一人として、過剰に貶められる事は我慢ならぬ。反証のために集めた資料は、今となっては『妥当な評価』と結論づけるほかない。
何よりそれが悲しいが……きっとこのように嘆く人間は最後だろう。
あの土地はもう、他国の物となった。
今はただ、先祖の裁きを待つわが身を呪うばかりである。