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第2話 車に跳ねられて無事なわけがない。


僕はあまり運がいい方ではない。


生まれる前に祖父母が他界、小さい頃に両親を亡くし代わりに養ってくれた親戚の叔父さんも癌で亡くなった。

家族の愛を知る前に大切な人を失う経験をしてしまった僕に残されていたのは、保険で下ろされた有り余るばかりのお金と取り残されたたった一人の孤独感だけだった。


右も左も分からない僕に示された唯一の道標、それは学校だった。

叔父さんが亡くなる前に、僕をせめてもの一般社会に出してあげようと高校生までの手続きを全部してくれたのだ。

何も出来ない僕でも普通に学校を卒業し、ちゃんとした職に就けば何も不安がることのない一般的な社会人へと成り上がる。その未来があるだけで今あるこの虚しさは埋められる気がした。


学校は一言で言えば楽しかった。特にいつも話しかけてくる同じクラスの七海さんには僕と同じ趣味があって、いつもその話題が尽きなかった。


七海さんと初めて出会ったのは入学式。話かけられたのは孤独感を紛らわせるために日記を綴っていた時だった。

彼女の趣味は昔から小説を書く事だったらしく、宿題をやっている風を装って日記を書いていた僕を見つけその内容に目を引かれたそうで。彼女は自分の主観だけを書いている僕とは違って文芸系の純文学、情景や自然を混ぜ容れた客観的文章を書くのが得意だった。

以来僕たちは高校生に似つかわしくもない小説という変わった趣味同士不思議な関係を持ち、お互いに興味を惹かれていくこととなる。


もしかしたらその時の僕はとても心が満たされていたのかもしれない、不幸な事を真正面から受け止めて歩み進めていく勇気が身についていたのかもしれない。少なくとも、消極的な僕がその後七海さんに告白をするくらいには恋心を感じていたんだと思う。


誰もいない放課後の教室で告白して、恥ずかしながらも真正面な気持ちで好きだと伝えた。

七海さんの()()()()()僕の告白は成功し、無事付き合うことになったらしい。

好きな子と付き合えるなんて本当に僕は幸せ者だ。


その後の不運が僕を襲わなければ、本当に幸せな青春を歩んでいたのだろう。




──僕はその帰りの日に軽自動車に跳ねられた。


きっと恋が成就して浮かれていたんだろう。信号のない道路を横断しようとしていた七海さんを押し退けて代わりに轢かれた、なんとも僕らしくもない積極的な行動だ。

とっさにブレーキを踏んでくれた運転手のおかげで潰されることなくフロントに持ち上げられた僕だったが、そこから落ちる時に頭部を強打してしまったらしい。


──目が覚めると真っ白な天井を見上げていて、首を傾けると隣には女の子が座っていた。


気づけば目の前の少女が誰なのかすら分からない、大切だった思い出は泡のように一瞬で消えた。


診断結果は逆行性健忘症。脳の一部分がダメージを受け新しい記憶から失われていくいわゆる『記憶喪失』と断定され、僕が七海さんと関わってきた高校生活の大半の記憶を失っていた。


後日七海さんとそのご両親に何度も頭を下げられたけど、僕には事故の記憶すら残っていない。

七海さんの魅力も好きになった経緯も車から押し退けて守ったことも、何一つ覚えていない。

僕の知らない事で頭を下げられても、虚無感が生まれるだけで何も嬉しくはなかった。



──僕はあまり運がいい方ではない。


記憶喪失と断定された僕に追撃をかますように二重で下された診断、それは遺伝性の『大腸癌』だった。どうやら両親の遺伝を引き継いでしまったらしい。


昔から腹痛を感じることはあったが当時の僕は独り身だ、風邪をひいても病院に行くことは無かったし行き方すら知らなかった。恐らく癌の発症はもっと小さな頃からあったのだろう。


記憶喪失と言われて衝撃を隠し切れない僕に疑似的な余命宣告までされて、もうどうでもよくなっていた。

医師の人にその後も長々と精神病やメンタルケアなどについても語っていた気がするが、まともに意識を保っていられない状態だった当時の僕には話の内容など何一つ入ってこない。

最後に医師の先生は絶対に助かると言ってくれていたけど、その表情は決して良いものではなかった。


まぁそうだよね。僕にはもう知っている親戚も少ないし、遺族なんていやしない。僕が死んだところで病院に責は問われないのだから絶対に助かると言うに決まっている。それで助かればハッピーエンドだし助からなければ死人に口なしだ。

ろくな環境で育ってきて来なかった僕だってもう高校生だ、医者の伝えたい真意くらい読み取れる。

こうして僕は一人殻の中へと閉じこもったのだ。





──そんなある日のこと。そんな自分の情報すら整理できず漠然としている僕の前にその子は割って入った。

綺麗でサラサラとした黒い髪と整った顔。その少女は先日事故のことで泣くほど謝っていた七海結衣さんという人だ。僕が記憶を失う前の、恋人だった人。

改めてみると凄く可愛くて、こんな場所(病室)にいるのはあまりに似つかわしくないほど鮮明さを帯びていて……まるで絵にかいたような理想の少女だった。

だけど僕はこの人の記憶は一切覚えていない。自分の事ですらあやふやな部分も多いのに、一体何しに来たんだろう。


怪訝な表情を浮かべている僕に対し、七海さんは無言で僕の隣へと座ると鞄からノートを取り出し独り言のように語り始めた。


「七海結衣と平野翔は去年の春、入学式で出会いました」


七海さんは車から庇った僕に再度謝罪をしに来たわけでも無く、かといって記憶を失った僕に愛想を尽かして逃げていくわけでも無く。僕が記憶を失う前の、僕たちの関係について話を始めた。


──夏の体育祭で運動音痴な僕を誰よりも応援してくれたこと。

──秋の文化祭で一緒にハロウィン風の仮装をしてクラスを盛り上げたこと。

──冬のクリスマスパーティでプレゼント交換をしながら夜通し一緒にゲームして遊んだこと。

──そして春の始業式、僕が勇気を振り絞って告白をしてくれたこと。


気づけば一から十まで全部、全部話してくれていた。


「……泣いているの?」


七海さんにそう言われてふっと顔に手を当てる。

同時にした瞬きによって視界が歪み、小さな雫がぽつぽつと落ちて行く。


「本当だ、どうしてだろ。でも君の話を聞いていると……止まらなくて」


僕は流れるその涙を拭いながら何度も思い出そうとする。

確かに経験した感覚がする、覚えているはずなのだ。

だが、いくら思い起こそうとしても記憶の断片が浮かんでこない。無理矢理思い出そうとすると背中から脳天に掛けて斬られたように鋭い頭痛が襲ってくる。


「痛っ」


深く入り込むとバチっと電流を流されたような痛みが神経を駆け巡り、思わず手を額に当てる。

そんな僕の背中を優しく揺すりながら七海さんは心配した表情を浮かべる。


「無理しないで、今は休もう? また来るから」

「……うん」


横になる僕を見て少しだけ安堵した表情を浮かべる七海さん。

ちらりと時計を一瞥して「じゃあ帰るね」といって先程使っていたノートを鞄に詰めて帰ろうとする。

そんな迷いなくどこまでも一貫性を示すような行動を取る彼女に、僕は思っていたことを口に出した。


「君は……今でもこんな僕のことが好きなの?」

「もちろん。翔君の告白を受け入れた覚悟は記憶がなくなった程度じゃ揺るがないよ。今でも大好き」


即答で返されたその言葉は一片たりとも嘘偽りのない本心から出た言葉だと分かった。

そうして個室の扉を開け立ち去る彼女の横顔をみて僕の心情は一変した。

……真剣な顔つきだった。 何よりも、誰よりも、僕よりも。


この時まで僕は、今の僕がどれだけ辛い目に遭っているのか、どれだけの未来を失い絶望に打ちのめされているのか。きっと僕以外にこの気持ちは分からないのだろうと思っていた。彼女には理解出来ないのだろうと思っていた。

そんな幼稚な考えを持っていた自分を殴りたい、そんな無責任な考えを抱いていた自分を叱りつけたい。


灰色の影に被るように立ち去る彼女の後ろ姿は、決して人の感情を否定するようなものではなかった。

本当に苦しんでいたのは僕だけじゃなかったんだ。


自分の好きな人が記憶を失い命すら危うい状況で、ましてやその原因の一端が自分にあると思っている彼女の精神が普通でいられるはずが無いじゃないか。

これは誰のせいでもない、お互いが苦しみ合う不幸な事故。誰にも咎める事が出来ない。僕達が本当に恋人だったのなら、こんな状況片方が根を上げて関係が崩れ去るのが普通だ。


だけど彼女は、七海さんはその選択を切り離した。僕の記憶が戻ると信じて、癌にも負けないと信じて今できる事に最善を尽くしているんだ。


僕はこの時ようやく決心した。


ただ現状を受け止めるのに時間を費やす日々に終止符を付けなくちゃならない。

僕だけ前に進まないわけにはいかない。


記憶を失う前の僕が七海さんにどういう接し方だったのかは分からない。でも、そんなことは関係のない事なんだ。

記憶が大切なのは重々理解している、その齟齬が相手の気分を害することも知っている。

でも僕には今の僕の記憶がある、今の僕が生きてるんだ。

今ある僕自身が決める選択に過去の僕がどう食い違おうと知ったことじゃない。


ただ前に進む、進むことが出来るのにそれをしないのは『進まない事で良くなると思っているからだ』。

今記憶を取り戻せば今の気持ちと決心がつくかもしれない。精神が落ち着けば少しは体調も良くなるかもしれない。

だけど、それは今までの僕だ。


彼女の表情を見て、同じ行動がとれるのか。とれる訳が無い、自分の記憶を戻そうと真剣に行動してくれる彼女にこのまま黙って慈悲を享受され続けるわけにはいかない。

自分の気持ちと向き合って、このありふれた感情に決着を付ける。


後悔なんて死んだ後にすればいい。


進むんだ。一歩でいい、歩幅が小さくてもいい。ただその一歩を力強く踏みしめる意志を持って進むんだ。それが今の僕に出来る最も希望のある選択、最も望んだ未来だ。


──体を起こし、ビー玉の入った袋に手を入れてひとつ取り出す。

この袋の中に無色のビー玉は入っていない、いろんな色のビー玉が入っている。


「だけど色は思案の外……なんて。 あれ、僕意外と洒落た言葉知ってる」


そんな事を呟き、袋の中から取り出したビー玉を首よりも上に掲げる。

電灯の光がビー玉を直通して非常に眩しい。


それでいて──綺麗だった。


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