最終話 僕はあまり運がいい方ではない。
あれから1ヶ月後。僕は学校へと復帰した。
摘出は上手くいき、記憶以外では外面的異常はないとされ退院を認められた。
まだ再発のリスクが残っている為通院は欠かせないが、それでも大きな進歩だと思う。
結衣との進展? それはもう、1ヵ月もあれば色々……。とそれは置いといて。
約半年ぶりの通学、記憶のない僕にとっては初めての通学。
ぼんやりと思い出しそうな通路を辿って、結衣と一緒に学校へと向かっていた。
学校に着き、担任の先生に挨拶をしたあとは一緒に教室へと向かって重い扉の前へと立ち止まった。
この扉を開ければクラスの生徒と対面する。向こうは僕の事を覚えているが、僕はほとんど覚えていない。
これがクラスの雰囲気を悪くしたらと思うと、どうしても一歩が踏み出せなかった。
「大丈夫だよ、翔君」
手を握ってくれたのはいつもこの人だった。
七海結衣──僕の彼女で、二度目のお付き合いをしている。
「──いくよ」
ガラガラと、扉を開けて僕は教室に入って行く。
既にホームルームの時間となっていたクラス内は皆席に座っていて、僕の登場に一同の視線が集まり出す。
そしてクラスにざわめきが走った。
記憶喪失で癌を患った生徒が事前通知もなしにクラスの中に入って行くんだ、これは驚かれても仕方がない。
出来れば異人みたいな扱いをされずに、いじめれらないといいけど……。
そんな気持ちを持ちながら、先生に招かれるままに壇上へと上がり、僕はこの学校で二度目となる自己紹介を始めた。
「え、と……。今日からこのクラスに入ることになった平野翔です。と言ってもみんなは僕の事を知っているかもしれないけど僕は……その、何も覚えてないんです。断片的なものばかりで。でも、それでもこれからまた、みんなと新しい思い出を作り上げていきたいんです。僕みたいな病人とはあまり関わりたくないかもしれませんが、どうか1年間よろしくお願いします」
そしてここ一番と言わんばかりに頭を下げた。静寂を受け止める勇気をもって、深々と下げた。
クラスが僕の言葉を受け入れてくれることを願って。
静まり返ったクラス。突き刺さる静寂の余韻の中、一人の生徒がボソッと呟く。
「──何を言ってるんだ……?」
その一言を小さく放った後に、沈んでいたクラスの空気が一気に変わった。
「そんなの当然だろうが! おう翔が忘れちまったことなんて俺達が胸に刻み込んでいればいい、これからが俺達の本当の高校生活だろ!」
「そうよ、ガンが何だって言うの。私達は高校生なのよ?高校生がガンに負けるわけないじゃない」
「いや藤森、その理屈はおかしい」
「ガンだろうが記憶喪失だろうが関係ねぇ!楽しんだ者勝ちだ!この青春を謳歌出来るだけでお前は俺達と同じ勝ち組だぞ!」
オォ~!!と大喝采が起こる教室。
隣のクラスの人が何事かと見に来ては向こうでも盛り上がり、ぞろぞろと教室へ入ってくる。
「お、おい今ホームルーム中──」
「そんなことどうだっていい!平野が帰ってきたんだ、これ以上のホームルームはねぇ!!」
「祝杯よ~!お酒持ってきなさい!」
「いや藤森、俺達は未成年だぞ」
「何ィ?平野が帰ってきただと?先生聞いてないぞ!ちょっと待ってろ、昨年平野の短編小説が県内で受賞したんだ。今賞状持ってくるぞ!」
隣のクラスの先生までもが割って入り、僕達の学年は朝とは思えないほど騒がしくなった。
まるでお祭りの様に歓迎される僕は、嬉しいながらも想像以上の待遇に困惑していた。
「えと……僕ってこんなに人気者だったの?」
「ふふふ。翔君いつもお節介な性格してたから、周りの人に手を貸したりしてたんだよ。これはそんな翔君の人望なのかもね?」
「記憶を失う前の僕は随分とアクティブな行動してたんだね……」
結衣もなんだかんだこうなることを予想していたみたいで、なんだか一本喰わされた気分だ。
すると先生がさらに気を利かして、とある提案を持ち出した。
「ふむ、平野の席は空いているのだが、残った場所と言うのも不公平だな」
「「「ということはー!?」」」
全員の視線が教師へと向けられる。
「席替えだな」
再びクラス中が盛り上がる。
席替えで毎回盛り上がるのは小中学校では当たり前の出来事だが、高校でもそれは変わらないらしい。
僕の為に席替えするなんて、随分と太っ腹な教師だ。
「このタイミングでの席替えは神過ぎるだろ!」
「っしゃあ!!平野の隣は貰ったぞ!」
「ちょっと待ちなさいよ勝手に抜け駆けしないでくれる?私だって平野君を狙っているのに!」
「いや藤森、平野には彼女がいるんだぞ」
盛り上がるクラスの中心に僕はいる。今まで空虚だった心が満たされていく、不思議な感覚だ。
あれだけ孤独と絶望に苛まれていたはずなのに、そんなことが嘘のように晴れた気分。
窓の外から射し込む陽の光を見ながらゆっくりと目と瞑ると、ふと笑いがこみ上げてくる。
物心つく前に両親を失い、育ててくれた親戚を失い。遺伝の大腸癌に襲われ、せっかく出来た恋人に浮かれてトラックに引かれ、記憶を失った。
「──結衣。ひとつ分かったことがあるんだ」
「ん~?」
幸せそうな僕の表情を見て、楽し気な感じで隣に立つ結衣。
一度は離れてしまったこの距離も、繋がった糸を手繰り寄せるように再び同じ場所に立てた。
そんな軌跡を、こんな奇跡を呼称するのなら。僕は自分をこう例えるだろう。
「僕は──」
僕は運があまりいい方ではない。だけど──
だけど、こんなにも暖かな友達に恵まれ幸せな瞬間を噛み締められている。
──誰より幸福な男でもあったんだ。